第5話 遠い春⑤
「……『ローレルP』? もしかして『World is mine』の?」
「そう。よく知ってるな。まあ、大人気って自慢できる規模じゃないが、そこそこ登録者数はいると思う」
Utahaからは「おぉ……」と感嘆の言葉が漏れる。
「んで、俺は自分の曲をボカロじゃなくてちゃんとしたボーカリストに歌ってほしくていろいろ探していたわけ。それで見つけたのがお前ってこと」
「で、でもなんでちょっと会っただけで私だってわかったの? 手がかりになりそうなことなんて全然ないはずなのに」
「……あのなあ、それは俺が一番びっくりしてんの。ぶつかってきた女の子からUtahaと同じ声が出てくるなんて、天文学的な確率もいいところだ」
「声だけでわかったってこと……?」
「ああ。お前の歌を何回も聴いてりゃ、それくらいわかる」
歌声と話し声は発声の仕方が違うとはいえ、大元の声は変わらない。慣れてくれば歌声をもとに話し声を聞き分けることくらい、どうってことない。
俺は再びスツールに腰をかける。
「……ってか、何度かオファーのメールを送ったはずなんだけど。全然見てくれないのな」
「えっ? メールなんて一通も来てないけど?」
「はあ? そんなわけないだろ、ここ二週間で四、五通は送ったぞ? メールボックスをよく見てみろ」
Utahaは自分のスマホを開いてメールクライアントを立ち上げる。しかし、その受信箱に俺からのメールは入っていなかった。
もちろん迷惑メールのフォルダにも仕分けられていなかった。それはつまり、そもそもメールが届いていないということになる。
俺は何かに気がついてUtahaの動画の概要欄を見た。彼女のメールボックスと、動画の概要欄を交互に見比べる。
記載されているメールアドレスが間違っている可能性があると思ったのだ。そしてその仮説は、完全に当たっていた。
「……おい、概要欄のメールアドレス、間違ってんじゃねえか」
「うっそ、めちゃくちゃ慎重に入力して確認したのに」
「道理でメールが届かねえわけだ……」
俺はため息をついて肩をすくめる。
もしかするとUtahaを見つけた大手芸能事務所とか有名アーティストとかがいたかもしれない。彼女の才能に気づいた彼らはそのメールアドレスからコンタクトを取ろうとするはずだ。
だが肝心のメールアドレスが間違っていたら届くものも届かない。だから彼女は手つかずのまま、インターネットの底に沈んだままだった可能性がある。
しかしながら俺はこうして直でUtahaに出会えてしまった。
実はこれはめちゃくちゃ運がいいのかもしれない。
不遇な人生を送ってきた分の揺り戻しが、まさかこんなところで来るなんて思ってもいなかった。
「まあいいや。偶然も偶然だが、こうして出会えたわけだから良しとしよう。それに、どうやら俺と同じ高校みたいだし」
俺が高校生で、おまけに同じ高校だと言うことを告げると、彼女はまた違うベクトルの驚きを見せる。
「えっ? あんた高校生なの!? しかも同じ学校って……! てっきり私は……」
「中学生だと思ったか? ……まあそうだよな、身長低いし、声は高めだし、ガキっぽいよな俺」
「い、いや、『ヤ』のつく危ない人だと思ってた……」
俺はUtahaの予想外の返しに思わずずっこける。
どうやらさっき、俺がハッタリをかましたときの右手にあったタトゥーを見ていたらしい。
助けてほしいと懇願していていっぱいいっぱいだったくせに、そういう細かいところはよく見ているのだなと俺は心の中でUtahaにツッコミを入れた。
「ばーか、このタトゥーは何かの悪そうな集団の一員であることを示すものじゃないよ。こんな背格好だとナメられやすいから、こういうハッタリも必要なわけ」
「そ、そうなんだ……。よかった……。私てっきり、本当にやばい所に売られて行くのかと思っちゃった」
「まあ、売る気になればそういうツテが無いわけじゃないけどな」
「ひっ……」
「嘘だよ嘘。俺はこう見えて割と真っ当に生きてるから安心しろ」
そう言う割に学校には保健室登校をしているわけだが。そこは黙っておく。
「ちなみに何年何組なの?」
「どうやら二年H組らしい」
「らしいって……さすがに嘘でしょ? 私も二年H組だけど、あんたみたいな人見たことないよ?」
「だろうな。一度も教室に行ったことないし」
すると、Utahaは何かに気がついたようだ。
「も、もしかして、あんたが噂の月岡道長なの? 新学期初日からずっと欠席してるっていう」
「お、名前まで覚えてもらえてるなら光栄だな。俺も有名人になったもんだ」
という感じで冗談を言い放つ。しかし、Utahaにはいまいちウケが良くなかったようだ。
「真っ当とか言いながら、全然学校に来てないじゃん。嘘つき」
「嘘はついてない。ずっと保健室にいるだけだ。学校には行ってる」
「そんな屁理屈こいてる余裕あるなら、授業くらい出たら良いのに」
「あいにく、授業なんか受けなくても頭のデキが違うもんでな」
今度こそ俺の嘘に騙されまいぞと、彼女はジトッとした視線を俺に向ける。
ふとその瞬間、部屋のインターホンが鳴った。どうやらデリバリーしたスープカレーが届いたらしい。
配達員から受け取ったそれを、ローテーブルに広げる。しばしの間、食事タイムだ。
「ほら、食えよ。チーズチキンレッグ女」
「テキトーな呼び名つけないで。……
「……うわ、お前ほぼ本名で活動してんのかよ」
「い、いいじゃない別に! 世の中にそういう歌手とか俳優さんとかたくさんいるし!」
確かにそうだなと俺は適当に相槌を打ち、スープカレーの入った容器を開ける。
スパイスの香りが鼻を突いてきて心地が良い。
さっきまでラーメンの気分だったが、それをごっそり上書きしてしまう魅力的な香りだ。
「あんたのそれ、何?」
「これか? これは納豆キーマカレー」
「うわぁ……カレーに納豆いれる人だ……」
「何言ってんだ、カレーには納豆が一番合うだろ」
「あり得ない。ちょっと近づかないでくれる?」
「同感だ、この旨さを理解できないやつには俺も近づきたくない」
何故か初対面のくせに「カレーに納豆をいれるかどうか」論争で俺たちは対立してしまう。
食の好みに関してはお互いに歩み寄ることなど絶対にないだろうから、これ以上バトルをするつもりはない。
だから黙々と食べ進める。ちなみにもっとお気に入りのスープカレー店が俺にはいくつかあるのだが、この時間にデリバリーできるところがここしかなかった。スープカレーについて語ってしまうと夜が明けてしまうこと間違いなしなので、これはまた別の機会にしておこう。
食べ終えると、詩羽は両手を合わせて「ごちそうさまでした」と小さく唱える。
俺はこの娘のことを夜中のすすきのを全力疾走していた不良女子高生だとばかり思っていたが、こう見ると案外真面目そうに見えなくもない。
というか、すっかり忘れていたが、どうして詩羽は制服姿で男から逃げていたのだろう?
彼女が俺のことをイマイチ信用していないのにも、そこが関係しているかもしれない。
ローテーブルに乗っていた空容器を片付けている詩羽に、俺は質問を投げかけてみた。
「そういや、どうして追いかけられてたんだ? あの男、だいぶ怒ってたけど」
「……話さないとだめ?」
「だめじゃないけど。スープカレー代くらいは話せよ、気になるから」
「うぅ……わ、わかった」
どうやらこの娘は金銭の話をチラつかせると弱いらしい。
詩羽は気乗りしない表情をしながらも、先程の事が起こったそもそもの発端から話し始めた。
次の更新予定
薄命の僕、歌姫の君、世界に刃向かう反撃のうた。 水卜みう🐤 @3ura3u
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。薄命の僕、歌姫の君、世界に刃向かう反撃のうた。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます