祝福と、感謝を君に

ぴのこ

祝福と、感謝を君に

桜華おうか!お誕生日おめでとう!」


 私がケーキのロウソクを吹き消すと、家族からお祝いの言葉と拍手が贈られた。そう、今日9月9日は私の18歳の誕生日なのだ!この家で、藤堂桜華とうどうおうかとして生を受けて18年。めでたく成人の年齢に達した。このまま100歳のおばあちゃんになるまで元気に生きていくつもりだ。

 おめでとうは朝にも言われたっけ。朝起きたら、今日は「おはよう」の代わりに「お誕生日おめでとう」の言葉をかけてもらった。学校では友達のみんなも誕生日を祝ってくれて、誕プレのお菓子も貰えた。夕方、家に帰ったら大きなホールケーキが用意されてて、お父さんとお母さんがハッピーバースデーの歌を歌いながらお祝いしてくれた。生まれてきてくれてありがとうって言ってくれた。ちょっと恥ずかしいけれど、でも嬉しい。私は愛されてるなあって実感できて、自分は幸せだと心から思える。受験の心配だとか、街に不審者が出たとかの不安も、家にいると全部吹き飛んじゃう。

 お父さん!お母さん!産んでくれてありがとう!…それはちょっと、恥ずかしくて言えなくて、心の中に押しとどめた。




「てめえなんざ、生まれなきゃよかったんだ」


 ふと、オヤジの最期の言葉を思い出す。オヤジを殺して組を乗っ取った時の記憶だ。俺は昔から戦闘が得意で、抗争で負けたことは無かった。組の乗っ取りも、俺は一つの傷も負うことなく楽に行えた。

 あの頃の藤堂組は、オヤジたち老害のせいで腐敗していた。まともに仕事もせず、若い衆や下部団体から上納金を吸い上げるだけの腐ったミカンたち。それを排除した結果、組の経営は円滑になった。

 俺は間違ったことをしたつもりはない。もうどうでもいい、遠い過去の記憶。それなのに、何故こうして時折思い出すのか。


「組長!50歳のお誕生日おめでとうございます!!」


 組員たちの言葉で我に返る。そうだ、今は誕生会の最中。組員総出で俺の誕生日を祝っている。呆けていては示しがつかない。俺は声を張り上げた。


「オウ、皆よお集まってくれた!ま、この歳になると誕生日なんてめでたいモンでもないんやけどな!ハッハッハ!!」




「生まれた場所に戻すのです。それ以外にない」


 ぱきり、ぱきりと小さな音が事務所に響く。藤堂が、乾燥させた芋虫の幼虫を噛む音だ。

 この藤堂という男は、僕の古い友人だ。陰陽師などという世間一般で見れば胡散臭い職業と、彼が常に纏う平安装束のせいで女が寄り付かない人生を送っている。かくいう僕も霊能探偵などという肩書きなのだから、藤堂の同類なのだが。

 そんな藤堂が、赤ん坊を連れて僕の事務所にやってきた時は驚いた。まさか僕の知らぬ間に恋人を作っていて、子どもが出来たのかと思ったのだ。


「いえ、私の子ではないですよ。私自身です」


 僕が赤ん坊について問うと、藤堂は意味のわからない返答をした。赤ん坊が藤堂自身とはどういうことかと、僕は困惑した。


「昨日、岩手県に仕事で行きましてね。なんでも、川に落ちた人間が別人のようになってしまう。あるいは、本人を名乗る見知らぬ人間が現れる。そういった話が舞い込んできたんです」


「川などの水辺は、“境界”と呼ばれ、“異界”の入り口と考えられていますね。異界である川の中と、“こちらの世界”である陸地。そのどちらの空間にも属す両義性を備えている。だから、異界に住む妖怪と出会いやすい」


 岩手県に伝承があり、川に住む妖怪…河童か。


「そう、河童でした。よくある伝承では、河童に尻子玉を抜かれると人格が変容するか、命を落としてしまうと言われています。そういった種類の河童も確かに存在しますが、今回の河童は少し違った」


「人間を川の中に引きずり込み、。そういう河童でした」


「さきほどお話しした通り、川の中とは異界です。こちらの世界とは異なる、妖怪の領域。異界は人間の理を超越する。異なる世界…いわゆる並行世界、パラレルワールドといった世界にも繋がっている場合があります。その河童は、並行世界に接続できる力を持っていました。天狗に似た類の力ですね」


「河童によってこの世界に連れてこられ、“本人を名乗る不審者”となってしまった人。家に入れてもらえず路上生活をしていた彼に話を聞いたところ、こことは違う別の世界から来たという趣旨の話をしていました」


 話が見えてきた。つまり、その赤ん坊は。


「私は岩手の川に着くと、あえて隙を見せて河童に私を川へと引きずり込ませました。川の中で、河童を祓おうとしたのです。ですが一手遅かった…いえ、河童の行動が早かったと言うべきか。私が川に引きずり込まれた時、河童の手にはすでに赤子が握られていました」


「それが並行世界で生まれたばかりの私であることはすぐにわかりました。私は河童の腕を斬り落とし、赤子の安全を確保するとすかさず河童を祓いました。原因の河童を祓ったことで、河童の被害に遭った方々は元の世界に戻ったようでしたが…この赤子だけは元に戻らなかった。おそらくは、私が陰陽師としての力を持っていることが影響しているのでしょう」


 なるほど。並行世界は“もしも”の数だけ存在する。並行世界の同一人物は、必ずしも年齢や性別が同じとは限らない。もしも両親がもっと遅く、あるいは早く子を成していたら。もしも性別が逆だったら。そういった可能性がある以上、並行世界の同一人物は老若男女、あらゆる姿があるだろう。

 藤堂は赤ん坊の自分に目を向けた。


「この赤子がこちらの世界に来てから、おかしなものが見えるようになりました。別の世界の自分です。ある世界の私は女性で、18歳の高校生。ある世界の私は50歳の男で、暴力団の組長をやっていました。いずれも誕生日を祝われていましたが、家族に祝われる場面と暴力団員に祝われる場面とでは迫力が大違いです」


 僕は思わず吹き出してしまった。女子高生の藤堂も、ヤクザの藤堂もあまりにも想像がつかない。そうだ、今日は藤堂の誕生日だったか。僕は藤堂に何歳になったのかと尋ねたが、藤堂ははぐらかした。


「異なる世界は、こちらの世界と異なる場所にあってこそ自然。この赤子がここにいることは、不自然な状態なのです。世界の交じりという重大な不自然を放置していてはなりません。解決法はひとつ。この赤子を、元の世界に。生まれた場所に戻すのです。それ以外にない」




 昨日は怖い夢を見た。夢の中では私はヤクザになっていて、実のお父さんを殺して組を乗っ取っていた。そのお父さんが殺される前に言った言葉が、今も耳に残っている。

 てめえなんざ、生まれなきゃよかったんだ。

 夢の中での私は、それからヤクザとしてどう生きたのだろう。それはよく覚えていないが、ずっと悲しくて、寂しかったことは覚えている。それはそうだ。お父さんを殺して、お父さんに存在を否定されて。そんなの、つらいに決まってる。怖くて、悲しい夢だった。


「嬢ちゃん、悪いが道を教えてくれんか?」


 誕生日の翌朝、学校に向かう途中で知らないおじさんに話しかけられた。ぼんやりと知っている人のような気もしたけれど、記憶を漁っても会った覚えは無かった。私は悪夢のせいで早く目が覚めて、いつもより早めに家を出ていたおかげで時間にゆとりはあったから、駅まで案内してあげることにした。


「いやあ、昨日は飲みすぎたんか、目が覚めたらだいぶ離れた街で寝っ転がっててな。普段はそんなことせえへんのやけど、昨日は誕生日だったからか気が緩んだんかな」


「あっ、おじさんも昨日誕生日だったの?私もだよ!」


「へえ!奇遇やな。ケーキ食べたか?」


 おじさんは筋肉ムキムキで、話しかけられた時は少し怖かったけど、話してみると気さくでとても楽しい人だった。私はおじさんを駅まで案内する途中、何度笑ったかわからない。

 突然、頭痛がした。頭の中に変なイメージが流れ込んできて、私はその場にうずくまってしまった。


【殺人】大阪市で女子高生が通り魔に刺され死亡

大阪府大阪市の路上で10日、通学途中の高校3年の藤堂桜華さん(18)が男に刃物のようなもので腹部を刺された。藤堂さんは病院に搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。容疑者の男は「誰でもいいから殺したかった」と供述している。


 自分が刺されて、死んだ。それは直感的に、未来予知のようなものなのだとわかった。今日、私が通り魔に刺されて死ぬ。その未来が確かにあるのだと、なぜか確信できてしまった。


「なんやオマエ。こっちに殺気向けて。気づかれんと思ったんか?」


 おじさんの声がはるか後ろから響いた。さっきまで私の隣にいたおじさんは、いつの間にか駆け出して不審な男の手首を掴んでいた。黒いパーカーにサングラス、白いマスクといういかにも不審者という姿だった。不審者の手から、鋭いナイフが滑り落ちた。


「どこの組のモンか知らんがな。こんなモンで俺を殺せると思ったら大間違いやで」


「ち…違います!!誤解です!!ゆるし」


 不審者の叫び声は、ぷつりと途絶えた。おじさんが不審者のお腹に突き刺すように拳をめり込ませると、不審者は力を失ってその場に倒れた。不審者のマスクは、吐き出した血で滲んでいった。


「ごめんな嬢ちゃん。怖いとこ見せてもうたわ。俺はああいう手合いに襲われることが多くてな。ん?頭痛は良くなったみたいやな」


 不審者が倒れた途端、私の死のイメージは霧のように消えていった。あんな人に襲われることが多いなんて、おじさんはきっと普通の人間じゃないんだろう。夢に出てきた、ヤクザみたいな人なのかもしれない。だけど、私の命を助けてくれたのはおじさんだ。間違いなく、おじさんが私を助けてくれたんだ。そう思うと、怖くなるどころか感謝の気持ちでいっぱいだった。

 私は両手でおじさんの右手を取ると、満面の笑みを浮かべながら振り回すように握手した。おじさんはなんだか困惑していた。




 藤堂組長にとって、その日は朝からおかしな日だった。昨夜は組を挙げての誕生会で気持ちよく酒を飲んでいたはずが、朝起きた時には数駅離れた街で寝転んでいた。酔いの勢いのあまり別の街にまで繰り出してしまったのだろうかと考えたが、どう記憶を辿っても誕生会での場面までしか覚えていなかった。

 スマホも持ち歩いていなかったため、声をかけた女子高校生が駅まで案内すると言ってくれたことには助けられた。しかしその道中、殺気に気づいた。藤堂組長は、自身を狙う鉄砲玉だろうと考え男を制圧したが、その場面を見た女子高校生は恐ろしさのあまり逃げ出すかもしれなかった。道案内を失うことを避けるため、藤堂組長は恐縮そうな表情と声色を作って女子高校生に謝意を伝えた。

 しかし藤堂組長の予想に反して、女子高校生は笑顔で藤堂組長への感謝を告げた。


 駅に着き、女子高校生と別れてからも藤堂組長は奇妙な感覚でいた。あの女子高校生は、自身のストーカーを撃退してくれたと勘違いしたのかもしれない。あるいは、あの男は鉄砲玉ではなく本当に彼女のストーカーだったのかもしれないと藤堂組長は考えていた。

 藤堂組長は、駅の風景にも違和感を抱いていた。藤堂組長はこの駅を以前に利用したことがあったが、その時の記憶とは雰囲気が違っていた。まだ酒が残っていて、二日酔いのせいで頭がぼんやりしているのかもしれない。そう考えながら、藤堂組長は電車に乗った。


 とん、と音がした。

 瞬間、風景が切り替わった。

 電車に乗ったはずの藤堂組長の前には、森林が広がっていた。


「天狗は、人を攫います。人が忽然と消えてしまう、神隠しといわれる現象。それには天狗が引き起こすものがある。天狗攫いと呼ばれる事象です」


 男がいた。

 藤堂組長の背後にいつの間にか立っていたその男は、特徴的な平安装束を纏っていた。だがそれ以上に、男には藤堂組長の目につく要素があった。


「…なんやオマエ。気色悪いな。俺と同じ顔やないか」


 藤堂組長と同じ顔の男、陰陽師藤堂は静かに告げた。


「ここは異界。天狗の世界です」


「高位の天狗は、人を異なる世界に移動させる力を持ちます。天狗攫いで消えた人間は、天狗に食われたか、あるいは別の世界に渡らされたかのいずれかです」


「私は天狗と契約をしました。私と、私と同等の力を持つ“私”を天狗に捧げる。無抵抗で食べられる。その代わり二回、私の願い通りに世界を渡らせてくれと」


「観測した“私”の中に、死の可能性が近づいている少女がいました。ですが私は、赤子の“私”に長時間接していたため、存在の確定度が下がっていた。そんな状態では彼女の死の可能性を遠ざけられる可能性は低いですし、そもそも存在の確定度が下がった状態で3人目の自分と会ってその生命に干渉する。その行為自体が危険です」


 藤堂組長には、男の話が全く理解できなかった。だがこの異常な状況では、男の話から情報を探るほか無かった。


「あなたは、観測した“私”の中で私に並ぶほどに力が強かった。おそらく、あなたは喧嘩で負けたことも無いでしょう。銃弾はあなたを避け、刃物はあなたの皮膚さえ切り裂くことも無かったでしょう。その力を見込んで、あなたを彼女の世界に渡らせた。正直、賭けでしたがね。彼女を救っていただき感謝します」


「さて、今から天狗との約束を反故にします。我々ふたりで天狗を倒す。そうすればこの天狗の世界は消え、我々は元の世界に戻れます。もしも負ければ…死ぬだけです」


 約束を反故にする。陰陽師藤堂がそう口にした瞬間、豪風とともに姿を現したものがあった。

 その顔が赤く染まっているのは、元来のものか、怒りゆえか。


「…オマエの話はよおわからんが、要するにあのバケモンをぶっ殺せばええって話やな」



 人にて、人ならず。鳥にて、鳥ならず。犬にて、犬ならず。足手は人、かしらは犬、左右に羽根はえ、飛び歩くもの。


神的存在 天狗



「オマエのことも気に入らん。コイツをぶっ殺したら次はオマエを殺したる。逃げるんちゃうぞ」


「ええ。約束しますよ」




 その晩も、私は夢を見た。

 今度の夢では私は他の誰かになってはいなくて、ちゃんと藤堂桜華として夢の景色を眺めていた。

 その夢は、ひとりの赤ちゃんを映していた。その赤ちゃんは生まれて一週間くらいで、異世界に転移してしまった。陰陽師みたいな人が赤ちゃんを助けてくれて、赤ちゃんは元の世界に戻ることができたんだけど、生まれてすぐに災難に遭った赤ちゃんのことが、私は心配でしょうがなかった。私は夢の中で赤ちゃんに祈って、それから、お父さんとお母さんにかけてもらった言葉を赤ちゃんにかけた。

 どうか君も、幸せになってね。

 生まれてきてくれてありがとう。

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