第19話 母親と父親 #3
「また説明するよ。ほら、あれが僕の家で、母さんの家だ」
エルスウェンは前方を示した。
森林が開けて、草原が広がっている。その緑色の広場の真ん中に、大きな屋敷が建っていた。
絵本の中に出てくる魔女の家そのものだと、フラウムは初めてここに来た時に言った。
「まだそんなに私も来たことあるわけじゃないけどさ、癒やされるなー、ここ」
フラウムはエルスウェンの隣に並んで屋敷を眺めつつ、楽しそうに言った。
「確かに……楽園のようだ」
ジェイも頷く。
ここは母の張った結界のおかげで、邪悪なるものが存在しない空間になっている。
空気は澄み渡り、木々は健やかに生長し、地面には季節ごとに色とりどりの花が咲き乱れる。
いわば、瘴気に満ちた迷宮内部とは正反対の環境だ。
森に住む鹿や熊などの動物も、狩人に命を脅かされることがないこの空間に入り浸るほどで、互いに争いを起こすこともない。
狼、兎、鹿、熊などが一所に寛ぐ場所は、この世にそうそうあるものではない。それこそ、探すなら森人族の里まで出向く必要があるだろう。
エルスウェンは、屋敷の周囲に遊んでいる動物たちを警戒させないようにしつつ、家へと近づいた。
ドアをノックしてから、開ける。鍵はいつもかかっていない。
背後のフラウムが大声で、ぎゃあ、鹿のウンコ! と叫んでいるが、無視する。
「母さん? ただいま」
家に入ると、母は大広間のテーブルについてお茶を飲んでいるところだった。
フラウムに言わせると、母は『この世の奇跡のような美女』だそうだ。
百七十センチほどの身長に、しなやかな肢体、温かく慈愛に満ちた双眸、腰まで伸ばした色素の薄い金髪、たまにぴくぴく動く可愛いとんがり耳。絵本の世界にいる森人の賢者が、現実世界に現れたに違いないとフラウムは言っていた。
それが自分の母親なのだが、なんとなく言いたいことは分かるし、実際にその通り――そんな人である。
母はこちらを認めると、柔らかく微笑んだ。
森人は寿命がない。外見も成人してからは、一切変化しなくなる。母も例外ではない。それも、フラウムにとってはうらやましいポイントらしい。
「エルス。おかえりなさい。あら、あなた――」
一目見るなり、母はエルスウェンの身体に気がついたようだった。それに頷く。
「はい、ヘマをしてしまいました」
「……気をつけなさい。あなたの身体は、普通とは違うのだからね。そちらはフラウムちゃんね。そちらの男の人は? 初めまして。私はエルスウェンの母親をやっている、しがない森人よ」
そのセリフにジェイは面食らったようだったが、頭を下げた。
「お初にお目にかかります。ジェイと申します。エルスウェンには、その命と引き替えに助けていただきました。なので、ご挨拶にと」
「あら……それは、ご丁寧に、ありがとうね。私は名前を名乗ると面倒なことになるから、名無しで失礼しますね。気軽に、お母さんと呼んでください。ね?」
「かしこまりました、御母堂」
優雅な所作で、母はジェイに頭を下げる。ジェイも、深く一礼をする。
彼は無骨な忍者のようでいて、こうした礼節は、非常に徹底している。
「ふふ、礼儀正しい、とてもいいお友達ができたようで、嬉しいわ」
と、せっせと靴から鹿のウンコを取っていたフラウムが、作業を終えて割り込んでくる。
「お母さまー! 今日もお綺麗ですね! すごい美人!」
「ありがとう、フラウムちゃん。前に会ったのは、一ヶ月前かしら。フラウムちゃんこそ、女に磨きがかかっているようね。……ちょっとお酒臭いけれど……」
「んがっ! しまった! 失点!」
頭を抱えるフラウム。それを見てくすくすと笑いながら、母は手招きをした。
「いつまでもそんなところに立っていないで、こっちへいらっしゃい。あ、フラウムちゃん、人数分のカップを出して、お茶を淹れてもらえるかしら?」
「はいです! 今すぐ只今ただちに!」
疾風のごとくカップの準備をするフラウムを見て、笑ってしまう。彼女を顎で使えるのは、今のところこの母だけである。
カップを並べ、お茶まで注いでから、フラウムも席についた。
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