第32話 片目の大蛇
草原から離れた場所で馬は足を止めた。
遠くからでもわかる大蛇の大きな体に血が引いていくのがわかる。草原で待ち伏せされていたのだろう。来た道にあった大木より小さいくらいだだろう。しかし身体の厚さは大木の幹以上だ。硬化している鱗に自在にうねる尾、口からは何か、毒のようなものを出している。
あれが二体も?
目の前には一体にしかいない。しかも片目は潰されていない。じゃあ、新しい一体を騎士団が相手しているとなると――俺は上を見た。
「ティバルラ様!」
上空の竜を狙って蛇が崖の上から身体を伸ばす。草原で現れた大蛇の比ではないくらい、全長の長い大蛇だ。片目の大蛇は裂けた口を大きく開いて、なにかを吐いた。
竜は交わしてすぐに体勢を整える。吠えるような音が天に轟く。まるで挑発しているようだ。
負荷の影響で落馬する前に降りなければ――そう思い、俺は馬からゆっくりと降りて、辺りにある木蔭で身をひそめる。
じわじわと身体が熱くなっているのがわかる。ティバルラ様が本格的な戦いへ移行しようとしているのがわかる。竜の雄叫びは、おそらく片目の大蛇をもう一匹と引き離すためだ。
ティバルラ様は一人で片目の大蛇を相手に取る気だ。けれど俺にできることはなにもない。戦うことはおろか、近くに行けば厄介ごとを招くだろう。足手まといになることだけは避けたい。
俺が戦場へ来た理由を改めて思い出す。
「塗爪師の作用は遠方からでも効く。ならば、より身近に塗爪師を配置できたら、効果は上がる、もしくは別の効果が現れるのではないか、という内容だ」
以前ティバルラ様に言われたことを反芻する。この討伐戦は一つの検証に過ぎなくて、それに俺の戦場は爪の上だ。検証するにしては最悪な場面を選んでしまっている。
検証したいのは配置によっての効果、あるいは別効果の期待。検証するには、まずはティバルラ様の邪魔にならない程度の場所に移動しなくては。幸い、馬の判断のおかげで応戦中のどちらにも距離は取られている。
馬が息を吐いて、こちらを見る。俺の思っていることはわかっているようだ。
「心配なのは、落馬だけか」
一度瞼を閉じてふうとため息をつく。震える足をぱんと叩く。
「なら行くしかないよな」
行きたい方向を指さして伝える。それから馬によじ登ってまたがり、声をかけた。
「行くぞ」
すると馬は鼻を鳴らして俺の方を向く。たてがみに掴まって顔を近づけると、馬は真正面を向いて駆けた。どうやらちゃんと捕まれとのことだったらしい。
風が身体全身を過ぎていく。髪は宙を舞って、身体は上下に揺れて、塗爪のせいか身体にはぴりぴりとかすかな刺激が走っていく。それでも落ちないようにと馬にしがみついた。
痛みに慣れることなく痛みを受け入れる。痛みに支配されることのないように痛みに抗う。
竜が徐々に地上に接近する。追い詰められているのか、ティバルラ様を逃すためなのかはわからない。
「往けティバルラ!」
「だが!」
そう言って竜は大蛇から隠しながら、ティバルラ様を地上に落とした。ティバルラ様は落ちたのは崖付近で、ティバルラ様は剣を両手で握ったのが見えた。
――腕の強化!
それがわかった瞬間に、小さな糸がぶちぶちっと勢いよく切れていくような痛みが両腕を駆ける。
こんなに身体の部位と一体化した痛みははじめてのことだった。
「ぐ、ぅ……!」
たてがみを掴むのが難しくなるほどに、痛みが増していく。指先まで力が入らない。幸いにも馬の身体にもたれるような姿勢を取っていたことと、馬が俺の様子に気がついて走るのを止めてゆっくりと歩いてくれたから叩き落とされて地面に頭を強打して死ぬことはなかった。
「ぅあ……!」
だらりと脱力した右腕に重心が寄って、バランスを崩した。落ちる、と思った時にはもう地面で、思わず目を閉じた。
「あーあぶねえ……」
騎士様が、片手で俺の背中を抑えていた。そのまま騎士様が自身が乗る馬に俺を乗せてくださった。
「大丈夫か!?」
「なんとか……それよりもっ」
そう言って崖の方を見るが、姿はない。
「先程団長が落下を回避したところを見た。それにザクリヤ殿が撤退の指示を求めているところだろうが……」
「向かうことは可能ですか」
俺は涙と涎まみれの顔を拭い、躊躇うことなくそう言った。
「ススラハ殿ならやはりそう言うか。やはり団長譲りだな!」
騎士様はすぐに馬を走らせた。けれどまっすぐではなく、二体の大蛇に接近しないように崖へと向かった。片目の大蛇には竜が応戦して、もう片方の大蛇は騎士団が食い止めていた。
酷く腕が痛む。屋敷の時とは比べものにならないくらいの衝撃に、冷や汗が止まらない。うっかり舌を噛まないようにしっかりと噛みしめて、ひっしに痛みを意識する。強く、強く意識を保て。
ティバルラ様とザクリヤ様が見えて、声が聞こえてくるくらいに近づいた時、ザクリヤ様が声を荒げていることに気がついた。
「撤退の指示を! 一度立て直すべきだ!」
「いや、まだ――」
「アンタッ、ススラハがいるんだぞ!?」
自分の名前が聞こえた時、ティバルラ様と眼が合った時がした。わずかに眼を見開いて、傷ついたような顔をしておられた。
「ススラハ殿!」
馬を動かしていた騎士様が、俺を呼ぶ。痛みに沈んでいく身体がこれ以上引き留めるのは限界だと言うように、俺は意識を手放した。
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