タイトルなし



火曜の3限が終わったとき、ポケットに入れていたiPhoneが短く振動した。慎一からのLINEだ。

〈図書館いるけど、瞳いまひま?〉

〈まじ? 私もレポートあるから行っていい?〉

〈いいよ。6階の書庫にいる〉

エレベータで6階まで上がる。閲覧室を見渡すと、端のほうに慎一がいるのを見つけた。

「おつかれ〜」

「お、来たか」

「慎一、今日全休じゃなかったっけ?」

「そうなんだけど、サークルの打ち合わせがちょっとあって」

「なるほど」

同じフロアに人影は少ないが、図書館の中なので自然と小声になる。

隣の席に座って、お互いの課題を黙々と片付けた。

その後はいつものようにカラオケに行って、晩ごはんはいつもの中華料理屋で食べた。向こうは麻婆豆腐で、私はエビチリを食べる。これもいつものチョイスだ。お互いに辛いものが好きだから、慎一とご飯を食べに行くときはおかずをシェアできることが気に入っていた。

慎一は3回に2回くらいの頻度で紹興酒も頼む。一回分けてもらったけど、意味不明な味がした。こんなが好きだなんて慎一は変わってる。私は柚子サワーを頼む。


無事にレポートの提出が終わって、その次の週の火曜日は博物館に一緒に行った。学生証を提示すれば無料になるところがあるのだ。

「つぎ空海展だって」

「まじ? 空海って密教だよね。気になるかも」

「行く?」

「行こうぜ」

図書館で勉強していたときにした何気ない会話がきっかけで決まった。火曜日の午後は2人とも空いていたので、授業のあとに待ち合わせて上野に行った。

お互いの時間割は学期の初めに共有していてなんとなく覚えているので、予定を合わせるのもスムーズだ。


慎一と知り合ったのは、大学に入ってすぐのことだった。

同じ学科で、履修登録のオリエンテーションで隣の席に座っていた。ちょっと暗そうな雰囲気なのに、話してみたら案外ぽんぽん話せておもしろかった。

大学で友達ができるか不安だった私は、オリエンテーションの時だけの関係で終わらせたくなくて、連絡先を交換した。

あとで聞いたら、慎一も同じように不安だったらしい。

たまたま隣の席に座ってよかったね、と言い合った。


ところで、私と慎一の間には、色めいたものがまったくない。

終電をのがして私の家に泊まっていったことも何回かあるけれど、私は自分のベッドで、慎一はソファで眠って、次の日あっさり帰っていく。お酒が入っても駆け引きのようなことは起こらず、身体的な接触もゼロだ。

なんなら恋愛相談だってされたことがある。バイト先の先輩のことを好きになったようで、どうアプローチしたらいいか、女の子はどういうものが好きなのかなどを色々と聞かれた。

私は、恋愛のことはよく分からなかったし、興味もないし。慎一のような身近な存在の恋愛相談を聞くのがちょっと気まずかったので、その時は曖昧に答えて終わったと思う。


私はこの関係性を気に入っていた。男女はなにかあればすぐに恋愛関係になってしまうのに、慎一と私はそうならないことが嬉しかった。特別な関係な気がして、誇らしくすらあった。

他の人たちにはできないことができている感覚があった。


次の火曜日も、慎一と図書館で勉強した。

「実佳もいま空きコマだって。呼んでいい?」

「いいね。3人でやったほうが進むっしょ」

「別に共同作業するわけじゃないけどね」

「監視の目は多いほど集中できるってことよ」

こうやって私が第三者を呼ぼうとしても、慎一は嫌がる様子を全く見せない。

二人きりでいたいという素振りを見せてこないことが安心材料になっていた。

その日は3人でカラオケに行って、3人でご飯をたべた。


こうして一緒に過ごして、もう3年が経とうとしていた。

完全に、油断していた。

「瞳のことが好き」

「好きって……」

いつものように課題をやって、一緒にご飯を食べた帰り道のことだった。

想定外のことを言われて、頭が回らない。時間を稼ぎたくて、意味のない質問をする。

「どういうこと?」

「どういうことって」

「どういう意味の好き?」

「……キスとか、それ以上のこともしたいって意味で好き」

頭がカッと熱くなって、泣きたいような気持ちになった。

「慎一、私がそれ聞いて喜ぶと思ったの?」

「……」

「ずっと仲良くしてたのは、優しくしてくれたのは、いつかワンチャンあるだろうって思ってたからってこと? 3年間ずっとそういう気持ちだったの?」

「それは、」

慎一が下唇を噛む。嘘をつく時、図星の時の癖だ。

「信じらんない。これがどれだけ虚しい事かわかる?」

声に涙が混ざりそうになるのを、必死に我慢した。

「二人の関係がうまくいってたのは、慎一が私に対して下心込の優しさをもって接してたからってことになるじゃん」

「……ごめん」

「私、馬鹿みたい」



 「二人でよく博物館に行って、飲みにも行って? ちょっと夜遅くても呼び出せば来てくれて、たまにおいしいケーキとか食べに行って。それってもう恋人じゃん」

言いながら実佳は、吸いきった煙草を灰皿に押し付ける。

「そう言われると、そうかもしれないけど……」

「恋愛的に好きでもない相手と、どうしてそんなことするの?」

「は? こっちからしたら逆に、どうしてそうやって仲良くしてたらすぐ恋愛を絡めてくるのか全然意味わかんないんだけど」

「そりゃ、みんな恋したいからでしょ」

またこれだ。世の中恋愛のことしか考えてない人ばっかりで嫌になる。

「そういうのマジで無理。私は全然恋したくない。押し付けないでほしい」

「押し付けないでって、それこそ恋愛するタイプの人間からしたら『恋愛したくないって意思を押し付けないで』って感じなんじゃないの。どうしてそっちが無条件に尊重されると思ってんの?」

そういうとこちょっと傲慢だよね、と実佳が言う。

「瞳は、慎一との関係は恋愛に全然関係ないって思ってるかもしれないけど。私は話きいてて、この2人いつ付き合うんだろうってずっと思ってたよ」

「ええ……」

「まっじで気づいてなかったの? 慎一が自分のこと好きなのかもしれないって1ミリも思わなかった?」


映画祭に行った帰りのことだった。映画祭はお台場で開催されていて、夜のお台場はカップルがたくさんいた。その中で、私と慎一はカップルではないままそこにいた。

「うちらがいい感じのちょっとお高いお店でお酒飲むのは、なんか違うもんね」

と、おしゃれなレストランを横目に見ながら、コンビニで買った缶チューハイを公園で飲んだ。

そう言われたときの慎一の顔を、私は覚えていない。ちゃんと見ていなかったから。


水族館に誘われたこともあった。私も水族館は好きだし行きたかったけれど、デートスポット過ぎると思って、そのときは結局断った。


実佳が新しい煙草に火を付ける。大きく息を吸い込んで、吐き出す。

「性欲のこと見下しすぎなんじゃない?」

「どういうこと?」

「そりゃ、ところかまわずとか、相手の状況を考えてないとか、そういうのは良くないけどさ。慎一はそうだったの? 瞳のこと全然考えてなかった?」

煙が吐き出されて、空中に消えていくのをぼんやりと見ていた。

「モチベーションに性欲が含まれてるからって、大事にしたいって気持ちには変わりないんじゃないの。どうしてそんなに毛嫌いするの」

「それは……」

「親密になることを遠ざけて、偏った考えで相手を傷つけているのは、むしろ瞳のほうだと思うけど」

それは、一理あるかもしれない。

「まじで意味わかんない……」

「おー、私も瞳の考えてること意味わかんないよ」

慎一がかわいそう。

灰皿にぐしゃ、と押し付けられる煙草を見ていた。


明日は火曜日だった。

どんな顔をして慎一に会えばいいのか、私は分からない。

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