第9話 訓練と実戦と、死線

「ぁー。頭いてぇ……」


 ――最低だよ、このおっさん。


 さっきから呻き声を上げているおっさんを横目に、俺は大きなため息を吐いた。

 もちろん、隣に聞こえるようにしているのはわざとだ。


「あー……? どしたぁ。ナオヤ……ため息なんて、ついて……心配ごとかぁ?」

「……そうっすね。頼りにしていた元冒険者さんが不調そうで、不安だなあと」

「……ぉお? すまん、……聞いてなかったわ。なんか言ったか……?」

「本当に最低だな、このおっさん。って言ったんすよ」


 これ以上、二日酔いを相手していても仕方ない。

 隣の呻くおもちゃは無視することにして、俺は視線を左右に飛ばした。


 あたりは鬱蒼としていて、日差しもあまりはいってこないくらい木々が密集している。

 コルナハの街の郊外にある森のなか。

 今日は、自警団初の実戦訓練として、近所の魔物退治に出かけていた。


 メンバーは、リーダーのツカサに街の若者三人。それに俺を含めた五人と、オブザーバー兼、護衛としてのキリエとフレッドのおっさんで計七人。

 ……フレッドのおっさんは戦力になるか怪しいから、護衛は実質一人かもしれない。


 まわりのどこから魔物があらわれるかわからないから、俺はできるだけ周囲の異変に気づけるように注意していた。


「……そんなに気を張らなくてもいい」


 隣を歩くキリエが呆れたように見上げてきた。

 ちみっこながらベテランの冒険者らしく、気負った様子も見せずに森のなかを進みながら、


「【気配察知センス】がある。このあたりにいるレベルの相手なら、不意打ちの心配はいらない」

「へえ。それってスキルと魔法のどっち?」

「今、使っているのは【技能スキル】のほう。常時発動タイプ。このあたりの魔物なら、これで十分」

「なるほどね。じゃあ、気を抜いててもいいわけか」


 冗談のつもりで言ってみると、ちみっこエルフはこくりとうなずいた。


「不要な時にまで気を張っていたら、疲れるだけ。ベテランほど、力の抜きどころがわかってるもの」

「……俺の隣にいるおっさんみたいに?」


 キリエはちらりとこちらを見て、


「あれは論外」


 ……ですよね。


 最後尾を歩く俺たちの前には、ツカサと街の若者たちが歩いていた。


 十代から二十代前半くらいの、男二人に女一人。

 彼らはそれぞれ店の見習いや売り子さんで、そういう街にいるたくさんの若者に少しずつ戦闘訓練を組んでもらい、自衛する力をつけてもらうというのが自警団の基本的な方針になっているらしい。


「自警団の人たち、もっと連れてこなくてよかったのか?」


 若手のメンバーだけでも十人以上いると聞いていたから、今日はもっと団体になると思っていた。

 俺の質問に、キリエはふるふると首を振って、


「人数が多すぎると、統率がとれなくなる」

「へえ。やっぱり一つのグループは五、六人くらいがベスト?」

「そういうわけでもない。統率する人間の腕次第」


 そんなことを言われたもんだから、自然と視線が向かうのは先頭を歩くツカサになってしまうわけで。

 それに気づいたキリエが付け足してきた。


「誰にだって、経験が必要」


 そりゃそうだ。


 それにしても、ちょっと意外だった。

 今の言い方からすると、むしろツカサのためにこの人数に抑えたとも受け取れる。


「けっこう、気を遣ってるんだな」

「……友達だから当たり前」


 そういえば、普段は世界中を旅しているのに、自警団に訓練をつけるために戻ってきたんだった。

 そう考えてみると、なかなか義理堅いちみっこエルフである。


「それで、ツカサはいいリーダーになれそうか?」


 なんとはなしに聞いただけだったが、キリエからの返答がない。

 見ると、彼女は真剣な表情で眉をひそめて、


「……向いているわけではない、と思う」


 あれ、そうなのか。


「真面目過ぎる。周りに頼るのが苦手。あれでは、なにかあった時に保たない」

「あー」


 それに関しては、昨日、自分も似たようなことを思ったから、なんとも言えない。


「……けど、周りが上手く支えてやればいいだろ? 真面目なことが悪いってわけじゃないんだし」

「それはそう。結局は周り次第。頼れる仲間がいれば、いいリーダーになれる」

「キリエが支えてやるわけにはいかないのか?」


 俺が言うと、ちんまいエルフの冒険者は驚いたようにこちらを見上げてくる。

 答えるのにちょっと間があった。


「それは無理。……ずっとこの街にいるつもりはない」

「そっか」

「そう」


 会話が途切れる。

 なにか次の話題でもないかなと探しているうちに、キリエの足が止まった。


「ツカサ」


 声をかけられたツカサが振り向いて、キリエの顔をみると真剣な表情でうなずく。

 手にした地図を見て、眉をしかめた。


「――みんな、キリエが魔物の気配に気づいてくれたわ。でも、予想されていたポイントよりだいぶ近いの」

「……つまり?」


 若手の一人、短髪の若者が訊ねた。

 たしか、名前はキースといったと思う。


「魔物の群れが、予想外の場所にあるかもしれない。どこで戦闘が起きるかわからないから、ここからは注意して進みましょう」



 ◇


 キリエが感知した魔物はすぐに見つかった。


 小鬼ゴブリンが三匹。少し先のひらけた空間で、ゴブゴブとなにかを言いあっている。

 手にはこん棒らしきもの。先端にはべっとりとした赤い血がついていた。


「あれって、まさか――」

「多分、動物の血」

「あ、はい」


 人間の血かと思ったらあっさり否定されてしまった。


小鬼ゴブリンは動物を狩るのが上手い。罠も使う。大型の罠にひっかかったら、人間もただじゃすまないから、気をつけて」

「……見分け方は?」

「獣を捕えるための罠は、獣が通りやすいところに仕掛けるもの。獣が通らないところにはあまりない」


 キリエの説明に、若手のうち二人は困惑したように顔を見合わせている。

 もう一人、たしか名前はクロードといった男が手を挙げた。


「……狩りの親方と、この森にはよく来てるから。それっぽいところはわかると思う」

「じゃあ、あなたとキースの二人はこのあたりに罠が仕掛けられていないかを探す。ヘレン、あなたは小鬼ゴブリンたちの様子を見ていて。動きがあったら伝える。一応、弓をかまえておくこと」

『はい』


 少しして、二人が戻ってきた。周囲に罠は見つからなかったらしい。

 キリエはなにかを確かめるように周囲を注意深く見渡してから、


「わかった。……じゃあ、これからヘレン以外が身を隠して、それから弓で射かける。小鬼ゴブリンたちが近づいてきたら、全員で囲んで、袋叩きにする」


 うーん、実にわかりやすい作戦だ。


小鬼ゴブリンたちと戦うときは、まず最初に、自分たちが安全に戦える場所を確保すること。相手に向かっていくのではなく、向かって来させること。相手が逃げたら、決して追わないこと。連中は逃げるときに罠に誘導することがあるから、それが一番危ない」


 若手三人がうなずくのを見て、キリエが小さくうなずいた。


「よろしい。それじゃ、戦闘開始」



 ――戦闘はあっさりと終わった。


 全員が近くに身を隠し、まずヘレンという街の女の子が弓を射かける。

 すると、キリエが言ったように、小鬼ゴブリンたちは怒ったように殺到してきた。

 そこに残りの全員が姿をあらわすと、連中はちょっとしたパニック状態に。


 あとは、逃がさないように注意しながら全員でタコ殴りにして終了という案配だった。


 三匹の小鬼ゴブリンのうち、二匹にとどめを刺したのはクロードとキースだった。

 ツカサやキリエはあえてとどめを刺さなかったように見えたから、それも訓練のうちということだろう。


 そして、残りの一匹を倒したのは――


「おう。どうした、ナオヤ。腐ったモンでも食ったみたいな顔で」


 最後の一匹を倒したフレッドのおっさんが、にかっと笑った。


 おっさんは、クロードとキースがそれぞれの相手に手間取っているあいだ、三匹目がヘレンを狙おうと近づいてきたところで、手にした槍であっさりそれを突き殺してみせたのだった。


 ……俺も、小鬼ゴブリンの前に出てはみたのだが。

 支給された剣は思った以上に重く、小鬼ゴブリンにまともな一撃を与えることさえできなかった。


 一撃で小鬼ゴブリンを倒した腕は素直に凄かったし、さっきまであんな状態なのに動けているのはさすがだったが、さっきまで最低だなんだとのたまっていた手前、なんとなく正面からは賞賛しづらい。


 結果、ひねくれたガキみたいな態度をとってしまう。


「……二日酔いはもういいんすか」

「んん? おお、もうすっかりピンピンしてらぁ」


 言いながら、フレッドのおっさんは手際よく、自分が倒した小鬼ゴブリンの首と脇にロープを掛けている。


「それ、どうするんです?」

「ん? ああ、小鬼ゴブリン避けだな。これを適当な木に吊るしとけば、連中、しばらくは近寄らねえからな」


 おおう、けっこうグロいことを……。

 でも、カラス避けと似たようなものと思えば、わからないでもないか。


「それより、ナオヤ。お前さん、さっきのへっぴり腰はなんだ? そんなんじゃ肉どころか、小鬼ゴブリンの皮も切れねえぞ」

「……一応、素振りとかしといたんですけどねー」


 俺がいうと、フレッドのおっさんはガハハと笑った。


「ちょっと振ったくらいで剣が使えるようになれば苦労しねえわな。よかったら、今度教えてやろうか?」

「それはもう、ぜひお願いします」


 今日の俺は、戦闘では前に出ないでいいとツカサに言われている。

 ツカサ自身の経験もふくめて、向こうの世界の人間が、いきなり魔物相手に切った張ったはできないだろうということで、それには自分でも同意したのだが。


 自分だけなんの役にも立ててないのは、やっぱり悔しくはある。

 とりあえず、明日から毎日素振りをすることにしよう、と心に決めた俺だった。



 それから森をすすむうちに、数回、小鬼ゴブリンたちと遭遇した。

 その度に周囲の罠を探し、相手を引きつけて、全員でボコるという一連の流れを繰り返す。


 四度目の戦闘をこなした後には、クロードやキース、ヘレンたちは戦闘の緊張もとけて、手慣れた雰囲気をかもしだしていた。

 あの一撃がよかったとか、あれは危なかったとか和気あいあいと話している。


 ちなみに、俺はこれまでほとんど活躍なしだから、彼らの会話には参加できなかった。


 彼らの一人と目があう。

 ふっ……と、哀れむような顔をされてしまった。


 ……くっ!


 一方、先導組のツカサ、キリエとフレッドのおっさんは、ツカサの広げた地図をみながら顔を突き合わせていた。

 深刻そうな雰囲気が気になったので近寄ってみると、


「……やっぱり、おかしい」

「だな。明らかに普通じゃねえぞ。これは」


 しかめっ面でささやきあっている。


「どうしたんだ?」


 こっそりツカサに訊ねてみると、彼女は緊張した表情で、


「……魔物と出会う場所がおかしいって話をさっきしたの、おぼえてる?」 

「どこで戦闘になるかわからないから、警戒しようって言ってたやつ?」

「そう。それで、これまであちこち歩いてみたんだけど、やっぱり様子が変なの」


 ふむ。

 素人の俺にはさっぱりわからないが、ツカサたちにはそうなのか。


「具体的には、なにがどうおかしいんだ?」

「魔物の散らばり方が散発的すぎる」


 俺の質問にキリエが答えてくれた。


「地図に書いてある通りの場所に魔物の巣や集落があるなら、こんな風に散発的に数匹ずつ小鬼ゴブリンに出会うことはない。普通はもっと偏るはず」

「連中にも縄張りがあるからな。基本は集落や巣の回りに集まるもんだし、逆にいえば、こんな風に散発的に出会うってことは、この近くに集落がある可能性が高いってなるわけだが――」


 だが、とフレッドのおっさんは唸るように続ける。


「この地図には、この近くに魔物の巣や集落があるなんざ、まったくもって描かれちゃいねえのよ」

「……ツカサ。この地図の情報は、どこから?」


 キリエが訊ねる。

 質問というよりは確認といった口調に、ツカサは戸惑いながら答える。


「組合の窓口に申請して、取り寄せた情報だけど……」

「いつの情報か確認した?」

「もちろん! 半月前に更新したばかりの、最新のだって」


 それを聞いたキリエとフレッドのおっさんは、眉間に寄せた皺をますます深くしてしまう。


「つまり、地図の情報が間違ってることか? なにかの手違いか、それともミスで?」

「ただの手違いやミスなら、まだマシ」


 吐き捨てるようにキリエが言った。


 手違いやミスじゃない。

 それはつまり――


「わざと嘘の情報が載せられている可能性が高い。理由はわからないけど、悪質」


 深刻な沈黙が落ちる。


「……考えすぎって線は? この近くに新しい集落できてるっぽいのも、この一か月のあいだに出来ただけとかってのはありえないのか?」

「そりゃあ、ちいっとばかし難しい話だな」


 フレッドのおっさんが肩をすくめた。


小鬼ゴブリンは確かに繁殖の強い魔物だが、新しい集落を増やすのはせいぜい、数か月に一度だ。一月もしないあいだにポコポコ集落を増やされちゃ、今頃、世界中が小鬼ゴブリンばっかりになってるぜ」


 なるほど、そんなもんか。


「……奇妙なことは他にもある」


 つぶやくように、キリエが疑問を口にした。


「仮に、この地図に描かれているのが嘘の情報だとして。ここに描かれた、巣や集落の場所はなにを意味してる? わざわざこんなものを載せる意味は?」

「普通は、巣や集落に近づこうとはしない……」


 独り言のように言ってから、ツカサがはっとした。


から? そのために、わざと巣や集落があるって記載してる?」

「可能性はある」


 キリエはうなずいた。


「もちろん、ただの嫌がらせということもありえる。実際に行ってみないとわからない。これから先は、リーダーであるあなたの判断」


 訊ねられたツカサは、少し離れた場所で談笑している若手三人のほうをちらりと見てから、ベテラン二人へと視線を戻した。


「……まずは、二人の意見を聞きたいです」


「わたしは、帰るべきだと思う。地図の情報が信じられない以上、無理は禁物。慣れない人を連れているから、なにかあったときに対応できない可能性がある。街に帰って、また後日、今度は経験豊富なメンバーだけであらためて探索に来たほうがいい」


「俺ぁ、このまま進むべきだと思うね。組合から流された情報が信用ならねえってのは、とんでもねえ話だ。下手すりゃ街の存続にだって関わる。一日だって早く真偽を確かめておく必要があるから、少なくとも、地図に書いてある印のところになにがあるのかは確認しておくべきだと思うがな」


 二人の意見は見事に分かれた。

 撤退と続行。

 ツカサはしばらく、思い悩むように口に手を当てて考え込んでから、


「――進みましょう。地図の、一番近い魔物の集落の場所まで向かいます。そこになにがあるかを確認し次第、撤退を。これからは道中の戦闘は極力避けて、あくまで情報の真偽を持ち帰ることを目的にしようと思いますが、いいですか?」


「わかった。ツカサが決めたなら、それでいい」

「安心しな。なにがあってもヒヨッコどもは俺が護ってやるからよ」


 緊張した面持ちで決断を伝えるツカサに、ベテラン二人は力強くうなずいてみせる。


 こちらを見るツカサと視線が合う。

 表情が強張っている。少しでも安心させられるようにうなずいてはみたけれど、あまり上手く出来た自信はなかった。



  ◇



 地図に記載された魔物の集落まで向かうのには、予想以上に時間がかかった。

 森のなかでは常にまっすぐに進めるわけじゃないし、途中で魔物たちを見かけたらやり過ごす必要があったから、余計に時間がかかったという事情もある。


 そんなこんなで、ようやく目的の場所にたどり着いたのだが――


「……なんだ、こりゃ」


 目の前に広がる光景に、フレッドのおっさんが呆然と口をひらく。


 そこにあるのは廃墟だった。

 森のなかに切り開かれた空間。小さいが水場もある。

 そして――木の枝や葉っぱをつかった原始的なつくりの掘っ立て小屋や、中央の焚き火の跡。それらが無残に破壊され、まるで見る影もない惨状で放置されていた。


小鬼ゴブリンの集落、であってるんだよな?」


 地図に載っていたとおり、しるしの場所には魔物の集落があった。


 だが、そこはすでに長い時間、放棄されてしまっているように見えた。小鬼ゴブリンたちの姿はどこにもない。


「組合の連中が、ずっと前にここの集落を潰してたってことか……?」


 フレッドのおっさんの呟きに、キリエが首を振る。


「集落を潰したなら、こんな風に中途半端に建物跡を残したりしない。全部、燃やす。じゃないと、あとでまた別の小鬼ゴブリンたちが戻ってきてしまうから。再利用される」

「……組合の人がやったわけじゃない?」

「それを今から調べる」


 キリエが一歩を踏み出す。後ろの俺たちを振り返って、


「わたしの後についてきて。全員で、周囲を警戒。絶対に集団から離れないこと」


 指示に従い、俺たちは警戒態勢をとりながら集落の跡地に足を踏み入れた。


 キリエはすぐ近くの半壊した小屋に向かった。

 そばに、なにかの塊が落ちている。

 黒く変色した地面のうえに転がったそれは、なにかの白骨死体だった。バラバラになっている。


「……小鬼ゴブリンだな。山犬にでも漁られたか?」

「それか、自然に白骨化したのかも。だとしたら、数か月はたってることになる」

「こんな森のなかで、白骨化するまで無事に放っておかれるとは思えんがね」

「……じゃあ、あれは?」


 キリエが顔を向けた先にあるものに、全員が顔をしかめた。

 山のように積み上げられた、


 いや――それがなにか、本当は誰だって一目見てわかっただろう。


 俺だってそうだ。

 なのに、“なにか”なんて考えてしまったのは。つまり、脳がそれを認識したくなかったのだろう。


 ――さっきから、ひどい悪臭がただよってきている。


 ゴミのように積み上げられた山。

 無数の小鬼ゴブリンたちの腐乱死体で、その小さな山は作り上げられていた。


「こりゃあ……あんまり、いい趣味とは言えねえなあ」


 さすがに軽口を叩くような気分でもないのか、フレッドのおっさんが嫌そうに呻いた。

 悪臭に耐えかねたのか、自警団の若手の一人がその場で嘔吐してしまう。


 キリエは臆することなく、その悪趣味なオブジェのようなものに近づいて、


「……比較的、まだ死体が新しい。多分、この数日のもの」

「数日?」


 ツカサが目を見開いた。


「じゃあ――最近、誰かがここに死体を運んできたってこと……?」

「そうなる。……でも、なぜ? 死体がほとんど漁られていない……腐肉食者スカベンジャーが近寄らない理由がある――? 警戒。それか、……罠」


 はっと、キリエが空を見上げた。

 全員に向かって叫ぶ。


「伏せて!」



 ――


 

 そんなふうにしか見えなかった。


 音はない。

 誇張なんかじゃない。

 本当に一切の音さえ立てず、それははるか高くから一気に、キリエに向かって襲い掛かった。


「ッ……、!」


 声にならない悲鳴をあげて、キリエが吹き飛ばされる。

 ちいさな身体が地面を跳ねるように転がっていく。


「クソったれ――!」


 フレッドのおっさんがそいつに向かって手にした槍を突き出すが、悠然とそいつは槍先を躱してみせた。

 空に逃れて――ばさり、と、そこではじめて羽ばたく音が大気を打つ。


「キリエ……!」


 ツカサが悲鳴をあげた。

 慌ててそちらに駆け寄ろうとする肩を、フレッドのおっさんが掴んで引き留めた。


「フレッドさん!?」

「落ち着きな、ツカサちゃん。……こういう時はな、パニクったら負けよ。さっきの小鬼ゴブリンみてえなザマにはなりたくねえだろ」


 少し離れた地面に倒れたキリエをちらりと見て、


「……あのちびっこなら、大丈夫だ。ギリギリで身を捻ってたのが見えたからな。とはいえ、爪の先でもひっかかっちまったらしいから、手当てしてやらなきゃならねえのは間違いねえが――」


 視線を上空へと戻して、


「下手に動いて、隙をみせたところを襲い掛かられたら一巻の終わりだ。俺たちは、あっさり全滅って羽目になる。……わかるな?」


 全員が、ごくりと唾を飲み込んだ。

 太陽を背にするようにして、こちらを見下ろすその存在の名称を、俺は知っている。


 全体の大きさは馬くらい。

 鷲の頭。鷲の羽に、ライオンの胴体。

 猛禽類の獰猛さと肉食獣の力強さを兼ね揃えた、あちらの世界では伝説上の生き物とされた――


「……ったく。鷲翼獣グリフォンとはな。そんな大物が、いったいどうしてこんなところにいやがるんだか」


 槍を構えながら、ぼやくようにフレッドのおっさんが言う。


「とっくの昔に冒険者を引退したロートルには、ちいっとばかし手にあまる相手だぜ……。しかも、


 掠れた声に応えるように。

 ――ばさり、と大きく翼を羽ばたかせて、もう一体の鷲翼獣グリフォンが地面に降り立った。



 新しく俺たちの前にあらわれた鷲翼獣グリフォンは、一体目の鷲翼獣グリフォンとはやや離れた場所に降り立った。

 そのまま、じっとこちらを見据えたまま動かない。


 ――一人もここから逃がさない。


 猛禽の眼差しが、はっきりとそう言っていた。

 遅れて、最初の鷲翼獣グリフォンも地面に降りてくる。油断なくこちらを睨みつけながら、ぐるるる、と唸り声をあげた。


「……いいか、ツカサちゃん」


 二体の鷲翼獣グリフォンから目を離さないまま、フレッドのおっさんがささやく。


「俺があいつらの気を引くから、そのあいだにあそこのちびっこを拾って、森のなかに逃げろ。あいつらの身体じゃそこまでは追ってこれねえはずだ。だからこそ、あいつらはこんなところにをつくりやがったんだろうからな」


 ――狩場。


 罠、と襲撃された直前に呟いたキリエの言葉を思い出す。


 そういうことか、と歯噛みした。

 俺たちは、まんまと罠にはまったのだ。


 ここは餌場だ。

 鷲翼獣グリフォンたちが、小鬼ゴブリンの集落跡を使って作り上げた。


「でも、それじゃフレッドさんが……!」

「リーダーなら、判断を間違えちゃあいけねえぜ、ツカサちゃん」


 言い返そうとするツカサをやんわりと抑え込んで、フレッドのおっさんは続ける。


「そんなに難しい問題ってわけでもねえ。全滅がいいか、一人がいいか? 犠牲が一人で済むなら、誰が行くべきだ? 元々、俺はこういう時のためにこそ、今回の訓練についてきたんだ。そうだろ?」


 ぐ、と言葉に詰まるツカサ。

 フレッドのおっさんはにやりと笑って、


「それにな。俺は別に見捨ててくれなんて言ってるわけでもねえ。森のなかに逃げ込んだら、そこであのちびっこを治療して、急いで戻ってきてくれればいいんだ。あのちびっこさえ戦闘に復帰出来たら、鷲翼獣グリフォンを追い返すくらいワケねえだろ」


 あ、とちいさく声をあげるツカサに苦笑する。


「おいおい、頼むぜ。俺がそう簡単にくたばってたまるかってんだ。なんとか時間を稼ぐから、そのあいだにちみっこを治療してくれ。回復魔法は使えたよな?」

「……使えます」

「なら、それで決まりだ。――そろそろ、あいつらが焦れてきやがった」


 こちらを窺うようにしていた鷲翼獣グリフォンが、今にもこちらに一歩を踏み出そうとする。

 槍の穂先が向けられると、ぐるると唸り声をあげて前脚をひっこめた。

 油断なく牽制しながら、フレッドのおっさんの視線が、強くこちらを見た。


「――頼むぞ、ナオヤ」


 その視線の強さに、俺は反射的にかけられた言葉の意味を理解していた。


 ――おっさんは、死ぬ気だ。


 きっと、キリエを回復させてから戻ってきても間に合わないと、フレッドのおっさんは悟っている。


 だから、俺に言っているのだ。

 間違っても、間に合わないのにツカサが助けに戻ろうとしないように、お前が止めろと。


 あとを頼む、と。そう言っている。


「……わかりました」


 男としてそんなことを言われて、断れるやつがいるだろうか。

 少なくとも俺にはそんなことできない。

 だからこそ、


「でも」


 今まさに鷲翼獣グリフォンたちに突撃をしかけようとしている背中にむけて、俺は呼びかけていた。


でしょ」

「あぁ……?」


 しかめっ面で、ちらとこちらを見やるフレッドのおっさんに、


「一人で二体を相手にするより、二人で二体を相手にするほうが、ずっと時間稼ぎしやすい。そうじゃないですか?」

「ナオヤ、手前……」


 一瞬、呆れたようにフレッドのおっさんは目をしばたかせて。

 俺の足元をちらりと流し見て、はんっと鼻で笑った。


「無理すんじゃねえ。膝ぁ、震えてんぜ」

「……いやぁ。なにせ今日が始めてなんで。正直、死ぬほどビビってますけど」


 俺は無理やりに口を笑みの形にひん曲げて、まっすぐに相手をみる。


「でも、無理してるわけじゃないんですよ。わかるでしょ?」


 おっさんの眼差しがじっとこちらを見据えた。

 元冒険者あがりというのもうかがえる、人を射殺すような冷静な視線が突き刺さる。


「……やれるんだろうな。言っとくが、こっちはこっちで手一杯になるだろうからな。手助けにはいけねえぞ」

「もちろん。そっちこそ、俺が助けにいかなくていいようにしてくださいよ」

「はっ。ヒヨッコが――」


 フレッドさんは楽しそうに表情を歪めた。

 俺はツカサを振り向いて、


「……ツカサたちは、キリエのことを頼む」

「ナオヤくん!」

「あと、ツカサにはもう一つ頼みが。俺が合図したら、。……言ってる意味、わかるよな」


 こちらに向かった手を伸ばしかけていた、ツカサの目が大きく見開かれた。

 その表情が苦渋に満ちて、――伸ばしかけた手をぐっと握りこむ。


「わかった。……無理しないで、なんて言えないけど。――気をつけて」

「あいよ。あ、ごめん。それ、ちょっと貸してもらっていい?」


 さっきから顔面を蒼白にしている三人の一人に頼んで、手持ちの長剣と短剣を交換してもらう。


 うん。やっぱりこっちがいい。

 


「あの。俺たちも、一緒に……!」


 震え声で言ってくるキースに首を振って、


「ツカサと一緒に、キリエの護衛を頼みます。人数が少ないと、そっちを狙ってくるかもしれない」


 俺が言うと、唇を噛みしめて引き下がってくれた。


「おう、ナオヤ。そろそろ、やっこさんども限界みてえだぞ」

「了解です。……じゃあ、あー。行きますか」

「おいおい、声まで震えてるじゃねえか、ほんとに大丈夫かぁ?」

「どうでしょうね……」


 ――さっきから、身体の底から、震えが止まらない。

 痛いくらい、頭がガンガンと鳴っていた。

 喉はカラカラで、呼吸の荒さは自分でもわかるくらい。

 足はさっきから震えまくり。走りだしたらすぐコケるんじゃないかと本気で心配になる。


 そんな俺の様子をみてとって、フレッドのおっさんが鼻を鳴らした。


「今更、やっぱりできませんなんて泣きいれるつもりじゃねえだろうな」

「……言いませんよ」

「そうかい。なら、いいことを教えといてやる」


 歴戦のおっさんはにやりと笑ってみせて、


「――。やられたところで、せいぜい死ぬだけだ。そん時ゃ、さっさとくたばりゃいい」


 どこぞのヴァイキングみたいなことを言い出した。


「……あいにく、そんなどこぞの戦闘マシーンみたいな真似は難しいっすね」

「難しいか?」

「難しいですよ。ただ、まあ……やってみますけど」

「おう。やってみろや。――行くぜ」

「了解です」


 フレッドのおっさんが力強く一歩を踏み出す。


「――――!!」


 こちらを威嚇するように、手前にいるほうの鷲翼獣グリフォンが甲高い声をあげた。

 鼓膜を破るような鳴き声にあわせるように、翼を大きく広げる。


 それに向かって飛び込むように、俺とおっさんは一気に駆け出していた。


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せっかく異世界転移したのに、俺だけステータスが見れません! 利衣抄 @rksl24

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