第???話 The Abyssal Speculation

私はこの海の底に存在する概念『深淵』。

海淵を暗闇たらしめるのが私の存在だった。

『概念』と言うものは、人の記憶に残る事でその実体を保つことができるように、私もまた誰かに認知されていないと存在できない。

私が存在し続けている要因が、彼女の存在であった。

幼い頃から私の中で暮らし続け、私を存在し続けさせる唯一の存在。

彼女が生きている限り、私は私でいられると…そう思っていた。


◻︎


ーだが、現実は甘くなかった。

私は人間の『好奇心』、『探究心』というものを侮っていたのだ。

私は彼女の話を耳にしてしまった。

「ーねぇねぇ、その上の方って私も行けるのかな?」

その言葉を聞いた途端、私は恐怖した。

〔死ぬ〕

私は彼女なしでは生きていけない。

その彼女が海淵を離れ、ここを去ろうとしていると。

海面に行ったっきり戻って来ず、そのままここの事を忘れるようなことがあれば。

私は消滅すると。

私は死ぬと。

私が…死ぬ?


◻︎


私は彼女に向けて必死に話しかけた。

「だめだ…行ってはならない」

「君がいなければ深淵は消滅、海淵が海淵の形を保てず、いずれ崩壊する」

「悪いことは言わない…帰ってこい」

「私を…殺さないでくれ」

だが、いくら叫んでも無駄なことだった。

『概念』は、その存在を信じているものが、「これはこのような存在である」と想像することでその力を得られるもの。

『深淵』は言葉を発することができない。

私がいくら叫んだところで彼女に届くわけもない。私の願いも、命乞いも。

彼女は海面へ向かって行き、私の願いは、私の暗闇の中で静かに消え去っていくのであった。


◻︎


私はたとえ忘れられようとも生きなければならない理由がある。

海底の均衡を保つためにも、彼女の居場所を守るためにも。

私の願いが誰かに届けば…私は…誰か…

…助けてくれ。


◻︎


ーその時、私の中にある『Abyss』が動き出す。

(彼女はここを見捨てた裏切り者)

「…違う」

(彼女は許されざる大罪人)

「…そんな事」

(彼女を許すな)

「…なぜ」

(彼女を強引にでも引き戻せ)

「…出来るわけがない」

(私には出来るさ)

「…」

(私にはできる)

(彼女を幽閉することくらい容易いさ)

「…どうやって」

(簡単な話だ)

(一時的にお前の存在を貸してくれれば良いのだ)

「…」

(消えたくないのだろう?)

(ならば…貸すべきではないのか?)

「…そうかもしれない」

「だが、お前は私ではない」

「お前は私の『概念』から派生した『欠陥品』に過ぎない」

「お前は悪だ、そんな奴に『深淵』の主導権を握らせるなんてありえない」

(だが、貴様には意思疎通は不可能だ)

(…私なら、可能だが?)


◻︎


奴は少し前に私から派生した存在。

私と『概念』としては同一だが、奴には善意が存在せず、他者との意思疎通が可能である『概念』としてあり得ない存在である。

私は奴に「Abyss」と名付け、普段は奴の行動を封じている。

奴の恐ろしい所は、「奴を生かしている存在が彼女ではない」という点である。

一体誰が、どのような思惑を持って奴を生み出したかは定かではないが、奴はあまりにも危険すぎる存在だった。

(…本当に良いのか?)

(私に任せれば1日と経たずに終わるぞ?)

「馬鹿を言うな、お前はあまりにも危険すぎる」

(ふむ…ではこうしよう)

(私は意思を持たない)

(君の意思をそのまま代弁する存在となろう)

(…これならどうだ?)

「…私の意思を、代弁」

この時…私は選択を誤った。

奴がそんな事をする奴じゃないと分かっていたのに。

奴に警戒心を解いてしまったがために…

(その態度は…OKなんだろう?)

「ッ…!しまっ…⁉︎」

(では君の存在を借りさせてもらう…!)

そうして私は意識を自らの深淵に落としていく。

あぁ…名も知らぬ彼女よ…

どうか…許してくれ




◻︎

「…ふむ」

「どうやらうまく行ったようだ」

「では始めるとしよう」

「安心してくれ、彼女を…確実に連れ戻すと約束しよう」

「…彼女を殺してでもな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

CREEP UP TO UNKNOWN 海底の海月 @uminosokonokurage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る