第25話 夕陽とティバルラ
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目が覚めると、ティバルラ様はアリシャラ公の屋敷から既に出発していた。アリシャラ公から一室部屋をお借りすることになったが、特にやることがなくたまたま出会ったホルーリアに「やることはないか」と訊ねたが、「寝てな!」と一蹴された。
仕方なく自室に戻ろうと廊下を歩いていると、顔の包帯が少し薄くなったザクリヤと出会った。
「お暇かな?」
「ザクリヤ様」
「だったら俺のお話相手になってくれないか」
ザクリヤ様に手招きされて、部屋にお邪魔させていただくことにした。ザクリヤ様の部屋はティバルラ様の部屋とは違い、物にあふれている部屋だった。とにかく本が多い。ティバルラ様の屋敷には、紙自体ほとんどなかったから少しわくわくする。この部屋だけでも知らない物で溢れていた。
「薬草の礼だ。好きに見てもらっていい」
学舎以来の紙だったから懐かしさもあって、いろいろな本に触れて埃っぽい過去の香りや、インクや紙の手触りをしっかりと味わう。指先と手全体でもまた触り心地が違うようにも思う。
「どう? ティバルラ様とは」
「どう……と言いますと?」
「ティバルラ様は少し真面目過ぎるからさ。傷ついていないか心配だったんだよね」
ザクリヤ様の御言葉で思い出すのは、ティバルラ様の足元だった。傭兵時代に凍傷でなくした指、切り過ぎた爪――それらの傷を負いながらもあの御方は前進する。
そして次に思い出すのは右手だけに塗った、何の変哲もない夕陽色の塗り爪の塗装だった。
「……夕陽色の塗装」
そう言ってザクリヤ様の方を振り返った。驚きと気まずさを足したような困った顔つきだった。すぐに視線を逸らしたザクリヤ様は、目を瞑って一度ため息をつかれた。
「やっぱ持ってるよな……」
「ザクリヤ様はご存じなんですね」
「……まあ」
沈黙がこの空間を占領しようとしている。本人がいないところで話を聞くのはどうも気が乗らない。それはザクリヤ様も同じだろう。
それにおおよそ見当がつく。きっとあれはかつての仲間の形見かなにかなんだろう。
「でも、どうしてそれを知っているんだ?」
俺は本を棚に返してザクリヤ様の近くに移動した。
「右手に塗ってほしいと頼まれたのです」
そう俺が言うと、ザクリヤ様の表情が一変して、なにかを堪えるような顔つきになった。それからすぐに微笑んで、服の中から小さい瓶を取り出した。
「これとよく似た色だろ」
きらきらと光を吸い込んでいるような夕陽色だった。
「騎士特有の癖でなのかもしれないな。戦線離脱していったヤツの塗爪を収集しちゃうんだよね」
そう言いながらザクリヤ様は塗爪を施されていない己の両手を眺めた。
「この塗爪をした騎士はすげえ貧乏性のヤツでさ、利き手の右手にしか塗爪をしなかったんだ。そうだそうだ」
今まですっかり忘れていたことを自らの爪を見て思い出していくザクリヤ様を見た時、塗爪は騎士であることの存在証明でもあることを知った。
同時に塗爪は戦場へ引き戻すものでもある。
「そいつも大きな怪我をしてさ……俺はまた戦場に戻るけどさ、そいつはもう戻れないと思う」
そう言ってザクリヤ様はすっと夕陽色の塗装が入った瓶を戻した。
「戦線離脱しても傍にいて欲しいと俺たちはどうしても思うんだ。そうしないと生き残り続ける俺たちはあまりにも寂しいし、怖いから」
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