十一、婚姻の儀
翌日から、いつきは学院に再び通い始めた。最初こそ目立っていたいつきだが、どうやらこの学院でも火佐への風当たりは強いらしく、次第にいつきは平穏な生活に戻っていった。
「火佐さまとの婚姻の儀、招待状もらったよ」
「紅葉ちゃん。来てくれるの?」
「もちろん! ヒカルも行くって。ね?」
いつきの隣の席のヒカルに、紅葉はにこりと微笑んだ。ヒカルも優しく紅葉に笑いかけ、この二人の絆は相当強いのだと思い知る。
「でも、火ノ神の現当主さまも人が悪いよね。火之さまの婚姻の儀を同じ日で許すなんて」
これはどうみても、火之の当てつけだった。火佐と火之、同じ日に別の場所で婚姻の儀をあげるとなれば、どちらの儀に参加するのか、ある種の権力争いのようなものだった。
そしてそれは、おおよそ火佐には不利だった。いまだ火佐があやかしを殺せないことは、神々の間ではあまりよく思われていないらしい。
先だって、いつきの魂の武器であやかしを正気に戻したことは神々たちにも知るところであるはずなのだが、どうにも信じがたいらしく、火佐はいまだに神々の間では笑いものだ。
しかし、火佐の本来の優しさを知る者たちも、少数ながら存在する。ヒカルや紅葉がそうだった。
「でも、楽しいでしょう? 衣装選び」
「いや、もう大変で」
毎日反物をよこされて、これはこうとかあっちはどうだとか、特に佐那が張り切っている。
婚姻の儀では、白無垢を着るのが通例らしいが、お色直しで色打掛も着ることになっている。
「白無垢は重いから、一日中着てるの疲れるよ」
「紅葉ちゃんはもう、婚姻の儀を終わらせたの?」
「お、いいね、いつき。俺らの婚姻の儀の写真、見る?」
ヒカルが嬉しそうにスマホを取り出して、写真を一枚一枚いつきに見せる。
「これが白無垢。ああ、今思い出しても本当にきれいだな」
「やだ、ヒカルったら」
「で、こっちが色打掛で。ドレスも着たんだ」
「へえ、ドレスも。どれも似合ってる」
紅葉はきれいなオレンジ色の髪の毛と、緑色の瞳を有する。いつきから見ても美しく、やはり木の神なのだと思わされる。それに比べて、自分のなんと貧相なことか。
「いつきは、赤い色打掛が似合いそう」
紅葉がうっとりした表情でいつきを見ている。
「赤?」
「うん。火佐さまが火ノ神だから、赤い色は特別だし。いつきが赤を選んだら、火佐さまも喜ぶと思うな」
けれど、火佐は瞳は赤いが神は黒い。きっとそれは、火佐が火之と双子だからだ。双子だから、火の特徴も半分ずつで生まれ落ちた。
「赤、かぁ。確かに、この帯留めも、赤だもんね」
いつきが帯留めを撫でつける。毎日身に着けているから、だいぶ愛着がわいてきた。そういえば、火佐は着物はいつも落ち着いた紺や黒だが、ワンポイントで帯や羽織紐に赤色を使っていることに気づいた。
「私、赤い打掛試着してみようかな」
「だよだよ、あ! 試着したら写真送ってよ。せっかく連絡先交換したのに、いつきったら全然連絡くれないんだもん」
学院に復帰して最初に、紅葉とヒカルと連絡先を交換した。ほかのクラスメイトはそこまで仲良くなれなかった。おそらく、火佐ではなく火之こそが火ノ神にふさわしいと思っているのだろう。
しかし、みんなは知らないのだ。火之は、火ノ神、ひいては太極の神になった暁には、霊力のない人間を排するつもりなのだ。言ったところで誰も信じないだろうが。火之は猫をかぶるのがうまい。そして、いつきの妹絵里も、この学院ではまるで聖女かなにかのような振る舞いであった。
「じゃあ、またね」
帰り支度をして学院を出る。学院の校門の前のリムジンは、いつき専用の車である。それに乗り込んで、いつきははやる気持ちを抑えた。
家に着くなり、いつきは佐那をつかまえて、
「佐那さん。私、色打掛は赤にしようかと思っていて」
「まあ。まあ! 赤に?」
「はい。それで、赤いものでいろいろ反物を見てみたくて」
色打掛にはさまざまな模様があって、吉祥文様をはじめとして、鶴や桜など、様々なモチーフが描かれる。
白無垢は、シンプルに生成りの鶴の刺繍のものに決めたが、色打掛では少し遊び心が欲しいところだ。
「デザイナーがよこしたのは、この四枚です」
火ノ神らしく、炎を刺繍したもの、桜が刺繍されたもの、鶴と亀のもの、炎と花々をあしらったもの。どれも美しかったが、いつきがいの一番に指さしたのは、炎ひとつをモチーフにしたものであった。
「これ。シンプルですけど、色がきれいです」
「はい。赤い生地は光の加減で黒くも見えます。炎は刺繍でそれは豪華になるかと」
佐那もうれしそうだ。
しかし、ほかの色打掛も気になるのは気になる。
いつきが悩んでいると、玄関を開ける音がした。
「帰った」
「わ! 火佐さん!」
居間で色打掛を見ていたいつきが、嬉しそうに立ち上がって玄関へ走った。まるで子犬の様に火佐を出迎えて、火佐がいつきの髪を優しくなでた。
「今日も楽しかったか?」
「はい。あ、今、色打掛を見ていて。赤色までは絞れたんですけど。火佐さんの意見も聞かせてください」
いつきが火佐の手を引いて歩く。使用人たちが火佐から荷物を受け取る。火佐はかわいらしいいつきに振り回されて、帰宅早々にいつきとともに色打掛のデザインを見る。
デザイン案を見て、火佐がうんうんとうなっている。
「火佐さん、どれがいいと思います?」
「ああ。赤で本当にいいのか?」
「はい。赤は火佐さんの色ですし。やっぱり私、火佐さんと関係のある色がいいなって」
うれしいことを言ってくれる。火佐はにやけそうなのを我慢して、表情を取り繕ってデザイン案をにらみ見る。
「これ、いや、こちらも捨てがたい」
指したのは、炎のみの刺繍の色打掛だった。
「やっぱり! これすごくいいですよね」
「いつき、実はもう自分のなかでは決まっていたのでは?」
「いいえ。火佐さんがこちらというのなら、こちらにするつもりでした。でも、同じものをいいと思ってくれてるって、うれしいですね」
いつきがへにゃっと笑った。最近いつきはよく笑うようになった。火佐はいつきを抱きしめて、いつきの頭をポンポンと撫でた。いつきは火佐のこれが好きだ。
火佐に身を任せ、いつきはそのまましばらく幸せな時間を堪能する。
なにがあってもこの人を当主にしたい。しなければ。
いつきの胸が満たされていく。もう、いらない子供だった頃のいつきは、いない。
火ノ神と魂の片割れ〜五行の神に嫁いだいらない子の私は、溺愛される〜 空岡 @sai_shikimiya
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