第21話 倒れないススラハ

 震える唇では声はなかなか出せなかった。戦場に立つ側の人々を、まぼろし越しにではあるが、はじめて見た。最善を尽くしてもどうしようもないことが連鎖する場を。


「君も、他のやつらも特に気にも留めていなかっただろ。どうしてあの子たちの帰りが遅れたかを」


 懺悔するティバルラ様の様子を思い出す。あれはあの御方なりに気持ちが沈み、どうにかして自身を奮い立たせようとした結果なのかもしれない。俺が包帯を巻き直した日であり、俺がこの先のティバルラ様を信じると誓った日。


 精霊の声が真正面から聞こえた。


「ティバルラたちはね、君が日向で伸び伸びとしている間も戦うんだ。彼方の殿に何ができる?」


 とてもいじわるな精霊だと思った。そういう世界で生きていることわざと復唱されて、その上で無力であり続けるしかないと線引きをしている姿勢を咎められている気分だ。無力は無害ではない、そう言われているように感じた。


 それがとてつもなく嫌だった。


 俺は足に力を入れて、立ち上がる。憧れだけでは、決して立つことのできない場所に立ちたい。尊敬だけではたどり着けない彼方までお供できるように。


 握りこぶしの中にある紙の触感を味わう。紙の角が曲がりながらもちくりと肌に食い込む。


「……少なくとも、ティバルラ様が大丈夫であることは俺が約束できます」


 俺はできるだけ平然とした態度でそう精霊に、そして自分にも言い聞かせた。


「俺の戦場は、戦場に在らず。だからこそ俺は倒れない」


 祈るように爪を塗るだけの時代はもう終わっている。さらに与えられた力を用いることで、塗爪師はついに大切な人の隣に立つことができた。戦えない人間にも土俵はある。


「ティバルラ様の塗爪師になった俺はそう簡単に崩れないんで」


 塗爪師だって、戦える。


 そう俺が言うと、精霊はしばらく黙り込んだ。なにやらいろんな方向から複数の視線を感じる。


「ふぅん。君、良い性格してるね」

「どうも」

「君みたいなヤツをいつか泣かしてやりたいね」


 ふんと鼻を鳴らした精霊が遠のいていくような感覚があった。庭に風が舞って、髪の毛が暴れる。よろけて足を一歩踏みだす。足元には吹き荒れる風に蕾を揺らす野草があった。風が止むと、蕾がゆっくりと花開いていく。


「花の周りの薬草を摘んで。わかるでしょ、青々としたのが薬草だよ」


 精霊の言葉通りに花の周りに茂る草をできるだけ土に近い部分の茎から折る。


「がんばってねススラハ」


 そう言われてから、精霊の声は聞こえなくなった。


 彼は薬草の精霊だったのかもしれない。ずいぶんいじわるだったなと、思いながらも俺は地面を強く踏みしめて立ち尽くしていた。

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