この秘密、知られてはいけない

桔梗 浬

人魚は眠らない

 それは1通の手紙から始まった。


 『拝啓 秋月教授 突然のお手紙失礼致します。これは私の家に代々伝わっている"人魚の肉"です。先日先生がメディアでお話しされていた伝説にまつわる証明になればと思い、お送りさせていただきました。ご精査のほどお願いいたします』


 その手紙と共に、スマホサイズの桐の箱が大学の研究室に送られてきた。明朝体で出力されたその手紙には、調査のためには破損もいとわないと、ご丁寧に記載されている。


「先生! お先に失礼します。こちらの部屋は誰もいなくなりますので」

「あ、あぁ」



「なぁ、確かこれから全館ネットワークシステムメンテナンスだったよな。先生、調べ物か何かか?」

「さぁ、張り紙もしてあったし、俺たち関係なくね」

「そうだな」


 研究室のスタッフがぞろぞろと退室していく中、何か話している声が聞こえたが、私はこの手紙と箱から目が離せなくなっていた。


 私は皆が退出したことを確認し、箱を開ける。それは長い間開いていなかったタンスの香りがした。中をよく見てみると、綿のような物の上に干からびたビーフジャーキーの様な物体と、美しく大きな鱗が1枚、そして……。


 一気に私の体からアドレナリンが放出された。全身の血が一気に逆流したのではないかと思えるほと体中が熱くなる。

 改めて差出人欄を確認してみる。詳しい話を聞かなくては。


 沖縄県宮古島市。


 そこは古くから人魚伝説のある土地で、私も30年ほど前にフィールドワークで出向いた場所の一つだった。コバルトブルーの美しい池が存在していたことを思い出す。  

 当時私はまだ学生で、高齢の教授たちに指示を受け追跡調査で半年ほど現地に滞在していたことがあった。村の人たちは『人魚』について多くを語らず、文献を借り受けレポートにまとめるのに苦労した記憶が蘇ってきた。


「これは……」


 それにしても先ほどから頭の奥底で、ピチャピチャと水を弾く音が聞こえてくる。箱の中にあるが私の鼓動を早くさせているのだ。


 私は慌ててパソコンの電源を入れる。起動されるまで永遠に時間がかかるのではないかと思うほど動きが遅く感じられた。やっとパソコンが立ち上がったのを確認し、必要な情報を得るために検索をする。

 『宮古島 人魚 伝説』


 すぐに色々な記事がピックアップされた。何度も検索したキーワードであり、自分の書いた記事も存在していることを知っている。検索結果一覧がほぼ紫色の文字で表示されているのは一度は閲覧した記録があるからだ。


 その中に1つだけ、青い文字で記載されている記事がヒットしていた。これはまだ見たことがない記事だということ。更新日付を確認すると3ヶ月前となっている。新しい記事が検索上位にヒットすることに違和感を覚えつつも、私はページを開いた。


 書かれている記事は、ほとんどが知っている内容だった。

 が……。


「VR?」


 見覚えのある建物の画像と『人魚の肉が発見された場所』というコメントが目に飛び込んできた。最近悪質な広告やフィッシング詐欺のことも頭をよぎったのだが、どうしても見なければならない気がして、画像をクリックした。


 見たい箇所に向かって矢印をクリックする。そしてドアから中に入るのだ。


 私はこの場所を知っている。ドアを開くと小さな靴入れが左にあり、すぐのところにトイレと洗面所があった。右手には確か外に向かって薄汚れたシンクがあったはずだ。

 クリックするたびに映像がブォンと動く。記憶と同じ場面が表示され、私の鼓動は激しさを増す。


 ピチャピチャ……。頭の奥の音が大きくなっていく。


 頭が痛い。画面を閉じろ! 私の心が叫んでいる。だがこの先を確認しないわけにはいかない。

 記事には奥の部屋の押し入れから『人魚の肉』が発見されたという。


 違う、私が知りたいのはそこじゃない。

 そう、左だ。左の壁……。


* * *


 私はまだ学生だった。

 教授に言われ現地でただ一人、人魚について調査を続けていた。二つ並ぶ「通り池」には不思議な伝説が残っている。その話を中心に私はレポートの資料を集めていた。現地の村人に聞き込みをするも皆口を閉ざす。「あんた、もう帰ったほうがいい。この村には関わらないでくれ」と。


 あれは最後に「通り池」に潜ってみようと思い立った日のことだった。

 泳ぎには自信があった。だが私は、不覚にも溺れた。思った以上に青く深く、美しさに魅了されてしまったことが原因だったのかもしれない。あれほど気をつけろ、近づくな! と言われた場所だったのに、自業自得だと半ば諦めかけたその時だった。


「つかまってください」


 頭の中で声がした。美しく唄うような声。その後私の意識は暗闇に堕ちていった。


 気づくと私は布団の上にいた。死を覚悟した私が生きていたのだ。そして隣には見知らぬ女性がいる。私は咄嗟に「人魚」だと思った。彼女は髪を胸元まで伸ばし、全裸で隣に眠っていたのだ。

 全ての記憶が曖昧で伝説の中の人魚に出会ったのだと思ってしまったのかもしれない。もしかしたら池に行ったという記憶も、今となっては何が真実か全てが曖昧だ。


 それから私は彼女とこの部屋で過ごした。調査を進めることもせず、ただ彼女を抱く事で、己が生きていることを確かめていた。でもそんな時間は一生続く物ではない。私は彼女から『人魚の伝説』について、村に伝わる不老不死の話を聞かされていた。それを一つにまとめたい、世の中に発表したいという衝動に逆らえなくなるのも時間の問題だった。

 いつしか私は彼女の愛情や行為全てが重たく感じられるようになっていった。そんなある日、彼女が私にこう語りかけたのだ。


「私は人魚の肉を喰らった人魚なの」

「えっ?」

「私の血肉であなたに永遠の命を授けるわ。だから……私を食べて。そしてこのままここで暮らして」


 そう言うと彼女は自ら左腕を削ぎ落とした。笑顔のまま、その血まみれの肉を差し出したのである。


 私は急に恐ろしくなり彼女を突き飛ばした。運悪く、いや運良く……そこには資料を収納する場所を作るため、集めた材料や道具が置かれていた。そこへ……。

 ドスン。鈍い音が聞こえ、彼女は動かなくなった。不老不死の話が本当なら、必ず息を吹き返す。私は恐怖のどん底に叩きつけられた気分だった。


 ピチャッピチャッ。彼女が流す血の海で彼女が痙攣する度に聞こえる音、音、音。それはまるで、水揚げされた魚の様だった。


 そう、私は彼女を……殺めたのだ。


 恐ろしいことが起きてしまった。私は昔読んだ小説を思いだし、増築予定の壁際に彼女を立たせ、壁の一部として塗り固めた。一晩中休むことなく作業をしていた気がする。彼女が息を吹き返しても出てこれないように処理をしなければならない。幸いにもここは伝説の地、村人は誰も近寄らない。


 私は東京へ帰るのだ!

 そして私は逃げるように東京へ戻った。いつあの部屋が見つかるか、あの女の行方を探す者が現れるのかヒヤヒヤしながら……。


※ ※ ※


 記憶から排除して生きてきたのに、やっと眠れる毎日を手に入れたのに。あの時の血肉の塊は、乾燥させたらこのような大きさになるのではないか? 鮮明にあの時の記憶、匂い、感触が記憶として甦ってくる。


「はぁ、はぁ……」


 この先に、彼女を埋めた壁が……。

 マウスを握る手は汗ばみ、震えている。見てはいけない。今すぐ画面を閉じるのだ。


 それなのに、私は何もないことを確認したい、そんな気持ちを捨てられずにいた。

 何かがある訳じゃない。確認する必要はない、閉じるんだ、今すぐ。


 カチカチ。

 私は自分の意思に反し、矢印をクリックしていた。

 

「……」


 そこに浮かび上がったのは女の顔。それは、あの時の女の顔だった。

 ちょ、ちょっと待て。今日は全館ネットワークのシステムメンテナンスだったのでは?


 それに気づいた時、その閉じられていた女の瞳がパッと見開かれた。



『みぃ~つけた』



END

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この秘密、知られてはいけない 桔梗 浬 @hareruya0126

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