第10話 信じよススラハ


 ティバルラ様のご厚意になにも返事をせずにいるのはまずいと思った。でも、なにも伝えたい言葉は持ち合わせていなくて、目を逸らすこともできなくてじっと見つめることしかできない。


 そのとき、目の前がぐにゃりと歪んで足元が崩れるような感覚に襲われた。身体は俺の思うように動かずにひとりでに脱力する。掴むものがなく、空に伸ばした手がどこか心細く感じた。


 ティバルラ様は動揺することもなく、包帯を巻きなおした腕を動かして、俺の腕を掴まれた。掴んだ腕を引っ張られて引き寄せられる。それからもう片方の手で腰を支えられ、ぐいっと顔を覗くようにティバルラ様の顔が近づく。頭を持ち上げる気力すら残っていなくて、されるがままだった。


 掴んでいた手を離し、頬に手を添えられる。その手は冷たかった。


「やはり、塗爪の負荷によるものか」


 姿勢のせいか、ティバルラ様の後ろに撫でつけてある前髪が崩れて解けるように額にすべり落ちていく。撫でつけられていた前髪たちは意外と伸びており、瞼と眉を横断する外傷を隠していく。


 そんな中で、彼は眉間にしわを寄せて語る。


「私は、己の体調がわからん奴からの施しは受けん」


 黒い髪に隠されても、陽に照らされて青々とした葉のような瞳は光を持ち合わせていた。恐ろしいくらい凛とした光だった。


 ぼやける視界でその様子だけが見える。たったそれだけなのに、もっと視界はぼやけて、それで涙が溢れてることにようやく気づいた。


 ティバルラ様は手のひらを俺の額に置いた。冷たかったはずの手のひらはいつの間にかあたたかくなっていて、その熱に俺は触れると安心した。額にあった手のひらがゆっくりと下へ降りてきて、瞼に触れる。


「だから今は休め」


 俺は呼吸を落ち着けたまま、言われた通りに瞼を閉じた。


「ススラハに安らぎあれ」

 

 ずいぶん優しい声色だった。


 この御方はずっとこうやってひとりで戦ってきたのだろうか。愛想のない言い方しかわからないなかでずっと、背負って生きてきたのか。


 この御方に、おやすみと言えた人は今までにいたのだろうか。


 俺よ、信じてもらうよりも先にやることがあったろう。


 俺がこの御方を信じなくてどうする。




 ラフィリヤ騎士団の帰還から三日経ったある日、ティバルラ様から塗爪の要望を受けた。俺は大急ぎで荷物を持って、ティバルラ様の主室へ急いだ。


 ティバルラ様の部屋の前に着くと、止めた足を揃える。その状態で一度深呼吸をする。


 心の準備を整えたところで扉についた金属に触れようと手を伸ばした時、扉が開いた。


「調子はどうだススラハ」

「おかげさまで絶好調です」

「そうか。では入れ」


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