未来の自殺者

Ev.ki

未来

「私ね、3日後に死ぬの」


 ベンチに並んで座っている横の少女の言葉に、飲んでいたジュースを吹きかけた。


「死ぬってまた大げさな……」


 俺はいろんな言葉と共にジュースを飲みこみ、その言葉を絞り出した。


「これも夢で見たんだもん。変えるしかないよ」

 

 彼女は手に持ったペットボトルを掴み、中に入った液体をグイっと飲み込んだ。


「これは結構難しそうだよ」


「難しいって、死ぬのを回避するのがか?」


「ううん、違う」


 彼女は首を横に振った。


「私以外の命を救うことが」


 俺はその言葉を聞き、少し身を震わせた。


「何人くらいだ?」


「大体三人。でも増えるかもしれない」


 俺は彼女の言葉に耳を疑った。


「増えるってどういうことだ?」


「そのまんまの意味」


「通り魔殺人か?」


「うーん、ちょっと違う」


 彼女は前を真っすぐ見た。


「自殺による巻き込み事故。私はこれに巻き込まれて、未来で死んだ。もし私がその場にいなくなったとしても、次の被害者ができるだけ」


「つまり、自殺を止めりゃいいんだな?」


 彼女はふっと笑った。


「場所も時間も、誰が自殺するかもわかんないけどね」


「まずはそこからだな」


 俺はすくっと立ち上がり、ベンチの隣に置いてあるゴミ箱に空のぺとボトルを捨てた。


「どうやって調べる?今回は交差点の信号が分かってたから来れたけど、次は私が死んだ所の床のタイルだけだよ」


「じゃあ、地道に検索して特定するしかねーだろ」


 彼女も立ち上がり、ゴミを捨てた


「まずは人よりも場所からだね。とりあえず、ここらへんで一番人が多い所に連れてってよ」


「ここらだと隣の駅だな。行くぞ」


 俺は最寄りの駅に向かって歩き出し、彼女も俺の横について歩き始めた。


 彼女は雨夜月。出会ったのはついさっき。俺が下校中、信号のある横断歩道を渡ろうとした時、月が突然後ろから手を掴んできた。その瞬間、俺の目の前を、信号無視をした暴走トラックが横断歩道を突っ切って行った。


 そう、俺は彼女に命を救われた。


 どうして月はこんなことを出来たのか。それは彼女曰く、「夢で同じ光景を見たから」らしい。


 2日くらい前、彼女はあの交差点で、俺が車に轢かれる夢を見たらしい。最初は彼女自身も予知夢などとは思わなかったらしい。しかしその夢が妙に脳裏に焼き付いているらしく、夢で見た交差点の信号に着いている看板を元に調べてみたところ、本当にその地名が存在していた。もしかしたらと思い、影の長さと向きから時間を考え実際に来てみたら、本当に俺が轢かれそうになった。


「自殺の巻き込み事故って、この前横浜で起きた飛び降り事故と同じ感じか?」


「そうだね。どっかのビルから落ちてきた人が、私を含めた下にいた人にぶつかった。横浜の事故とほぼ同じ」


 先月、横浜の高層ビルから高校生が自殺を図り、下を歩いていた歩行者を巻き込み、2人が死ぬ事故があった。


「あの事故の後、ネットで結構荒れてたよな」


「そうだったね。死ぬなら勝手に死ねだとか、死ぬ時に迷惑かけるなだとか、自殺する人はそんなこと考える余裕ないだとか」


「ガチの死体撃ちだな」


「マジで無駄。議論するなら、自殺者を減らすための議論をすればいいのに」


「ネットの人がそんなことに興味あると思うか?」


「……ないね」


 そのあと俺らは電車に乗り、隣駅で降りた。電車の終点駅ということもあり、大勢の人が一斉に降りたため、俺は月が離れないように、隣に月がいることを横目で確認しながら駅を出た。駅前広場はビルやマンションに囲まれ、建物すれすれを歩く人も多くいる。屋上に展望台があるビルもあり、飛び降りるにはいいスポットもいくつかある。


「どうだ?見覚えあるか?」


「いやー、ここじゃないな。もっと人がいた」


「ここは結構人多いけどな」


「もっと栄えてるところない?君が通ってる学校の通学圏内で」


「ここより人が多い所は他に何箇所かある」


「全部回るにはどのくらい時間かかる?」


「大体三時間くらい」


「かかるな~」


「なぁ、なんで俺の高校の人だってわかるんだ?」


「最初に落ちてきたのが生徒手帳だったんだよ。多分、落下中に落ちたのか、先に投げたのか……私がそれを拾って上を見た瞬間、人が落ちたと同時に夢が途切れた。んで、その時見た生徒手帳の表紙に書いてあった高校が、君の通っている高校だったってわけ」


 月は歩きながら話を続けた。


「君の夢を見たときに調べた高校と生徒手帳の高校が合致した時、なんか運命みたいなもの感じてさ。もしかしたらこの夢を見せてきた神は、私が助けた君と共に、これから起きる自殺を止めなさいって言ってるのかもって思って」


「だから俺に全部話したのか?」


「うん。これから起きる災難を止めるなんて聞かされたら、手助けせざるを得ないでしょ?」


「性格悪いな」


「やり口は悪いかもしれないけど、これからやることはまさに聖人の成すことだよ」


 俺は聖人になりたいなんて頼んでないと思いつつも、乗り掛かった舟、というよりももう完全に乗って出航してしまった船だから、解決するしかないと思い、改めて月に質問をした。


「見た夢はさっき話したので全部か?死ぬ前、何か視界の端に手がかりになるようなものは無かったか?」


 月は手を顎に当て、目をつぶりながら思い出し始めた。俺は段差などでつまずかないように、時々助言した。


「そうだな……夢は本当に一瞬だったんだよ。歩いてたら目の前に生徒手帳が落ちてきて……」


「歩いてた時間はどのくらいだ?」


 月はすぐに目を開け、俺の質問に対して俺の目を見て答えた。


「歩いてたのは三秒くらい。舗装された地面を歩いてた」


「その時に、何かの音とかは聞こえたか?」


「音か……あ、なんか車の音が聞こえたよ」


「車?」


 俺はそれを聞いて、少し疑問に思った。今、俺が歩いている駅前広場では車が通る音とかはしない。当たり前だ。道路はこの広場を抜けた先にある。ロータリーも離れた場所にあるため、バスの音もない。


「……歩いてた広場は広かったか?」


「広かったと思うよ。ここと同じくらいかな」


「じゃあ、車の音はどこから聞こえた?」


「どこからかぁ……短かったからわかんないけど……なんていうんだろう、左くらいから聞こえてたんだけど、すぐ左ってわけでもないんだよね。なんか、ちょっと下から?みたいな」


「下?下ってなんだ……」


『下ってなんだよ』そう言いかけたところで、ある場所が思いついた。通学圏内で、人が多く、ビルが建っていて、下から車の音が聞こえてくる場所。


「ちょっと思いついた場所がある」


 俺は月がついてきていることを確認しながら、少し早めで駅の中を歩いた。


 数十分くらい電車に揺られ、俺たちは隣町の中心駅に降りた。しばらく駅の中を歩き外へ出た瞬間、月は目を大きく見開き、呟いた。


「ここだ……」


 月はゆっくりと歩き出し、あるビルのすぐそばまで行った。


「ここだよ。ここで私は死んだ」


 俺はすぐそばのビルを見た。そこはオフィスと商業施設がひっていて、屋上は展望台になっている。


「よくわかったね。あんな情報で」


 月が地面を見ながら俺に言った。


「車の音が下から聞こえるってやつで分かった。ここは駅前デッキの上で、下に車が通るようなロータリーと道路がある」


 俺は少し遠くを見た。デッキの端につけられた手すりの向こうに、ビルに囲まれた大通りが見える。


「屋上の展望台に行ってみるか?」


「そうだね。自殺を止めるとしたら、そこだね」


 俺らはビルの中に入り、エレベーターに乗って12階の展望台へ出た。そこは屋上庭園のようになっていて、端につけられた手すりは、少し頑張れば飛び越えることができる高さだ。


 月はその手すりに手を置き、そこからの景色を眺めていた。俺もその隣に立ち、下を覗き込んだ。


 さっきまでいたところはかなり上半身を突き出さないと見えなくなっていて、ここから落ちれば当然行きつく場所だ。そこを、今も人が行き来している。その人は、まさに点のように小さい。


 俺がその様子を遠い目で見ていると、月が遠くを見ながら聞いていた。


「君は、自殺をする人は一人で勝手に死ねって思う?」


 突然の話題に一瞬戸惑ったが、俺は思っていたことを話した。


「勝手にとは思わないけど、だからと言って人を巻き込むのもどうかと思うし……そう簡単には結論は出せねーな。でも一つ言えるのは、もし俺が自殺するってなったら、人を巻き込むと思うな」


「なんで?」


 月が俺の方を向いた。


「俺は、死ぬ時くらい我儘になりたいから。ずっと何かに耐えて我慢してきたのに、ひっそり社会に耐えかねて死ぬなんて嫌だろ?死ぬ時くらい話題になって、一時の主役にでもなりたい。まぁ、今の所俺が死ぬ予定はないけどな」


「それはよかった」


 月は静かに笑うと、手すりから手を離し、屋内へ戻って行こうとした。俺はもう一度下を覗き込んだ後、月の後を追うために手すりから手を離した。


 その後互いにメッセージアプリをつないだ後、その駅で別れた。


 俺は帰宅後、制服を脱ぐこともなくベッドに横になり、スマホのニュースアプリを開いた。検索欄に素早く『横浜 飛び降り』と打ち込み検索にかけ、一番上の最新のニュースを表示させた。見出しには『横浜駅飛び降りは千葉県の男子高校生か』とある。その記事をさっと読み流すと、今度はSNSアプリで同じ文言を検索した。相変わらず意味のない議論をしている書き込みの中に、いくつか『特定』の文字が見える。


『横浜駅飛び降りの高校生は、県立高校の上地希と特定』


 俺はその投稿を見た瞬間、小さく舌打ちをした。


 翌日、俺はスマホの着信音で目が覚めた。


 枕元に置いているスマホを、目をつぶりながら音を頼りに見つけ出すと、何も考えずにその電話に出た。


「……誰ですか」


『電話相手見てから電話に出なさいよ』


「月か……なんだよこんな朝っぱらから」


 壁に掛けられた時計を見ると、時刻は六時ちょっと過ぎだった。


 俺は上半身を起こしながら、彼女の話を聞いた。


『すぐに話したいことがあってね』


「なんだ?」


『多分だけど、未来が変わった』


 その言葉に、俺の寝起きの脳はすぐに処理をあきらめた。


「どういうことだ?」


『簡単な話。私たちがあそこに行ったことで、自殺する人が、別の場所を選んだ』


「じゃあ、俺らの会話を、その自殺する人が聞いてたってことか?」


『そうかもしれない。また短い夢だったから確証は持てない。でも、多分あってる』


「場所は?」


『分かんないけど、多分歩道橋の上』


「どこの歩道橋かは?」


『全く不明。でも、飛び降りたのが君が通う高校の男子生徒ってことが、後ろ姿から分かった』


「飛び降りる瞬間を見たってことか?」


『そういうこと。多分歩道橋はどこも同じような感じだから探しようがない。だから、次は人を探す』


「人って……俺の学校の男子生徒全員調べるってことか?」


『それしか手がない。私は登下校中の人を見れるけど、全員分はさすがに無理。だから、できる範囲で、君は学校でその人を探してほしい』


「……後ろ姿の特徴は?」


『髪は君くらいの短さ。身長もだいたい君くらい。格好は制服姿だった』


「ネクタイの色は見えたか?」


『ネクタイ?』


「学年ごとに違うんだ。それが分かれば探すのが楽になる」


『ネクタイ……あ、落ちる時に風になびいて一瞬見えた。赤だった』


「赤ってことは俺の学年か……」


 ただ、それでも男子は200人近くいる。髪型と身長を言われたところで、俺に似た人も多くいるはずだ。


「まぁ頑張ってみる。でも、月は探さなくていい。登下校中は学年がわかんなくなることもあるだろうしな。俺だけで十分だ」


『りょーかい。朝早くにごめんね』


 そう言って、彼女は電話を切った。


 俺はスマホを持ったまま、再びベッドに倒れ込んだ。


 その後学校に行った俺は、昼休みの時間を使ってそれらしき人を探してみた。しかし話を聞いただけでわかる訳もなく、早々に諦め、別の方法を月と共に模索することにした。


 そして、下校中にまた彼女と合流した。またベンチに座り、人探しの方法を検討した。


「さすがに一人一人に自殺するかどうか聞くのもね……」


「それはそもそも答えてくれないだろ」


「そうだよねー。じゃあ、周りの人に自殺しそうな人がいないか聞くのは?」


「俺が変人だと思われる」


 月の意見はどこか現実味のないもので、否定せざるを得なかった。


 しばらく話し合った後、ついにアイデアが尽きた時、俺は月についてあることを疑問に思い、それを口にした。


「なぁ、月って学校行ってんのか?」


 月は少しギクリとしたように、ゆっくり俺に聞き返した。


「……なんでそう思うの?」


「昨日も今日も、平日なのに私服だからな。同じくらいの年齢っぽいのに変だと思って 」


 彼女は少し間を開けて答えた。


「……まぁ、そうだね。行ってない。元々通ってたんだけどさ、同じ高校に通ってたお姉ちゃんが、その高校の敷地内で自殺しちゃって。それ以来、高校に近づくことすら出来なくなってね」


 俺はそれを聞き、すかさず謝った。


「悪い、変なこと聞いちまった」


「いいよ気にしなくて。これは私の問題だし。それより人探しの方法考えないと」


 月はすぐに話を切りかえた。


 その後もしばらく話し合ったもののいい方法は思いつかず、日が暮れてしまった。


「私そろそろ電車乗らないと」


「方法はどうする?」


「とりあえず、1晩考えてみる。明日丸1日使って歩道橋を見つけるってのも視野に入れてみる」


 俺らはベンチから立ち上がり、駅に向かって歩き出した。その道中、月はふと思い出したように俺に質問してきた。


「そういえば、君は兄弟とかいるの?」


「兄弟か……」


 俺は一人の人間の後ろ姿を思い浮かべた。俺よりも背が高く、大きい人間の姿。


「兄さんがいた。今はもう居ないけどな」


「……そっか」


 月は意外と深くは入ってこなかった。俺はそのことに若干の安堵を覚えつつ、何も話すことなく駅に向かった。


 その日はそれ以上の進展はなく、事故が残るまで、残り一日となった。その日は電話がかかってくることはなく、いつもの様に起きて、いつものように学校に行った。そして昼休み、ちょうど俺が人探しをしようかと思った瞬間、月から電話がかかってきた。


『どんな感じ?人探しは』


「難航中だ」


『そうだよね……やっぱり歩道橋ローラー作戦しようかな……』


「あと一日でできるか?」


『もうやるしかない。今日はそっち行けないかも』


「マジでやんのか?」


『うん。君はそれっぽい人がいたら覚えておいて。ほぼストーカー行為するから』


「アナログだな」


『一般人はデジタルな方法で人探しできないからね。しかも、夢に出てきた人となると尚更。それじゃ、私はお昼ご飯食べたら駅前から歩道橋回ってみる』


 そう言って、また一方的に電話を切った。


 この日の下校は月の言った通り彼女は来ず、一人での下校となった。


 それから連絡が来ることも無く、ついに3日目になった。


 その日はてっきり月からの電話が鬼のようにかかってくると思っていたが、歩道橋作戦が忙しいのか、それとも手応えを感じているため人探しはもうどうでも良くなったのか、電話がかかってくることは無かった。


 俺はそのことに、若干の不安を覚えたものの、安堵感の方が勝ったまま、下校時間になった。


 その日の下校は、なんだかいつもより体が軽い気がした。


 俺はいつも降りる駅より数駅前の、あの駅に降りた。最初に、俺が自殺予定だった駅。


 兄さんが死んでから、漠然とした、死に対する欲望はあった。月と会ってからも、それは変わらなかった。でも、まさかすぐに自殺することは考えてなかったから、月に協力した。初めに察したのは、俺がSNSでの投稿を見た時だ。兄さんの名前を改めて見た時、俺の中に、ずっと隠してた夢が、また表にでてきた。


 小さい時から、夢を聞かれたら必ず『兄さんみたいになること』だった。俺に優しい兄さんは、他の人にもちゃんと優しくて、俺が間違ったことをした時は、ちゃんと間違ってると言ってくれて、正しい方向に導いてくれて。その兄さんは、一か月前もそうだった。そうだと思ってた。俺は兄さんが出すSOSに気づけなかった。気づいた時にはもう遅かった。兄さんから初めて聞く『疲れた』の言葉でしか、気づくことが出来なかった。


 俺はしばらく歩き、国道にかかる歩道橋に登った。金属製の階段を1段上る度、カンカンと音がする。上り終えると、下に流れる自動車を眺めながら、歩道橋の真ん中辺りまで歩いた。俺は手すりに手を置き、歩道橋からの景色を少し眺めた。


 すると、やっぱり彼女が来た。


 カンカンと音を立てながら、彼女は上ってきた。


「上地勇紀……名前で呼ぶの、何気に初だね」


 月は話しながら、俺のもとまで歩き始めた。


「横浜で自殺したって人、君のお兄さんなんだね。上地希さん……SNSで見かけてね。君、お兄さんがいたって言ってたよね」


「どうやってここが分かったんだ?」


 俺は近づいてくる月に聞いた。


「昨日1日使って探し回ったんだよ。最初に自殺予定だった駅の周りから探し始めてさ。歩道橋って意外と手すりの色とか床の色とか違ってさ。何とか見つけたってわけ」


「俺に言わなかったのは、言ったらまた別の場所になるからか?」


「そう、大正解」


 彼女はゆっくり歩きながら、話を続けた。


「死ぬ予定はないっていうのは噓だったってこと?」


「嘘ではないな。死ぬつもりはない」


「こっから落ちたら、死ぬと思うけどね」


 月は俺のすぐ隣まで来て、同じように手すりに手を置いた。


「なんで死なないって思うの?」


「月が死なせないっていうからな」


「そうだね。君が落ちた瞬間、救急車呼ぶから」


「そりゃ頼もしいな」


 俺は乾いた笑いをし、月もそれに連られ小さく笑った。


 少し間を開けて、月が呟くように言った。


「やめときな。痛いだけだよ。肉体的にも、精神的にも」


 俺も少し間を開け、呟くように返した。


「痛いかもな。でも、俺の兄さんは、もっと痛かったはずだ」


 俺は下を見た。相変わらず、多くの自動車が行きかっている。


「なぁ、月はなんで自殺を止めようとしてるんだ?」


 月はこれまでとは違う、真剣な声になった。


「君を殺人者にしないため」


「……これから俺がすることは殺人か?」


「当たり前だよ」


 月は大きく息を吸った。


「自殺は、自分を殺す殺人」


 その声は、少し震えていた。


「私のお姉ちゃんが死んだとき、怒りをどこにぶつけようか迷った。誰かに殺されたわけでもない、お姉ちゃんがお姉ちゃん自身で奪った命なのに、ずっと誰かに殺されたんだって、その考えが消えなかった。私が死にかけたときも、誰がこんなことしたんだって思った。不思議だよね。自分でやったことなのに、ずっと誰かがやったって思ってた。そこで気づいた。自殺だって、立派な殺人なんだって。誰でも死にたい人なんていない。自殺する人は、みんな自分に殺された被害者だ。自分が殺すように仕向けた人たちの被害者なんだよ」


 月は横を向き、俺の顔を見た。


「君まで君を殺しちゃだめだよ」


 俺は手すりを強く握った。


 あの時、もっと前に出ればよかった。もっと声をかければよかった。こんな風に、月みたいに隣に立てばよかった。分からないなら分からないなりに、兄さんを知りたいって伝えればよかった。


「俺は、あの時どうすればよかったんだろうな」


 俺の声は、少し震えていた。


「私も、どうすればよかったんだろうね」


 きっと彼女も、俺と同じだ。すぐ近くにいた。止められるはずだった。でも、少しの言葉で壊れてしまうのが怖かった。どんな言葉も相手に響かないかもしれなくて、それが怖かった。


「一緒に見つけようよ」


 月は俺の方に体を向け、右手を俺に差し出した。


「自分で自分を殺さない世界。誰も自分を殺させない世界」


 俺は彼女と出会った時点で、ある船に乗り掛かっていたのかもしれない。そして今、俺はその船に、きちんと乗りたいと思った。


 俺は兄さんになりたい。だから兄さんの真似をしてきた。でも、最後まで真似できていなかったことがあった。何度も兄さんに言われた言葉。きっと何度も兄さんが願ったこと。


 兄さんは、俺のことを大事にしてくれていた。


 だから俺は、俺自身を大事にしないといけない。


 俺は手すりから手を離した。下を行く車どおりは、渋滞のせいか少し遅い。多分、今飛び込んだところで、結果はわかりきっている。


 そして俺は、体を彼女に向け、その手を握った。


 そして、彼女に言った。


「まずは何からすればいい?」

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未来の自殺者 Ev.ki @maguro0913

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