第二章 戦場のティバルラ
第7話 戦場のティバルラ
あれからティバルラ様には二週間に一度、塗爪をさせていただくことになった。そのたびに俺はティバルラ様の爪を再生することに力を入れた。
ティバルラ様の留守中は今まで通り使用人として清掃を行う。身体を動かさしていないとそわそわするようになったからだ。
「ススラハ、そろそろ休憩したらどうだ?」
「ああ」
門前の砂埃を掃いていると、同僚に休憩がてらにお茶の入った瓶を差し出され、お言葉に甘えて箒を門に立てかけてコップを手に取った。日差しが強いから門前の影に隠れて休むことにした。
「中庭の方が涼しいぞ?」
「いいよ俺はこっちで」
中庭は風が入って涼しい。それはわかっているのだが、涼しさというものにまだ慣れなくて、つい強がってしまう。ほんとうは暑くて暑くてたまらないのに。
中庭の水盤ではいろんなものが冷やされていることがある。それ用に作ったものではないだろうが、ティバルラ様から「そう使わないのか?」と提案されたものだから、堂々と果物やらお茶やらが冷やされている時がある。
「……最近のご主人様さ、なんかイライラしてるよな」
「そうだなあ」
「やっぱオメエが関わってんじゃないのかススラハぁ?」
そう言われて、他の人からもそう見えるかという焦りがあったし、なにより心当たりがあったから返事のしようがない。きっと、爪のことだ。塗爪の力を乱用していることについて悶々とされているのだろう。それは意固地になった俺が悪い。
「でも、ああしないと塗爪師としての尊厳が保てなかったんだよ」
苦笑いしながらそう話すと、同僚はムッと眉間にしわを寄せる。
「ススラハってよぉ、無理に笑って話せばオレらが許すと思ってるだろ」
そう言って、同僚が門に立てかけていた箒を手に取った。俺はなにも言い返せなくて、口どもった。すると同僚が箒の柄の部分で突いてくるものだから、俺は「ちょ、なに。いたっ。なんだよ」と思わず後ずさりした。背中に門の大扉の金具が当たる。それでも容赦なく門に向かってぐいぐいと追い込んでくるから、たまらず大扉横の使用人専用の扉を開けて中庭に逃げる。
それで振り返ると、同僚はフンと鼻を鳴らして、「勝った!」とでも言いたげな満足そうな表情で箒の柄を握った。
「ティバルラ様の屋敷人連中を舐めんじゃねーぞ。オメエはちゃんと自分のことを労われ!」
「乱暴なやり口……」
「やかましいわ!」
不器用で優しい同僚は小扉を丁寧に閉めていった。仕事を奪われた俺は仕方なく自室に戻ることにした。
涼し気な風が通う水盤でも眺めようとすると、急に強い風が吹き荒れる。短い前髪が上下に舞う。部屋のなかに誘導するように強風は背中を押す。水盤に落ちたら嫌だから仕方なく水盤から離れて、風の言う通り室内に移動する。
なにもしないを実行するのはなかなか勇気が必要だ。その勇気がなかなか持てなくて、俺は懲りずに夕食の手伝いでもしようと考えた。その前に、服についた砂を払おうと一度自室に向かうことにした。
自室はなんと個室をいただいた。以前住んでいた部屋の二つぶんの広さだ。足を伸ばしてそのまま横に何度か転がれる。新生活に向けて物を減らさなくてもよかったのかと少し悔しさを覚えた時もあったが、広々と部屋を使えるのはよいことだ。
そんな自室に一歩踏み入れた途端、嫌な汗がぶわっと流れ出る。体調が芳しくないことを知らせる汗だ。急な身体への負荷に耐えきれずにその場にしゃがみこんだ。
このつらさは、塗爪による負荷だ。押しつぶされるような重圧に、思わず息が詰まる。学舎時代の実践とは全く違う。
気をしっかり保て、と自分に言い聞かせる。効果が発動している最中に気でも失えば、塗爪による付与効果の配給は絶える。
「おいススラハ!?」
仕事を強奪した同僚の声とこちらに向かう足音が聞こえる。視線だけ廊下に向けて、意識があることを伝える。倒れかけていた俺の身体を支え、自室で横にさせようとする同僚に、俺は無理を承知で頼む。
「俺の、頬を叩いてくれ!」
「アァ!? 何言ってんだバカ! バカは寝て言え!」
「いいから! 気を、失う、前にっ!」
怒るように物を言う俺に同僚は動揺しながら、「歯を食いしばれよ!」と手を振りかざした。痛みが襲ってくる前に、言われた通り歯を食いしばり、目を瞑る。
一瞬の頬の痛みが、塗爪の負荷に勝る。痛みが涙を誘う。俺はしばらくその痛みとともにあった。
でもその日、ティバルラ様は屋敷に帰ってこなかった。
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