七.



 私たちは迫り来る隕石の炎を見つめながら、腐敗しかけている線路の上を歩く。ずっと立ったままでいるのも手持ち無沙汰だったからだ。


 私が虫や鼠に時々怯えているのを察したレオくんが先導を切り、生物たちを端へと追いやる。彼は本当に利口な子である。


 高架線の下にはかつて繁栄していたであろう都市が広がっている。人のいなくなった建造物は急速に痛み、これから訪れる崩壊を今か今かと待っているように思えた。願わくば、繁栄していた頃の渋谷も見てみたかった。人がごった返す渋谷で、翔吾くんと手を繋ぎ、「クレープが美味しいね」なんて笑いながらデートをしてみたかった。


 歩きながら、私たちは語り続ける。もし、地球に隕石が落ちるという出来事が起きなかった場合、私たちはどうなっていたのだろうというたわいな夢物語だ。


 もし、地球が滅びなかったとして、誰も地球から逃げ出せなかったとして、私と翔吾くんは再び相まみえることはできたのだろうか。きっとできたのだと私は信じたい。


 先ほどよりももっと鮮やかに空は明るい。隕石の真っ赤な炎に照らされて、昼間のように輝いている。カラスが今は昼間であると主張するように、鳴き続ける。あの子たちは、今日、地球が亡くなることを知らない。人間が地球を荒らし続けた結果、修正が効かなくなった地球に神様がリセットボタンを押したことを知らないのだ。


 やがて私たちは代々木駅に着いた。こんなに歩いたのは初めてだから、だいぶ足がパンパンだ。


 レオくんはそれに気が付いたのか、突然線路の真ん中で座り込んだ。辺りには腐敗の匂いが充満している。


「おい、レオ。休憩か?」


 レオくんが顎で私のことを指す。翔吾くんの目が私を捉えた。


『レオくん、本当にいい子だね。翔吾くん、ごめんなさい。実は私もう足がパンパンで。これ以上は歩くのは難しいかもしれない』


「あっ。そうだよね。ごめん。配慮ができてなかった」


『ううん、いいの。初めて自分の足で渋谷という町の外に出れた。それはすごく、嬉しいことだったから』


 私たちは眩い光に目を背けながら、お互いに顔を合わせる。座り込むこともできたけれど、私たちは立って隕石を迎え入れることにした。ずっと人の言いなりになって生きてきた。最後くらい自分の足で立って終わりたかったのだ。


「昔は電車が人を轢くことがあったんだって」


『人を?』


「そう。まだ人間が電車を操縦していた時代さ。時折、自殺願望者が線路の上にわざと入って電車に轢かれることもあったらしい」


『それは……とても悲惨だね』


「あぁ。でも、こうして線路の上で立っていると、俺たちも電車が衝突してくるのを待っているみたいだ。俺たちが待っているのは電車じゃなくて隕石だけど」


 ——警告! 警告! 隕石が急接近中! 直ちに屋内の安全な場所へ逃げてください!


 突然、腕時計型デバイスが警告音を鳴らす。おかしい。アラームが鳴らないように設定していたのに、こんなに大音量で警告音が流れるなんて。慌てて私は爆音を止める。彼は「隕石のせいで磁場が揺らいだかな」なんて笑っていた。そして、ポツポツとつぶやくように言葉を紡ぐ。


「両親も死んで、身寄りのない俺は下級市民になって、碌に教育も受けられなくて、まともな生活を遅れていなかった俺はこの地球に未練なんてないと思っていた。……いや、違うな。五級惑星で生きていく自信がなかったんだ。この先、自分の境遇に不安を抱えて生きていくよりも、死を選んだ。でも」


『でも?』


「こうして地球が終わりかけている今、俺はとても怖い。猛烈に後悔している。不安でも生きていれば、幸せなことがたくさんあったかもしれない。五級惑星も住めば都だったのかもしれない」


『うん』


「でも、五級惑星に行ってたら、サヤコちゃんと出会えなかったかな。サヤコちゃんが行く惑星は一級だもんな」


『ううん。私たちは絶対、出会えたよ。私、初めて貴方に会った時から、ずっと、もう一度貴方に会いたいと願っていた。私は神の子だから、私の願いは叶うの。奇跡を起こせるの。だから、もし、私たちが他の惑星へと逃げていても、私たちはもう一度会える』


「そっか……。はは。そんなまっすぐな言葉を言われると少し照れちゃうな。そっか。また会えたか。それなら、移住すればよかった。今になって、やりたいことがたくさん出てきたよ。なんでかな」


『私も。私も、生きることなんてどうでもいいと思ってた。だけど、翔吾くんに出会ってやりたいことたくさん増えちゃったな』


 翔吾くんに会うまでは、彼に会って話すだけでいいと思っていた。それだけで、満足すると思っていた。でも今、彼とこうして触れ合い、こうして言葉を交わしてみて、欲が出る。一緒に出かけたかった。一緒にゲームというものをしてみたかった。一緒に買い物をしたかった。


 私は彼に触れて、生きる希望を見出してしまった。


 ゴォーーーという凄まじい音が空から降り注ぐ。隕石がすぐそばまで接近しているのだ。彼は何かを語っている。けれど、声はもう聞こえない。彼から目線を外す。そして、両掌を合わせて、瞳を閉じた。


 私は、祈ってみようと思う——彼と共に歩む未来を。


 この調子なら確実に隕石は衝突する。一瞬にして何億何万年と築き上げてきた青い惑星が滅びる。人工知能も、人類の優秀な科学者も、みな口を揃えて九九.九パーセント地球は滅びると謳っている。


 だけど、祈ってみよう。〇.一パーセントにかけてみよう。この地球に生存し続ける未来を信じてみよう。


 だって、私は神の子なのだから。


 ——警告! 警告! 隕石が急接近中! 隕石が急接近中! 安全な場所へ速やかに避難してください!


 警告音が隕石の落下する音に負けじと雄叫びを上げ続ける。私はひたすらに祈る。なぜ生きたいと願うのか。腐り切った地球で生きる意味はあるのか。諦めたのに今さら足掻くのはなぜなのか。答えを見つけられないまま、私は祈る。


 目を閉じているにも関わらず、眩い光が目を灼く。翔吾くんが何かを叫んだ。聞き取れない。聞き取れないけど、愛おしい彼の音色は私の鼓動を突き動かす。




 ——こうして永遠とも思えた時間が過ぎ去った。


 残ったのは爆風で飛散した大都市と、虫の音一つ聞こえぬ静寂。そして、二人の人間と、一匹の犬だった。不測の事態に見舞われた彼らは呆然と立ち尽くす。


 途中で隕石の軌道が大幅にズレたのだろう。彼はそれを告げるために、私に話しかけてきたのだ。

 



 ——ほら。言ったでしょう。私は神の子。奇跡を起せる。


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今日、地球が亡くなるとて 佐倉 るる @rurusakura

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