文具屋の万年筆
咲織 朔
ある地方にある文具屋の話
薄暗く,埃っぽいその店には,いつも猫と中年の男性店主がぼんやりと座っていた。天井から吊るされた裸電球と,硝子製のショーケースに置かれた古びたライトは,オレンジ色の灯りをゆらゆらと灯している。そんな薄暗い暖色に染められた空間では,店主はいつも読書を膝上の猫に邪魔されているのであった。
あまり人が寄りつく気配のないそんな店も,昔からの馴染みの客はいるようで,昔からどうにか潰れずに生き残っているようだった。
俺がそんな妙ちくりんな店に居着いたのは,齢もそこまでいかないガキの頃であり,薄暗くも不気味ではなく,妙に居心地のいいこの場所に通うことが,時折の楽しみとなっていった。
硝子製のショーケースになっているカウンターには,色とりどりの硝子細工のようなペンが何本も並べられており,そんな宝物を囲むように,吸い込まれるような美しい黒色にわずかに黄金色が光る,いわゆる仏壇軸と称されるような万年筆が静かに,どこか黒曜石のような冷たさを放ちながら静かに置かれていた。
ある日のこと。いつもの通り店に訪問し,珍しく隅にある小物を眺めていた時のこと。中年店主が何やら会話をしているような声が聞こえてくる。接客をまともにするような柄でもないあの店主が語らっているとは珍しい。そんなことを思いつつ,聞き耳をそばだてて見ると,ほのかに紫煙がこちらに漂ってくる。
「私のオススメの万年筆,ねェ。そりゃこれと,これと,それからこいつよ。えぇ? んな安物ばっかがオススメなのかって? まァ,そうなるわなあ」
釈然としない客の反応にしびれを切らすように,店主が続けて口を出す。
「お客さんね,一点豪華主義ってのも確かに華があって宜しい。蒐集するってのも,確かに夢がある。だがなァ,華っていうのは儚く散るし,夢ってのはいつかはこの煙のように,たなびき広がって消えてっちまうようなものなのサ」
店主は吸いかけのタバコを灰皿に擦り潰し,一つ息を吐く。目をやる先にある裸電球の光は,ぼんやりと灯りながら煙の軌跡を静かに追いかけていた。
「だからねえ,本当に使い勝手のいいものを,そんなもんを三本ばかり持っておくんだよ。一本は国産物,一本は舶来品。私はこいつとこいつをメモだのの雑書きに使うんだがね,そんなもんでいいのさ」
「アンタ,なら三本目はどんなものだっていうんだよ。そりゃ計算が合わないぜ」
初めて明確に客の声が聞こえる。どうやら成金じみた青年のようだ。
店主はじっとその青二才の目を見るや,硝子製のカウンターに肘をつき,ニヤリと笑いながら前のめりになる。
「そりゃ決まってら。最後の一本はな,とびっきりのベッピンサンさ。テメェの気に入る女房のような一本を持っときゃいいんだよ。いっちまえば,その一本だけは夢のようなもんでいいんだよ。用途も何も気にせず,持ちたいモンをもちゃあいい。お客さんは安物って言うがね,こいつは器量の良い奴でねェ,使えば使うほどに味が出てくりゃ馴染んでもくる。使ってなくても,この中になければ落ち着かない,とびっきりの華なのサ」
あっけに取られた若者を尻目に,店主はタバコに火をつける。くわえタバコで本を読もうと手を伸ばすなら,そこからは俺の仕事が始まる合図だ。
店主に近づき,今日もニャアと発破をかける。仕事をしない店主の世話を焼くのも,これはなかなか手のかかるものだ。
文具屋の万年筆 咲織 朔 @Sakiori
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