第20話 お人好しのザクリヤ
ザクリヤ様とはあれ以来一度も顔を合わせていない。けれど確かに俺はあの人に見つけられた。あの人に出会ったからこそ、今ここにいる。
「ザクリヤはね、とってもいい子なんだよ」
精霊の顔は見えないが、きっと微笑ましく見ているのだろう。のんびりとした口調で俺に教えてくれる。
『あなたのことだから、塗爪師の負担は他より大きくなるでしょう。なんたって消費量が違うんだから』
身体の構造が違うからこそ、塗爪師になる女性たちは心身ともに健全で逞しくならなければならない。ホルーリアもそうだったし、俺自身も身に覚えのある話だ。
『他の者なら倒れている傷でも貴方は平気で動き回る。でも重傷は重傷だ。それを、
ティバルラ様の眉間の皺が濃くなる。閉じていた口元に力みを感じた。
『
ティバルラ様がザクリヤ様の方を振り向いた時、彼はすでに目を閉じて眠りについていた。
「戦場に向かうこの子たちは、とても不器用なんだよ。だって知らないんだもの。剣だけを握ってきたんだから」
ただ冷静に分析するように話す精霊の声にはっと我に返ると、視界もまた先程と同じように変化していった。
ぽつぽつと空から雨粒が落ちてくる。やがて落ち着いていた風が暴れはじめた。よろけるほどの横殴りの暴風雨のなか、目を開けるとラフィリヤ騎士団が暴れる大蛇と戦っていた。騎士たちは雨風に身体を冷やされながら剣を持ち立ち向かっていた。
歩兵が剣で大蛇の身を斬ろうとするが、硬い鱗が邪魔でなかなか刃が貫通しない様子だった。大蛇は尾を振り回して歩兵を薙ぎ払い、口からはなにやら目つぶしのような液体を吐き出した。
一部の歩兵がそれで地面に倒れ込むのを見て、ザクリヤ様は「怪我のあるものは一度撤退しろ!」と声を荒げる。形勢不利なのは戦闘経験の薄い俺が見てもよくわかる。
倒れ込んだ騎士たちをなんとか撤退させたいが、思うように事は進まない。それどころか人質を取るように尾で自らの方に引き寄せようとする行動も垣間見える。ザクリヤ様自身も頭からの出血がある。ふらつく視界の中、それでもと必死に隙を伺おうとしていた。
その時、前方からやってきたティバルラ様がザクリヤ様に指示を促した。
『ザクリヤ、皆を安全な場所へ誘導してくれ』
ティバルラ様は後方にいた武器持ちから大剣を受け取り、傍で待機していた騎士団の唯一の竜に乗り込み、単騎で空へ駆けた。
『――ティバルラ様!』
ザクリヤ様の声はもはや届いていない。ザクリヤ様は奥歯を噛みしめて皆に撤退を催促する。痛みが走る足を無理やり動かしながら叫ぶ。
『動ける者は、負傷者に肩を貸して後退だ! はやく!』
ザクリヤの声に大蛇が反応して追いかけようと身を這いずろうとした時、ティバルラ様は大蛇の真上の空まで到達した。
『お前の相手は私だ』
その瞬間、竜が雄叫びをあげた。それで大蛇はようやく上の存在に気づき、顔を上げた。竜の咆哮と共にティバルラ様は竜の背から大蛇の大きな瞳目掛けて飛び降りた。ティバルラ様が剣を構えると、腕に紋が浮き出た。それは塗爪師による強化付与の紋だった。
ティバルラ様は大蛇の片目に大剣を突き刺した。
大蛇のけたたましい悲鳴は大地を揺らした。負傷兵の中にはその声に慄いて気絶する方もいた。
しかしティバルラ様は動揺せず、目に突き刺した大剣をすばやく抜いた。血にまみれてもティバルラ様は冷静に対処した。対して痛みに暴れる巨体は地面に尾を乱暴に叩きつけてもがく。
大蛇の尾が縦横無尽に暴れているのを見て、ティバルラ様が騎士団のところへ戻ろうとした。それと同時に大蛇の荒ぶる尾が撤退した隊目掛けて伸びてきて、負傷兵に襲い掛かった。
「かわいそうなザクリヤ」
ふふ、と笑みをこぼしたような声で、精霊はそう呟いた。精霊の声を合図に、視界は庭の景色に戻った。
俺は唖然とすることしかできなくて、その場にへたり込んだ。
倒れたのはザクリヤ様だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます