第2話 一年前

「私はただ、貴方に幸せになって欲しいと……それだけを願っていたのに。それだけの事が、何故こんなにも難しいのでしょうか……?」


白い星のような花に囲まれた主人に向かって問いかけるも、声は返ってこない。


私が話しかければいつも返ってきた柔らかく甘い声を紡ぐはずの口は、ゆるく弧を描いて固く閉じられていた。


彼女は本当に眠っているだけかのようなおだやかな表情をしているはずなのに、黒いひつぎの中にその小柄な体躯たいくが収まっているというただそれだけの事で、彼女はもう二度とかえって来ないのだと理解させられた。

私の唯一の願いは、もう二度と叶う事がないのだ。


彼女が救ってくれた命でおこな最期さいごの仕事として、アングレカムの花を彼女を守るように周りに敷き詰めた。

純白の花弁を涼やかに咲かせる、その花の花言葉は【祈り】。そして…………。


「何も、伝わらなかったのでしょうね。何も……私は何も、貴方に伝えられなかったのでしょう」


懺悔ざんげの声は、空に薄く溶けて……淡く散る。


ブロンドの髪を陽の光に輝かせ、たおやかに微笑む優しい貴方も。

空色の瞳を瞬き、どこまでも前を向いていた強い貴方も。


もうこの世界には、いないのだ。


判ってる。判っている。


貴方は、この世界を救うために死んだ。

確かにこの世界は正され、救われたのだろう。


……貴方の死によって。


でも、解らなかった。解りたくなかった。


何故、貴方なんだ。

何故貴方が……貴方だけが全てを背負って逝かなければならない?

まだ十五だろう?若すぎるじゃないか。


やりたい事があったはずだ。

できていない事があったはずだ。


その全てを貴方一人が諦めなくてはいけないなんて、理不尽すぎるだろう?


誰よりも理不尽を理解し、誰よりも理不尽を嫌った貴方が、誰よりも理不尽から人々を救った貴女が、全てを、背負うなんて……全てを、諦めるなんて……。


「何故っ……貴方は、微笑っているのですかっ……微笑えるの、ですか……」


やめろ、やめてくれ。頼むから。

震える声が、にじむ視界が、憎くて仕方がなかった。悔しくて仕方がなかった。


私に、泣く資格などないのだ。

私は、唯一の主人を……大切な人を、守れなかったのだから。

私はきっと、悲しむことすら許されない。


いや、違う。許したくないのだ。

他の誰でもない私自身が、私の事を許せない。


だって、だって‼︎


「要りません。要らない、要らないんです……‼︎貴方と引き換えに、世界の平穏など欲しくなかった‼︎」


私は、世界なんかよりも、貴女が欲しかった。

貴女が今日も、明日も、明後日も、この先ずっと変わらずに微笑っていてくれれば、それだけで良かった。

他は何も、要らなかった。


その淑女然しゅくじょぜんとした笑顔の裏に、隠した想いがあったでしょう?

その狭く小さな肩に背負った荷に邪魔じゃまされて、諦めた事があったでしょう?


私の命など要らない。世界の平穏など要らない。


「ヴィオレッタ様、貴方は……貴方だけは、幸せにならなくては可笑しいでしょう?」


救われた。

太陽すらかすむような眩しい笑みに。

優しいだけではない強さに。

圧倒的なまでに眩しく、美しい貴女に。

私は、救われたのです。


どうか、どうか……‼︎

貴方は幸せになって欲しいと……そう、どれだけ願ったか。


善良な神などいないと、知っていた。

それでも、そのような存在にすがるしかなかった。


私はあまりにも、力不足だったから。


権力がなかった。お金がなかった。

武力と知力はあったが、それは彼女を救うには役に立たない力だった。


求めないものは簡単に手に入るのに、求めたものはてのひらからこぼれ落ちていくように私のものにならない。

ただ、何かを強く求める鮮烈せんれつな感情が、のどを焼いて傷つけるだけだ。


何かを、伝えたくて……でも、浮かんでくる言葉はどれも何かが違う気がして声にならない。


「ずっと……貴方と生きていきたかった。……それが出来ないのならば、貴方が死ぬ原因となったこの世界を……壊してしまいましょう」


言いかけた言葉でおりのようににごった喉を通って、辛うじて出てきた言葉は……そんな、なげきの声だけだった。

嘆き、誓った声は……静かに佇む神の像に吸い込まれ、何もなかったかのように消えていった。

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