第6話 塗爪師のススラハ・2

 昔の塗爪師は死地に出向かう人の最期に立ち会うためにまじないをかけた。昨今の塗爪師の需要は塗爪に身体強化付与のまじないをかけることに焦点を当てている。圧縮された塗爪師の力を専用の塗爪する際にまじなうことによって、対象者に付与できる。こうして塗爪師の祈りはかれらを手助けする力となる。塗爪による付与効果は一週間持てば良い方だ。四肢の爪先につける理由は付与できる部分を幅広く、そして効果を長持ちさせるためでもある。


 爪を塗る際に使用するまじないを、足という範囲に強制集中させる。本来なら爪に祈りの力を託すのを、もっと広範囲に、即効果が出るように、まじなう。


 歯止めが効かなくなるからやるべきではない行為だろう。


 いつも以上に体力を消耗していくのがよくわかる。手足の力が抜ける感覚がある。足指に力を込めて、床を強く踏み直す。しっかりしろと意識を強く保つ。


 なんのこれしき。これが失敗すれば俺に居場所はない――いや、要らない。


 俺は念入りに小指に触れ続ける。呼吸をしっかり保ちながら自分の取り柄でもある体力を対価にして、ティバルラ様の小指に残ったわずかな爪を見つめた。やがて小粒が固まったような爪はひとつに戻るようにわずかにだが再生していく。対して中指に変化は見られない。


 新しい爪はなかなか生えない。


「っはー……ここまで」


 ぱっとティバルラ様の足から手を離す。それから足全体をほぐす行為を止めて、頬や顎を伝う汗を自分で用意しておいた薄くなった布で拭きとる。それから肌触りのよい布でティバルラ様の足についた潤滑剤を軽く拭きあげる。


「しばらくは親指以外は塗りません。効果は下がりますが、代わりにつけ爪をつけさせていただきます。」


 そうして、鞄の中から事前に作っておいたつけ爪を置き、次に今から使用する下地と筆を取り出す。筆先に薄く下地をつけてティバルラ様の親指の爪に滑らせる。


「少し冷たさを感じるかもしれません」


 そう言ったが特にティバルラ様に反応はなく、その代わりに言葉をかけられた。


「……塗爪師による強化付与のツケは塗爪師に係るのか?」


 俺は爪を塗り終わらせてから、顔を上げる。


「そうです。塗爪師が勝手に付与したので、その対価を引き取るのは俺たちです」


 ティバルラ様の表情が少し曇ったような気がした。どきっとした。まるで俺たちの痛みに気づいたかのような、しかめっ面。


「悪い。このような表情しかできんのだ」


 しばらくて下地が固まったのを確認して、また別の筆で黄金色の塗装を上から塗っていく。


「はじめのほうは、俺の力の付与効果が薄いと思います。でも、多少は役に立てると思いますよ」


 ティバルラ様は「ああ」と短く返事をしたきりなにも喋ろうとはしない。俺も話すことがなくて思わず黙り込んでしまう。成功したはずなのに、どこか不安が募っていくのがわかる。


「つけ爪をすることで爪の保護にもなりますので、こちらに帰るまでできるだけ剥がさないようにしていだければ――」


「俺は、学がない」


 突き詰めた表情で、ティバルラ様はそう呟いた。


「だが、これだけはわかる。ススラハ、お前から塗爪師というものを奪ったのは間違いだった。すまない」


 やっぱり、と俺は改めて思う。


 ティバルラ様は誠実な方だ。不愛想な表情の下で考えるお方なのだ。塗爪師が必要ないと言ったのも、俺を困らせたくなかったのも理由のひとつだろう。使用人仲間は皆、不器用なあなたのことを知ったうえで敬っている。


 そんなあなたをできる限り塗爪師の力を用いて支えたい。――いや、支えるのだ。


「お前の塗爪師としての誠意、確かに受け取った」


 それがたった今、ティバルラ様の御声によって証明された。


 視界が揺らいでいく。目頭が熱くなって、涙が溢れていることに気づくのが遅くなる。気分はずいぶん晴れやかで、心地よい風が身体に吹いているようだった。


「これ以上ない御言葉です。ティバルラ様」

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