第18話 母親と父親 #2

「うんうん。あのお母さまなら、そもそもアレがどういう魔物かも知ってるかもしれないし。気づいてた? あんな魔物、今までどこからも報告に上がってないわけっしょ」


 そういえば、と思う。迷宮内にいる魔物についての情報は、王宮への報告が義務化されている。収集された情報は探索者たちの間で共有されて生かされるほか、相応の報酬をもらうこともでき、探索者たちの貴重な収入源になっている。


 魔物は階層ごとに縄張りを作るらしく、出現する魔物は階層ごとにほぼ決まっている。すでに踏破されている第三階層については、どんな魔物が出てくるのかということも判明していて、その中にあの黒い剣士など、いなかったはずだ。


 フラウムの指摘に、ジェイも頷いた。


「俺はここに来て、まだ半年だが。確かに聞いたことはないな。迷宮に挑む探索者が、探索中に発狂してしまい、迷宮の瘴気に取り込まれて魔物のように振る舞い、そのまま棲みついてしまった、という怪談じみた話があるとは聞いたが……」


「あれは、そういう狂人とは違うよねぇ。明らかに魔物でしょ。ジェイちゃん、あれぶん殴ってたじゃん。中身はあった?」


「それが、よく分からんのだ」


 首を捻りながら、ジェイは己の拳を見つめる。あの戦闘中は酷使しすぎて血を流していたが、今はもう綺麗に治っていた。


「打拳の手応えはあるが……アレがたとえば、鎧に魂が宿ったような、魔法生物としての魔物なのか、あるいは中に鎧を着る生身の魔物がいるのか……さっぱり分からなかった。戦いながら、その不気味さに吐き気がしたな」


「ダメージを通している感じはあった?」


「ない。甲冑を殴っているのに、煙を殴っているような手応えだった。おそらくマイルズも、似たような感想を抱いているであろうさ」


「なんなんだろうなー、ホントに。新種の魔物? あんなヤバいのが、なんで第三階層にいたんだろ。変なことばっかりだよ」


 フラウムが足元の小石を蹴っ飛ばしながら呟く。


 やがてエルスウェンたちは門を通過し、王都を囲む壁の外へ出る。そして、街の外れへと足を進めた。まずは、大きな街道沿いに道なりに進路を取る。


「お前の家は、城塞内にはないのか?」


 ジェイの質問に、エルスウェンは頷いた。


「うん。母さんは人の多いところや、城塞の中なんて息が詰まるからって。王都の外れに家を建てて、ずーっとそこに住み続けてる。自然の近くにいたいんだってさ」


「森人だからか?」


「たぶん、そうなんだと思うよ」


「だが……エルスウェン。お前は別に耳も尖っていないし、あまり人と森人のハーフのようには見えないな?」


「うん」


 エルスウェンは頷いた。自分の耳は丸く、髪は黒く、瞳は茶色がかった色だ。外見は普通の人族と全く変わらない、と思っている。


 森人のように耳が尖っていなければ、髪が美しい金色というわけではなく、瞳が美しい深緑色というわけでもない。


 ジェイの疑問に、フラウムが笑っていた。


「へー、さすがニンジャ。いい観察眼してんじゃない。エルスはね、別にハーフってわけじゃないんだよ」


「……? どういうことだ」


「あとで説明するよ」


 エルスウェンはそれだけ言った。別に隠し立てすることではない。しようと思っているわけでもない。実物を見せて話したほうが、説明しやすいというだけだ。


 そのうち、街道からも外れて、木立の中に入っていく。さらに二十分、三十分、と歩いていくと、木立は林、そして森へ姿を変えていく。


 四十分ほど歩いた頃になって、ジェイが気配を変えた。それを見て、エルスウェンは頷いた。


「僕の生家の周りには、結界が張ってあるんだ。魔物はこの近くには寄れない。母さんが組んだものだから、並大抵の魔物では通るどころか近寄れないくらいの強度がある。悪人も通れないんだ」


「聖水を使って迷宮内でキャンプを張るときの結界とは、わけが違うということか。……俺は通れるようだな」


「うん。ジェイは悪人じゃないもの」


 エルスウェンが答えると、ジェイはフラウムを見た。


「フラウムは通れるのか」


「ムキー! 当ったり前でしょ! この美少女のどこが悪人なのよ! はっ、分かった。美しさは罪だって言いたいのね!」


「いや全然違……そうだ。その通りだ」


「なんか今途中で言語を修正してなかった!?」


「してない。オレ、ニンジャ。ウソつかない」


「コラ! なんでカタコトになってんのよ!」


 ジェイは早くも、フラウムのあしらい方を身につけ始めている。


 それにエルスウェンが笑っていると、ジェイは姿勢を正して聞いてきた。


「そういえば、聞いていなかったが……お前の父親は?」


 その口振りでは、ジェイも薄々察しているだろう。ちらりと目を向ける。


「死んだ……んだと思う。父さんは、人族だったよ。そして、探索者だった」


「ふむ……。思う、というのは?」


「死体が見つかっていないんだ。父は……二十年近く前ってことになるのかな。正確には、十九年ぐらい……つまり、母さんが僕を身籠ったと分かる前にもう、行方不明になってしまったんだ。迷宮から、戻ってこなかったらしい」


「つまり……死体は回収されなかったのか?」


「うん」


「王宮の死体回収部隊……『慈悲の手』はどうしたんだ?」


「それも回収に行けなかったんだ。父さんが消えたのは、第九階層らしいから」


「第九階層……だと?」


 そこで、さすがに眉間の皺を深くするジェイ。


 それは見ないふりをして、エルスウェンは先を続けた。


「うん。それは一緒のパーティだった人の報告だから、正しいはずだよ。父さんはパーティを逃がすために、しんがりを務めて……そのまま、迷宮内に残ったらしい」


「……そうか」


 エルスウェンは、信じられない、という顔をしているジェイを横目に見つつ、頷いた。


 『慈悲の手』とは、王宮直属の探索者の部隊のことだ。それは迷宮の踏破を目的とするのではなく、主に迷宮内で死した探索者の死体の回収を任務としている。


 彼らは精鋭の集まりであり、依頼あらば即座に迷宮へ参じ、可能な限りの速さで死体を回収し、帰還する。回収には相応の金額の寄付を要求され、その後確実に発生する蘇生代金も合わせればとんでもない額になることもままある、と言われている。


 それでも探索者たちには、二次被害を避けるためにも、基本的には『慈悲の手』の利用が推奨されている。


 ただ、そんな『慈悲の手』でも回収不可能なケースがある。


 死体を置いてきたのが、第五階層以降の場合である。『慈悲の手』には、現状踏破されているフロアでの回収任務しか依頼できない。彼らは回収に特化した部隊であるため、未知の領域に対処しつつ回収もするということまでは、不可能だからだ。


 たとえば今回エルスウェンたちが遭遇したケースでは、もしロイド、キャリスを置いてきてしまっていた場合、『慈悲の手』に回収を依頼することになっていたかもしれない。


「なるほどな……。それで、生死不明なのか」


「うん。だから、父を見つけてあげたいってのは、ずっと思ってるんだ」


 ぽろりと、口をついて言葉がこぼれた。


 言ってしまったため、ジェイの顔を見上げる。


「父さんの死体を……いや、死体が残ってるわけはないから、せめて、装備とかの遺品、痕跡かなにかを見つけられたら、と思っていて。……それを見つけて、母さんと同じ墓に埋葬してあげたいんだ。それが、僕が探索者になった目的のひとつ」


「……母さんと同じ墓、と言ったか? 御母堂には、これから会うんだろう?」


 また、ジェイは眉間に皺を寄せる。今はまだその疑問には答えずにおくことにした。


 簡単なようで、ちょっと長い説明が必要だからだった。

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