第3話 人でなし

教会で神像の前に置かれた椅子に座れば、あの日のことが鮮明に思い出される。

それだけじゃない。

彼女と過ごした時間全てが、何度も何度もフラッシュバックした。

彼女と過ごした日々全てが大切な思い出で、同時にかけがえのないトラウマでもあるのだ。これ以上ないほど大事で、同時に壊してしまいたいと思うくらいに忌々しい。


彼女と過ごした日々の記憶が、幸せだった頃の思い出が、鮮明であればあるほど……「今」の苦しさがどうしようもなく重くのしかかってくるのだから。


あと半歩の距離が、縮まれば。あと一秒の時間が、間に合えば。

……この手は、届いたのかもしれない。

そうやって後悔して、る瀬無い気持ちに打ちのめされる。


随分ずいぶんお疲れのようだね?クレーヴェル」


「……そうですね」


背後から近づく靴音と揶揄からかうような声に、私は肯定こうていの声を返した。

彼にしては珍しい驚いたような息遣いにすら、反応する気力がなかった。


実際、疲れていたのだ。

何度、頭の中で世界を壊しただろう?

何度、頭の中で彼女を殺した奴を殺しただろう?

その全てが、現実ではない事に耐えられなかった。


事実はただ一つだけ。

彼女が、我が唯一の主人ヴィオレッタ・アレクティーヌが、死んだ事だけだ。

それだけがただ、純然じゅんぜんたる事実として存在している。


「そういう貴方は、お元気そうで何よりです。エリカ様」


本心から、そう思う。

彼がまだ、私のようになっていない事に、ひどく安心した。


この世界で唯一私と同類である彼が正常をよそおえている内は、自分も大丈夫だと思えるから。


「まぁ……あの子の分を、俺は背負わないといけないからね」


だが、アレクティーヌ公爵家次期当主エリカ・アレクティーヌ……ヴィオレッタ様の兄である彼は、そう言って自嘲じちょうするように笑って見せた。

一年前とは違うそれだけの動作で、この人も疲れてしまったのだと理解してしまう。


一度耐えきれなくて逃げた私とは違って、彼はずっと戦っていた。

武器を持たない、静かな戦場で。友がいない、孤独な戦場で。

ずっとずっと戦ってきたのだ。


まるで彼女の意志を、引き継いだように。


「『冷血の華』と呼ばれる貴方も、ヴィオレッタ様には甘かったですから……」


中性的な見た目と、ピクリとも動かない表情筋を揶揄やゆした社交界での呼び名を出す。

彼のソレが作られたものだと、私とヴィオレッタ様だけが知っていた。


「……皮肉なものだよね。あの子は俺らなんかと違って、たくさんの人達を救ったのに……俺と君、『人でなし』の俺らだけが、この世界であの子が犠牲になった事を憶えてるんだから……」


誤魔化ごまかしだとお互いに分かっていながら、だけども本心で会話する。

その行為は、あまりに空虚くうきょだと感じられた。


二人して、似合わない教会の椅子に座ってしばし神像を見つめる。

私もエリカ様も、教会の神など信じていないのに。

……それでも、過去の記憶が、そうさせた。

以前はヴィオレッタ様が膝を付き、人々のために祈っていた場所。


『二人とも、何をしてるの?』


振り返って微笑う彼女を思い出し、寒々しい風が流れる空白の場所に重ねてしまう。

きっと、隣の彼も過去を見ているのだろう……何処どこか遠くを見る瞳は、その事を何よりも物語っていた。


「今の俺には手伝えないけど……君は壊すだろう?

元凶は、俺に任せてくれないか?」


「ええ、勿論です。それ以外は、私にゆずって貰いますが」


「構わないよ。その方が、ずっと良いだろう」


『何を』とハッキリ言わない貴族同士のような話し方で、淡々と打ち合わせをする。もうそれ以上の言葉など、要らなかった。


【愛とはまるで、呪いのようだ。何よりも純粋じゅんすいな想いであるが故に、大切なモノを壊してしまう危うさをはらんでいる】


遠い遠い昔、何処かで聴いた詩人の言葉を想いながら、私は神像に背を向けて歩き出した。


「クレーヴェル、お前はきっと……あの子に壊されてしまったんだろうな。

あの子の“愛”に、お前はせられてしまった。その結果がコレか?

本当に、『人でなし』とは上手いこと言ったものだよなぁ……」


嘆くように、独り呟くように、私に忠告するように……そう語る彼の言葉からも、目を背けた。誰になんと言われようと、私はコレをやり遂げる。


彼女亡き今、何もかもに価値など無いのだから。


全ては、最愛の為に。

……いや、全ては最愛を失った自分の為に。彼女と、もう一度逢う為に。


身勝手で、自己中心的で、世界のことなど、ヒトのことなど微塵みじんも考えていない

『人でなし』による、うたげが始まる。

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愛を知らない貴方へ 風宮 翠霞 @7320

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