第26話 失いたくないススラハ
夢を見た。とんでもなく嫌な夢だった。寝返りを打って前髪が汗で額に張り付いていることに気づく。
「前髪、伸びたな……」
ティバルラ様の屋敷では、お互いに長くなった髪を切らせて誰が上手く切れるかを試していた光景があったことを思い出す。水盤に野菜や果物を入れて冷やしてみたり、どちらが洗濯物を早く干し終えるかを競ったり、とにかく独自の娯楽を生み出すのが上手い人たちだ。ああいう場所を経験すると、そういう楽しみを優先したくなる。髪を切る楽しみは屋敷までとっておくことにした。
服を着替えて暇つぶしがてらに、散歩に出かける。どうせ給仕や洗濯などの仕事はホルーリアが許してくれない。
城内を散歩するのがすきだ。ティバルラ様は東の森をよく窓から眺めていた。東の森の方からはよく鳥の鳴き声がする。あと城の窓から見てわかったことだが、森がよく色づいていて見ていて楽しみがある。
ザクリヤ様は別館にある図書館によくいる。部屋にも御本がたくさんあったし、好きなんだろう。気になっていた本があると聞き、図書館に向かっていると、演習中の騎士たちの姿を見かける。ザクリヤ様もあの中にいらっしゃるのかもしれない。いつも図書館に行くわけではないだろうし、そもそもあの御方も騎士だ。
遠くから演習を少しだけ眺める。武器や武具を装備して馬や竜に乗るだけじゃない。戦術も野宿のやり方も一人一人叩き込まなければならない。その上で自身の肉体や精神面の調子を常に整える心得も必要になる。
かつて憧れていた騎士は思ったよりも泥臭く、なによりも命懸けだ。騎士を支える塗爪師であれることが何よりの誇りだと思う。
だからティバルラ様と縁を繋げてくださったザクリヤ様には感謝しかない。
「ススラハ。こんなところでどうしたんだ?」
足取りよくこちらに向かって歩いてくるザクリヤ様は泥だらけだった。もう演習にも参加しているのだろう。怪我の治りが本当に早い御方だ。
「そういえばお前、はじめて会ったときから髪長くなったな」
嫌な予感がする。
「よしゃ、俺が散髪しよう」
ここでも他人の散髪って娯楽なんだ……。
ほかの騎士様達に見守られながら、散髪される塗爪師って俺の他にいるだろうか。
「大丈夫だ。ザクリヤ殿は剣の腕前は程々だがナイフ捌きは良い感じだ」
「良い感じじゃないときもあるけどな」
「とりあえず、逃げるのはやめたほうがいい」
「お前等うるせーぞ!」
外野の騎士様達の言葉を聞き流しながら、どうか血だけは流しませんようにとひたすら願いながら前髪を切っていただく。
首元に切られた髪がはらはらと落ちていく。後ろに立ったザクリヤ様から「下向いて」との指示を受けて、その通りに姿勢を変える。首元を預けている。刃が首元すれすれを動いているのがわかる。騎士様たちがザクリヤ様のナイフ裁きを見て感嘆する。
大切なものを失うかもしれないという気持ちが心臓を強く動かす。
「……やっぱり怖くなるな」
「何に?」
ひとりの騎士様が俺の独り言に気づいて、返事をしてくださった。
「何も失ってないことが」
うつむいたまま、俺はそう答えた。騎士様が息を飲んだ音が聞こえた。
「夢を見たんです。夢の中で、こんな恵まれた環境で育ったのになんで自ら戦場に行くんだ、と問われました」
いつの間にか、騒がしかった周りも俺の言葉を聞いていた。
「……それで君はなんて答えたんだ?」
先程とは違う別の騎士様が俺にそう問うた。
「失いたくないから、と言いました。そうしたら目が覚めました」
ザクリヤ様の握っているであろうナイフの柄が首元に当たった。硬い触感だった。こんな軽さの物に己の命を託すし、他の命を奪うために動かすんだと思うと、怖さが増した。
塗爪師としての覚悟を俺は本当に持っているのだろうか。
悶々としていると、ザクリヤ様が「完成だ」と言って、水辺に連れていかれる。その間に、また別の騎士に「なあ」と声を掛けられた。
「さっきの話だけどさ。なにも失いたくないんだろ。じゃあ怖くても大丈夫だ。君の持つ恐怖はきっと君の力になるよ」
持っている言葉を必死に手繰り寄せて、俺に向き合ってくれるその姿は、遠くで戦っているより身近な騎士だった。
「ごらんよ。今の君の姿を」
そう言われて水辺で自分の姿を確認する。前髪と襟足が短くなっていることに驚いた俺がいた。ヘンな感じに仕上がっているわけではなく、ちゃんと今の俺っぽい感じだ。
「……大丈夫そうな顔をしていますね」
「だろ?」
新しくない、いつもの俺が微笑んだ。
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