第20話 母親と父親 #4

「それで、今日はどうしたの? エルス」


「迷宮で、とんでもない魔物に出くわしたんです。母さんの知恵を借りられれば、と思って。あとは、ここの書物にも当たってみようかと」


「そう。じゃあ、お話を聞かせてちょうだい。なにがあったのかしら?」


 エルスウェンは、かいつまんで迷宮内で起きたことを説明した。


 その全てを黙って聞いた母は、何度か頷いた。


 ひとつ呼吸を置いてから、口を開く。


「そう……。ザングさんがね……。惜しい人を亡くしてしまったわね。でも、迷宮内で命を落としたなら、彼もきっと本望だったでしょう」


 母は次に、エルスウェンを見て言った。


「その黒い剣士というのは……そうね、まず間違いなく、魔法消去の加護を持つ装備品を身につけているでしょうね。それもかなり強力なものを」


「対抗策は? あるんでしょうか」


「そうね。単純なものでは、まずはふたつ。エルス、考えてごらんなさい」


 生徒に問題を出す教師のように、母は言った。


 まず、加護というのは、物品に魔力を込めることで不思議な力をもたせる技術、というものだ。これは大昔から、森人族が得意にしていたらしい。


 特に古代はこれが非常に盛んだったらしく、様々な魔法効果を持つ道具が作られ、人々は快適に生活していたという。


 ただ、現在では使われていない。滅びを経験した反省から、加護のついた道具は大っぴらに使われなくなったのだ。


 今は蘇生の儀式の布石として探索者に施される加護が有名なくらいで、その他には迷宮から発見された道具が珍重される程度に落ち着いている。


 そんなことを振り返りながら、エルスウェンは母に答えた。


「ええと……。加護のついたものは、所有しているだけで、効果を発揮します。加護を解除する魔法は存在しないので……相手からその加護を持つものを奪い取るか、破壊をするか……そういう方法でしょうか」


 母は頷いて、人差し指を立てた。


「そうね。魔法消去の効果を持つ装備品を破壊すること。だけどこれは、肉体や鎧に付与されていたら倒すことと同義だから、ほぼ無意味ね」


「ふたつ目は?」


 それは、エルスウェンには分からなかったので訊く。


 母は二本目の指を立てると、教えてくれた。


「消去できない威力の魔法で攻撃を仕掛けることよ。魔法消去には、無効化できる魔力の量には制限がありますからね。その限界値は、加護の強さによっても変わるけど」


「つまり、すごく強い魔法なら、攻撃が通るってことですか?」


 こちらの言葉に頷いて、にこりと母は笑った。


「そういうこと。かつての古代文明には、魔法だけでなく、あらゆる外部からの干渉を退け、無効化する完全な防御魔法があったのよ。古代の人々はその魔法で、自身の肉体や住居、果ては都市までも守っていたというわね。でもそれは、紅髄竜インフォルムの魔法攻撃によって、一撃で破壊されてしまったのだけれど」


「……つまり。伝説にある、破滅の使者が使ったくらいの威力の魔法を使えと?」


「そういうこと。それくらいの威力があれば、加護の強度にかかわらず貫通できるでしょうけど……今のあなたたちには無理だから、これもボツかしらね。迷宮内で規模の大きな魔法はむやみに使えないという理由もあるわね」


 笑顔のまま、母は首を捻った。


「魔法消去は、むしろ不便な加護よ。身に纏えば、回復魔法だって受けつけなくなってしまうんですから。それを用いた魔物がいるとなると……単純だけれど、とても厄介よね」


 対象を取る魔法が効かないとなれば、回復だけでなく、転移や、補助の魔法も通用しないことになる。


 攻撃魔法を使う魔物が現れ始めるのは第五階層以降だが、その深い階層を、それらの魔法なしで進むのはいくらなんでも自殺行為だ。短所の方が大きい。なので、魔法消去の加護を持つ装飾品や鎧やらを身につける探索者など、見たことがなかった。


 つくづく、魔物側に向いている加護だと思う。探索者たちには使いこなせないが、迷宮をねぐらとする魔物なら、その短所を無視できてしまう。


 エルスウェンが考え込んでいると、フラウムが訊いた。


「お母さま、他に手は?」


「そうねえ……まだいくつか手はあるでしょうけど。問題は、魔法消去だけではないことね。その黒い剣士が使っている加護は、まだあるようだから」


「浮羽の加護……」


 エルスウェンが呟くと、母は頷く。


「ロイドさん、ジェイさんが気づいたという、黒い剣士から音がしない、という特徴……これは、浮羽の加護でしょう。足音や気配を消し、隠密行動をするときのための魔法ね。地面に仕掛けられた、あらゆる罠をも無効化してしまうわ」


「もー、キモいなー、あの魔物。なんでそんなに加護がついてんだよ!」


 苛立たしく言うフラウムに、母は笑う。


「ふふ。いい目の付け所ね、フラウムちゃん」


「え! マジですか! お嫁さんポイントアップですか?」


「それは知らないけれど。いい? エルス。なぜ、その黒い剣士は突然現れたのかしら? なぜ、こちらが戦いにくくなる加護ばかりを持っているのかしら? それらははたして、偶然と言えるのかしらね?」


 言われてみれば、できすぎている。


 黒い剣士――魔法消去に、浮羽の加護を持つ。まだ隠された加護があるかもしれないが、たったそのふたつだけでも、探索者に対して怖ろしいまでの殺意を感じる。


 魔法使いは完全に無力化され、前衛は不意打ちで瓦解しうる。待ち伏せをしようにも罠が通用しないし、こちらには向こうの気配が分からない。


「……まるで、探索者を殺すためだけに存在する魔物みたいだ」


 エルスウェンは呟いた。ジェイが、こちらを見る。


「誰かが意図的に作ったとか……? そんなことが、可能なのか?」


 こちらの言葉を聞いていた母は、お茶を一口飲んでから言った。


「魔法に対する抵抗力を備えている魔物はいるけれども、魔法消去という加護を持った魔物はいないわ。加護というのは、付与されるものですからね。そういう効果を持った品を装備しているか、あるいは誰かに加護を与えられたか。どちらかしかあり得ません」


「それは、つまり――」


 エルスウェンは、母の示唆することを読み取って、戦慄した。


 ジェイの言った通りだということだ。


「魔物を作る、なんて可能なんですか? それも、あんなに強い……」


「可能性は限られるわね。一番高い確率でありえることは――迷宮深部に巣食う魔族が、探索者の亡骸を邪悪な魔法で蘇らせて操っている場合でしょう。それが、蘇らせたものに加護を与えたということね。魔族は死者を蘇らせる技法も、加護の技法もどちらも使える、魔法に長けた存在ですから」


「亡骸を、蘇らせて……」


 エルスウェンは、呆然と繰り返した。


 隣ではジェイが、眉間に皺を寄せて自問していた。


「過去の探索者に、俺とマイルズのふたりがかりで敵わないようなヤツがいる……? それも、迷宮の内部で倒れ、未だに死体も回収されていないような――」


 そこまで言い、ジェイははっとした顔でこちらを見た。


 エルスウェンは、ジェイの顔を見返せなかった。ただ、母の顔を見ている。


 母は、瞑目してカップを手に取った。


「いるのよ。ひとりだけ、該当者が……。メリディス王国最強の剣士と呼ばれ、竜骸迷宮の第九階層で消息を絶ち、今も発見されていない探索者が」


 エルスウェンは、背筋を強張らせていた。


 母は、ゆっくりと頷いた。


「名はエスト。エルス、あなたの父親のね」


 まさか――


 エルスウェンは、動揺を隠せないまま、カップに手を伸ばしていた。


 手が震え、カチカチと音を鳴らしてしまう。


 落ち着こうとして一口飲んだはずのお茶は、なんの味もしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る