第11話 信じよティバルラ

「今日は――」


 塗爪の準備をしていると、ティバルラ様が俺の言葉を遮る。


「足の爪の再生はもうしなくていい」


 いつも通りの遮り方で、俺は思わず笑った。「なにかおかしいことを言ったか」とティバルラ様が小首を傾げる。


「いえ。そのつもりでした。では、お手を」


 ティバルラ様は少し驚いた表情で素直に右手を出す。その様子もまたおかしくて、俺はまた微笑みながら塗爪の加護をかけていく。


「実は要らないおせっかいをしたなあと後悔しておりました」


 ぴくりとティバルラ様の指先がわずかに動いた。


「どういうことだ?」


 差し出された手の甲にすら大きな傷が見える。剣を使えばこうなることは当たり前になるのだろう。痛みはなくなっても傷はこうして残っていくのだ。この傷も、この御方を形成する一部なのだ。


「傷は傷痕です。自然治癒後の姿です。ですから、今の貴方だけではなく、過去のティバルラ様を否定しかない行為だ」


 俺は片時も塗爪から目を逸らさない。


「俺は塗爪師ですが、時には貴方の命を握るであろう大きな力を付与します」


 生意気なことを言っている自覚はある。でも、言わずにはいられない。それであなたに理解していただけるのなら。


「ですから俺が一方的に無事を祈るような関係ではなく、貴方が塗爪師を必要とする時、名を呼んでいただけるような相互関係でありたいのです」


 そう言って顔を上げて、ティバルラ様を見つめて微笑んでみせる。


「では右足に移ります」


 親指をさっと塗り終えて、新しいつけ爪をつけていく。それで俺は左足のつけ爪を用意しながら次へ次へと作業を進めていく。


「次は左手をお願いしますね」


 そう言って振り返るが、手は差し出されていなかった。それでティバルラ様の様子を伺おうと顔をあげると、そこには今までとは明らかに違う表情をしたティバルラ様の御顔があった。いつものように眉間にしわを寄せているが、明らかに恥ずかしそうに俯いている様子だった。


「――お前は」

「俺は、貴方の塗爪師としてここにやって参りました。大袈裟かもしれませんが、力を授ける今となってはあなたの半身だ」


 その時、ティバルラ様は身を乗り出し、俺の胸倉を掴んで壁に押しつけた。その表情はどこか痛みを抱えているように歪んでいた。首元を締めるように力を入れたのがわかる。


「お前は塗爪師だ。それ以上にはなれない」

「わかっています」


 俺は抵抗せずに、ただ振りかざされた力を甘んじて受け入れる。


「なぜ私に尽くせる」


 以前と同じようにティバルラ様はただ問いかける。


 その答えをとうの昔に俺は持ち合わせていた。


「だって貴方の強さを知っている」

 

 きっと彼は遺され続けた側だったのだろう。傷の多さでわかる。きっとティバルラ様は元から強い御方だったのではない。ただ、運良く人々に恵まれて、運良く生き延び続けてこれられた方なのだ。きっと大切な方を何人も手放してこられた。


 だからこそ騎士団長に選ばれ、自ら選んだのだ。


 だから今度は、俺がティバルラ様を護る。


 じっと射貫くような視線をティバルラ様に向けた。すると首元を圧迫していた腕が離れた。息を強く求めて、少しむせながら俺は口を開けた。


「だからこれからも残った貴方の爪を塗ります。塗爪師それ以上にはなれなくとも、そのぶんの役目を果たします」


そう言って、ティバルラ様の左手を掴んだ。彼は俺の手を振りほどこうとはしなかった。ただ眉間にしわを寄せたままゆっくりと俺のほうを見た。


「ですから――俺を信じて呼んでください。ティバルラ様」

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