第7話 遭遇、黒い剣士 #3

「バカな……なんだ、あの強さは? 第三階層に現れるような魔物か、あれが」


 キャリスに治療の魔法をかけているラティアが、慄然とこぼす。


 エルスウェンも同じ思いだった。せいぜい第三階層で注意すべき敵は、豚鬼のパーティであったり、迷宮虎の奇襲くらいのものなのに。上層の魔物が、ここまで降りてきたのだろうか?


 疑問はまだあった。この魔物――黒い剣士はどこから現れたのか? 生命探知の魔法がおかしくなったのはこいつのせいなのか? ザングはその表情から推測するに、不意打ちでやられたのだろうが、攻撃、回復の魔法が使えるはずのキャリスが、魔法を使わずにやられてしまったように見えるのはなぜなのか?


 泡のように、無数に浮かんでは弾けていく疑問。だが、答えは出せそうにない。ひとまずは、目の前の問題から片づけていくしかない。


 ロイドに強い治癒魔法をかけ続けながら、エルスウェンはラティアに叫んだ。


「ラティア、キャリスは?」


「傷はもう塞がる。一命は取り留められそうだ。そっちは?」


「ロイドも、なんとか息がある」


 肉体を魂が離れるまでに、なんとか魔法が間に合っていた。だが、ザングは……。


 エルスウェンは唇を噛んだ。死体を聖堂まで持ち帰れたとして、どれほどの確率で蘇生が成功するのか。もはや、絶望的だと考えるしかない。


 その認識こそが、常にパーティのために冷静な判断を優先するマイルズすらを激憤に奔らせたのだろう。


 ジェイと、マイルズは、ふたりがかりでかろうじて、黒い剣士の相手をしている。が、どう見ても旗色はよくない。最高級の力量を持つふたりの前衛をして、歯が立たないどころか圧され始めている。


 そこへ、鋭い声が掛かった。


「どきな、男ども! 派手にぶっ飛ばすよ!」


 それを聞いたマイルズとジェイは、同時に黒い剣士を攻撃する。痛痒を与えたようには見えなかったが、一瞬剣士が怯んだ隙を突いて、ふたりは素早くこちらへ飛び退った。


かくを伝わる明浄の灯火、我が声に応えて現世に顕現せよ!」


 フラウムの力強い詠唱に応えて、魔力が突風のように彼女のローブの裾をはためかせる。


 全力での魔法だ。フラウムもまた、怒りを魔力に変え、解き放とうとしている。


「くたばれ――劫火よ、焼き払え!」


 彼女が最も得意とする火炎攻撃魔法が発動される――はずが、なにも起こらない。


「……は?」


 呆然とするフラウム。エルスウェンも、似たようなものだった。彼女の詠唱は完璧で、成功していたはずだ。それがまさか、なにも起こらないなんて……


 はっと、エルスウェンは気がついた。


 今起きたことと、生命探知の魔法が一点の空間――おそらく黒い剣士――に対しての効力を失っていたこととが、頭の中で結びつく。


「フラウム、これは……魔法消去だ!」


「は、マジ……? アイツ、そんな力が……?」


 魔法消去――魔法の効果を無力化する加護を宿した防具などが古代に存在した、と記す書物を、エルスウェンは読んだことがあった。おそらく、あの禍々しい甲冑かなにかに、その効果があるのだろう。


 そう考えれば、全て合点がいった。生命探知魔法の反応があの剣士に対してはおかしくなってしまったこと。フラウムの魔法が効力を発揮せず、不発だったこと。キャリスが、なんの魔法も使わずにやられてしまったように見えたこと。


 ただ、ロイドやキャリスを魔法で癒やすことはできたから、あの黒い剣士に向かう、あるいは対象にする魔法のみが無力化される、ということだろう。


 おそらく、同じ読みを辿ったラティアが叫んだ。


「フラウム、エルス、転移の魔法だ! それなら無効化されないはずだ。このフロアの……どこでもいい! とにかくここから離れてから、帰還の巻物で逃げるぞ! あいつは我々では倒せない!」


 フラウムが、焦燥に駆られた瞳でエルスウェンを見てくる。それに頷く。


「それしかない。フラウム、君が転移を」


「はっ、エルス、転移の魔法は――」


 定員四名。転移、帰還の魔法は四名までしか、正確に転移することができない。それ以上の人数で試みれば魔法が暴走し、下手をすると『いしのなか』――迷宮の壁の中に飛んでしまうこともある。そうなればあっさり全滅である。遺体の回収も、蘇生も不可能だ。


「君はマイルズ、ラティア。あとはザングの遺体と一緒に脱出するんだ。帰還の巻物を持っているのは、君なんだから」


「バカ! エルスはどうすんのさ!」


「彼を――ジェイを助けないと」


 エルスウェンは、黒い剣士と相対している忍者を見た。彼は最後まで引き下がるつもりはないようだ。マイルズに撤退を促していて、マイルズは口惜しそうに、それに頷いている。


 ジェイだけを残せば、死ぬ。分かりきったことだ。


 ロイド、キャリスの身体にも目をやる。


「ロイドと、キャリスも、僕が連れて脱出する。置いては行かない」


「無理に決まってるでしょ、そんなの! 巻物はあとひとつだけ! エルスの魔法がいくらすごくても、あのバケモノの前で帰還魔法なんて、集まって唱えてる間にやられるよ!」


「やってみせる。全員助ける」


 エルスウェンは、ローブの袖をめくった、銀色に輝く腕輪をフラウムに見せる。


「この腕輪は、帰還の腕輪だ。僕は大丈夫。魔法を使うよりも早く帰還できる。だから、帰還の巻物はフラウム、君が使って。ザングは急がないと、万にひとつの可能性すらなくなるんだ。急がないと……!」


「う、く……!」


「脱出できたら、『甘味スペシャル』奢るから」


「むむむ……!」


 下唇を噛んで迷うフラウムだったが、すぐに決断をした。転移魔法の詠唱を始める。


「マイルズ! 急げ! 離脱する!」


 ラティアの叫びを聞いて、黒い剣士の刃圏から逃れたマイルズがこちらへ駆け寄ってくる。大剣を捨て、代わりに両手それぞれでザングの上半身、下半身を引きずりながら。


 それを追おうとする剣士を、横からジェイが打撃を加えて動きを止める。


 ラティアはキャリスの傷を塞ぎきって、転がるように合流してくる。


 ここまで、ほんの数秒足らず――


 詠唱の末尾を結び、姿を消す直前、フラウムは言った。


「エルス、絶対に死んじゃダメだよ。死んだら許さないよ! 絶対『甘味スペシャル』奢れよ! 約束なんだぞ!」


 言い残して、すっと姿が消える。苦笑しながらそれを見送って、エルスウェンは腕輪を撫でた。フラウムの捨て台詞のおかげで、少し気が楽になる。

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