第29話 与えられたティバルラ


 光のような真っ白を纏ったティバルラ様は、とにかく見慣れなかった。でもいつもより惹かれるようで、つい目で追ってしまう。


 来た時と同じようにティバルラ様と同じように一緒に馬に乗ることを思い出した時、心臓の音が精霊にまで届くんじゃないか少し不安になった。


 順調に森を抜けていく。行きと違うのはザクリヤ様が復帰したことだ。俺が思った以上に治りが超人的に速い御方だった。


 結局精霊たちは姿を現さなければ、ひそひそと話し合う声も聞こえなかった。思わずあたりを見渡す俺に、ザクリヤ様は振り向きはせず「気になるか」とだけ問われた。


「精霊サマたちはいつもこうだよ。戦いに行く俺たちを良しとしないんだ。なんでだと思う?」

「……帰ってこないかもしれないから?」


 ザクリヤ様の問いかけに俺は迷いながらもそう答えた。するとザクリヤ様は自虐的に笑い終えた後に「そうだよ」と小さく言った。


「でも戦わないと俺たちの居場所はなくなるんだ」


 精霊は気づいているのだろう。精霊自分たちとは共存できているのになぜ、と。けれど、はじかれない存在とはじく存在の違いを知らない。命に分別なく力を与える側なのだから。


「精霊は痛みから遠い存在だから、それがわからないんだ」


 想いの庭で出会った精霊を思い出した。俺には、あの精霊は痛みを知っていたように見えた。それとも俺を揺さぶるためだけに?


 この森の精霊は、ここで多くの人々に出会い、ともに過ごしてきた。なにも感化されないわけがない。かれらなりの慈しみがあるのだとしたら、そう見せたほうが騎士たちは戦場に行きやすい。無垢に笑って見送られるのはつらいと、人の記憶から知ってしまったのなら。


 その時、耳元でくすくすと声が聞こえた。


「気にしないで」

「だいじょうぶだよ」


 精霊たちだった。きっとティバルラ様やザクリヤ様には聞こえていない。


「これは少ないけど餞別」

「また会えるますように」

「また会えるよ」

「またね」


 餞別になにをもらったのかはわからない。けれどかれらの「また」という声が俺の力になることを、俺は良く知っている。





「では頼んだぞザクリヤ」

「承知しました。ではまた」


 森を抜けて、アリシャラ公の領地を出て遠征先に向かう。多くが馬に乗って進んでいく。その間の指揮はラフィリヤ騎士団長補佐のザクリヤ様が任せられた。ティバルラ様は竜を呼ぶために待機するという。



 俺はどっちについて行けばいいのかわからなくてもたついていると、ティバルラ様に呼ばれる。


「ススラハはこちらへ」

「ススラハもまた夜に会おうなぁ」


 ザクリヤがそう言ってけらけら笑った。それから振り向くことなく部隊を動かしていった。

 竜を待つ間の静寂が身体に響く。ちらりとティバルラ様の方を向くと、相変わらず不機嫌そうに眉間にしわを寄せて瞼を閉じていた。


「ティバルラ様。竜と会うのに、俺がいても大丈夫なんでしょうか」


 竜騎兵自体貴重な人材だということはなんとなくわかる。竜は天からの恵みを人に与える縁起のよい動物だ。


「ああ。竜を呼ぶのは、今回が最後になるかもしれないからな」


 そう言われて「なぜですか」と訊くと、ティバルラ様は瞼を開けて俺の方に顔を向き、相好を崩した。


「お前に出会ったからだ」


 ザクリヤ様の部屋で手に取った本の一部がよみがえる。


 竜が個人に恵みを与えることは少ない。個人に与えるにしては恵みが大き過ぎるからだ。個人で持つべき富ではない。けれど百年に一度、あるいは千年に一度、欲を失った者と竜が出会った時、竜は自らを与える。枯渇する以前に、壊れて意味を為さない器に情けをかけるように、その者を人に戻すべく、自らの身を捧げるように与えるのだ。


 本来ならば、喜ばしくないことだ。なんたって唯一かもしれない竜騎兵を潰す行為なのだから。一瞬はそのように傷ついた。けれど、竜を手放すのに御顔をほころばせて告げるティバルラ様を見て、強張っていたはずの顔の力が自然と抜けていった。


 目を逸らしてはならないと思った。拒絶を許したくない。体温が上昇していく。竜の翼が風を切る音が聞こえる。それでも、この御方が目を逸らすまで、俺はまばたきすらも許してはならないと固く思う。


「ススラハ」


 ようやく伏せられるそのまなざしは、やわらかい光を未だかくまっていた。

 そっと肩を抱かれて、俺の身体がティバルラ様の方に引き寄せられる。それでようやくティバルラ様の御顔が視界から見えなくなる。息が止めていたことに気がついて、静かに呼吸を取り戻した。


 風が吹き荒れて、前髪が暴れるように舞う。


「――私にできないことを為したのはやはり人の子、か」


 竜の声が聞こえる。怒っているわけでも嘆いているわけでも、喜んでいるのでもなく、ただティバルラ様を憐れんでいるように思える息遣いだった。ティバルラ様は短く「ええ。そのようです」と答えた。


「わかっているのなら、なにも言うまい――ただ。ただ、人の子よ」


 竜は地面にひれ伏してまで俺の表情を、瞳の奥を覗いた。見つめられた時、ぶわりと全身の毛が逆立ったような感覚があった。それに気づいたのか、竜はすぐにまぶたを閉じて、先の未来に願うように呟いた。


「ティバルラを頼むぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る