解決編

答えを求める警部を焦らせるかのように、パイプの火が明滅する。

「そうだな。それでも良いんだが――実はまだ不完全なんだ。犯人が誰なのか、どのようにして犯行に及んだのかは分かった。そして、黄金の林檎が今どこにあるのかもおおよそ見当はついている。

 しかし――動機が不明だ」

「動機? そんなもの簡単ですよ。黄金の林檎は、文字通り金の塊。芸術的な価値は抜きにしても、その目方から計算しただけで七万ポンド(日本円で1280万円)はする。金目当て以外に何があると言うんです」

「その金を必要とする理由が知りたいんだ。ああ、分かっている。これは個人的な興味だ」

 立ち上がって抗議しようとする警部を手で制止ながら、スペンサーは続けた。

「君の望みは、株式市場が開く午前八時までに事件を解決することにあったね。よろしい、それまでに必ず君に真相を教えると約束しよう。だから、今しばらく僕の我儘に付合ってくれないか。これは君への借りにしておくよ」

 そしてそれ以上警部に一言も言う隙を与えずに、ビルを出ると夜の闇に消えてしまった。

 そして、太陽が昇り始めた午前六時。彼の姿はシティから西に移動したビクトリア駅近くの洒落たデザイナーズマンションの前にあった。庭を横切って眠たげな門番がやってくると、彼は二言、三言、言葉を交わすと最上階へと向かった。

 迎え入れたのはロックスであった。睡眠時間は三時間しか無かった彼は眠気に焦点が定まらないままだったが、スペンサーを自宅に入れると濃いコーヒーを振舞った。その手は僅かに震えていた。

「このような格好ですみません。スペンサーさん。黄金の林檎について話があるとか。見つかったんでしょうか」

 紫色のガウンを見下ろしながら、ロックスが尋ねた。スペンサーは操作していたスマートフォンをポケットに滑り込ませた。

「これから見つかる。おそらく十分以内にね」

 そのあまりにも具体的すぎる返答に、ロックスは身体を震わせる。

「いったい、どこに?」

「ゴミ袋の中さ。こんなことは君に説明するまでもないだろう。だが、せっかくだ。僕の思考の流れを聞いてもらおうか」

 スペンサーは相手の鳶色の瞳をじっと睨み付けた。ロックスは居心地悪そうにそれを避ける。

「最初に争点になったのは、林檎の行方だ。まずブラッドフォードは建物の中にはない、と断言した。あのさっぱりしたオフィスを警察が人海戦術で徹底的に捜すのだから、信用して良いだろう。

 では、林檎が外に出たとして、どこから出たのか。あの建物の裏手はテムズだ。裏口はない。では、正面玄関か?」

 そして、先ほど警部に向かって話したのと同じように、ホーキンズ犯人説の否定を行なった。これは同時に共犯者がいないことも示している。

「言い方を変えるならば、これはホーキンズ以外の単独犯による犯行だ。その人物はホーキンズが立ち去った後、林檎をガラスケースから盗み出したことになる。しかし、それでは正面玄関から持ち出すことはできない。当然だ。あの建物はホーキンズが外に出る前に守衛によって封鎖された。ホーキンズの後から展示室を出た犯人が、封鎖前に外に出ることはできない。

 必然的に、林檎はそれ以外の出入り口――窓から外に出たことになる。実際、窓枠を調べたところ水滴が乾いた後があったよ。窓が開けられたとき、今朝の雨が吹き込んだのだろうね」

「しかし、それは犯人が開けたものにはならないのでは? ホーキンズが開けたのかもしれませんよ」

「忘れたのかい、修理をした照明は窓際だ。不安定な脚立に乗った状態で、わざわざ窓を開けて落下の危険を倍加させる人間がどこにいる。

 違うよ。あれは犯人が開けたんだ。犯人はガラスケースから林檎を盗み出し、それを窓の外へと投げ捨てた」

 自信たっぷりに言い切ったスペンサーを前に、ロックスは乾いた笑い声を上げる。

「スペンサーさん。お聞きになっていないんですか。ブラッドフォード警部も最初は窓を疑っておられましたが、川底からは何も発見できなかったんですよ」

 スペンサーは目を瞑って頷いた。

「そうだ。ブラッドフォードは実に惜しいところまで行っていた。彼にもしも自分を信じる心がもう少しあれば、事件は早く解決していただろう。

 窓から林檎が投げ捨てられた。川底には何もなかった。この二つを組み合わせるならば、答えは単純。林檎は引き潮に流されていったのさ」

「ありえませんよ。金の塊がどうやって」

「そうだ。黄金の塊が川に流されることはあり得ない。しかし、林檎は流されていった。つまり、今日消え失せた林檎は水に浮く偽物。大方、本物の林檎を金色に塗った程度の代物だ。

 犯人の行動をまとめよう。まず犯人は偽林檎を作り、黄金の林檎と入れ替えた。そして、ホーキンズを呼び彼が作業を終えた直後に応接室に入り、偽林檎を川底に投げ込んだ。そうして黄金の林檎があたかも今朝盗まれたかのように偽装した。この程度の簡単な事件なのだよ。

 だが、簡単とは言え犯人について重要な示唆を含んでいる。

 『犯人は偽物を作れるぐらいに、黄金の林檎に詳しい』『ガラスケースの開け方を知っている』『ホーキンズの後から展示室に入って、ガラスケースに近付きうる』」

「まさか、自分を疑っているんですか? 冗談じゃありませんよ。一体どうして自分の会社のものを盗むと言うんですか。それに、スペンサーさん。貴方の仰っていることはただの推測だ。そんな話を聞かせるために、こんな夜明け前に来たんですか?」

「そうさ。もっと言うならば君の部屋着を見に来た」

 虚を突かれたロックスの言葉が途切れたのを見て、スペンサーが会話の主導権を取り戻す。

「僕の推理が正しいならば、偽林檎は一体どこで作ったのかという疑問が湧き上がる。黄金の林檎はシティの名物、盗まれたと知られれば一躍トップニュースだ。そんなものの贋作作りを他人の目がある場所で行なうはずはない。人目がもっとも少ない自宅で製作するはずさ。ところでロックス、君のスリッパ――右足のつま先に金色の塗料がついているよ」

 何かに吸い込まれるように二人は黙り込んだ。ロンドンバスの音が奇妙に遠くから聞こえた。

「さて、君は動機について尋ねた。僕も気になってね、心当たりにいくつか問い合わせた。君、バークレイズ銀行の頭取は知っているね? 僕も彼とは友人でね。ポーカーでちょっとした貸しがあったんだが、それをチャラにする代わりに少々教えてくれたよ。

 ロックス。君は最近バークレイズに融資の依頼を断られたそうだね。しかも、同様のことが他の銀行とも起こっていたとか。ロックス=アンド=ミネルバ商会は資金繰りが相当に悪かったのだね。今回の一件は、そのせいか。

 黄金の林檎の価値は莫大だ。ブラッドフォードは七万ポンドと評していたが、あの作りの精巧さや知名度を考え合わせれば実際の価値の半分にも満たないだろう。必然的に掛かっている保険金の額も大きい。

 この事件は、黄金の林檎を使った保険金詐欺だ」

「ああっ、終わりだ! 終わりだ! ――そこまで、知られましたか。こうなってはもう言い逃れはできませんね」

 髪の毛を掻きむしって叫び声を上げた後、ロックスは青ざめた幽霊のような表情を見せた。

「その通りです。我が社の主力である半導体ですが、生成AIの流行で世界的大手IT企業が次々に参入してきましてね。後追いだというのに、莫大な資金力で有力な技術も製造元も買い占めていく。我々のような中堅ではまるで歯が立ちませんでした。みるみるシェアも奪われ、挽回のための資金がなくなってしまったのです。

 それでも策はあるんです。前々から目をつけていたベンチャーが消費電力を二〇%削減できるかもしれない技術を見つけ出したのです。これがあれば会社を立て直すことも、いやさらなる利益を産むことは間違いありません。

 ただそれまでの資金さえあれば……。

 スペンサーさん、真相を知っているのは貴方だけ。貴方さえ黙っていてくだされば――」

 スペンサーはステッキを床に強く打ち付け、饒舌な舌を黙らせる。

「巻き返せると信じているならば、どうして本当のことを言わなかった」

「そんなことできるわけがありません。落ち目の会社に金を出す人間はいませんよ」

「ロックス、僕の家も元は交易で身を立てたがね。我が家の家訓は『常にフェアであること』だ。これこそが名誉と信用を生み出す。君の行為にはそれがない」

「商会を守るためです」

「それで、非のない保険会社に負債を押しつけるのか? それはフェアではない」

「綺麗事だ、そんなもの! 他人の傷が何だと言うんですか。貴方だって商会に金を出している。商会が潰れたら、痛手を被ることが分からないんですか!? もっと建設的な話をしようじゃありませんか!」

 目を血走らせて叫ぶロックスだったが、対するスペンサーは顔色一つ変えない。

「君と話だって? 何を話せと言うんだい。君は卑怯な手を使って不当に利益を得ようとした。今この瞬間に僕を騙そうとしていないと何故言い切れる? いいかい、アンフェアは信用を失うんだ。覚えておきたまえ。君は黄金の林檎を投げ捨てたとき、積み上げてきた全てを自ら葬ったんだ」

 廊下から複数の足音が聞こえてきたので、スペンサーが扉を開けると、ブラッドフォード警部と、このマンションの門番が立っていた。門番の手には黄金の林檎が握られていた。

「旦那の言うとおり、そこの人が出したゴミ袋に入っていましたよ」

「サーが来るというので慌てて手放したんだな、指紋がべったりだ。さあ、社長来てもらおうか」

 ロックスを部下に連れて行かせた後、ブラッドフォード警部が敬礼した。

「お見事です、サー。これで事件の影響は最小限に抑えられます。今日がイギリスにとって暗黒の日になるところを救ったんです」

 スペンサーは小さく欠伸をして、肩をすくめた。

「そう言ってもらえたなら、夜更かしの甲斐もあったというものだ。悪いが、家まで送ってくれるかな。何せ今日の推理で一万ポンド(約二百万円)の赤字だ。どうやって取り戻すか考えるにも、まずはよく寝


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黄金林檎が落つる頃 黒中光 @lightinblack

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