応援コメント

02 流刑先」への応援コメント

  • うーんなるほど!
    情にほだされた清盛がうっかり頼朝を助命してしまったと思ってたけど、これだけの人物ですから、清盛の腹の内にはいろんな計算があったかもしれないですね……。

  •  こんばんは、御作を読みました。
     全盛期清盛は頼朝さんと互角の戦略眼と判断力がありましたから、先を見こしてこう考えていたのだ、と言われると説得力があります。
     頼朝さんとの違いは、良くも悪くも清盛さんには人間味があったことか(°°;)ダカラ全盛期モ短イ
     面白かったです。

    作者からの返信

    あの清盛が殺さないでいたことに意味があると思いまして^^;
    じゃあ、叛乱軍の頭目の息子を生かしておくとしたら何だというのが、今回のお話です。
    清盛さんは怒る時は怒るから、まだ周りも臣下もやり易かったろうなぁ……。
    だから全盛期が(以下略
    なお頼朝はクールだったから、周りもやりにくい上に、すぐ殺され(以下略

    ありがとうございました。

  • 殺すよりも殺さぬ方が利がある。
    そう考えたというのは説得力がありますね。
    池禅尼の嘆願があったからというのがいかにも作り話くさいですし。

    作者からの返信

    あの清盛がやったことですからね。
    殺さない以上、何かの裏があると思ったんです。
    池禅尼は池禅尼で動いたんでしょうけど、そういうことにして、何か考えていたんだろうなぁ、と。

    ありがとうございました。

  • 拝読致しました。
    政子さん、堂々としているなぁっΣ(゚д゚lll)
    自分の思った事を貫き通す、強い意思を感じさせます。
    そして考えることがお好きなようで……
    頼朝さん、不穏分子の誘蛾灯説?
    一方的な期待を一身に集められて、実は体制側でした~、なんて言われたら不満は頼朝さんい集中するという、身代わり地蔵的な。
    だから適度に情報の流通があり、適度に都から離れている場所に流されたのか。

    作者からの返信

    政子さんは生まれつきの性格もありますが、この地で伸び伸びと生まれ育ったおかげもあって、思うがままに生きています。
    伊豆という土地も、海の道で京からつながりがあるみたいで、京からの文物に触れ、考えることも多かったんじゃないでしょうか。

    頼朝を殺すのは簡単ですけど、そうしなかった理由を考えてみたんです。
    徳川家康も、流人ではなく人質というかたちでしたが生かされて、今川家の三河代官みたいなポジションに置かれたので、そういうことかな、と。
    まあ、頼朝の場合は、潜在的な反平家への見せしめも込みだったんでしょうけど。

    そして、この時代だと有名な俊寛とはちがって、繰り返しになりますが、ある程度京とつながっている伊豆に流されていましたし。

    ありがとうございました。

  • おお、これも新説!(((o(*゚▽゚*)o)))

    作者からの返信

    何で殺さなかったんだろうと思ったことがありまして……。
    流すにしても、遠い島でもないし。
    そうすると、頼朝の利用価値を考えて、命を取らずに、それなりのところへ流した、ということを思いついたのです^^;

    ありがとうございました。