ずっと諦観で蓋をして

不明夜

ずっと諦観で蓋をして

 今日を以て二月が終わり、また明日を以て我々三年生は卒業式を迎える。

 高校生としての日々は終わり、また一歩大人へと近付くらしい。


 天気予報によれば明日は八割がた雨らしく、今も曇り空が頭上に広がっているのが懸念点だろうか。


「正治先輩!小夜先輩に告白したいんですけど、どうしたら良いですか!」

「俺に聞かれても困る。何なら俺の方が聞きたい。一つアドバイスする事があるとすれば、精々悔いのない様に、としか。一応は応援してるぞ」


 尤も目下の課題と言えば、卒業式前の告白ラッシュ……の、皺寄せにどう対処するか、なのだが。


 俺の名前は正治しょうじ知常ともつね、誰が呼んだか歩く恋愛相談所。

 中学の頃、見る目のない友人が俺に恋愛相談を持ちかけた後告白を成功させたのを皮切りに、俺に相談すれば恋愛が成就するなんてよく分からんジンクスとご利益が捏造されてしまったのが、この厄介なあだ名の由来だ。

 勝手にやってろと言いたいが、人の期待を無下にするのも心が痛む。

 

 しかし、俺の苦労など今日に限っては可愛いものだろう。

 俺に寄せられた恋愛相談の内、実に半分が同一の人物を対象としたものだからだ。

 

 自販機へ百円玉を二枚投入し、釣り銭と一本のペットボトルを回収して移動する。

  

「遠くから見てたぞ、お疲れさん。さっきので一旦打ち止めみたいだから、今の内に休憩しとけ。ほら、容量の割にはちょっと高いお茶だ」

「何でわざわざ値段の話するの……しかもノリが部活だし。知常って私と同じく帰宅部でしょ?まあ貰うけど」


 ひどく疲れ果てた様子で校舎裏の壁へもたれかかる人物へ、外気のせいで冷えてしまった緑茶を手渡す。

 受け取るや否や彼女はペットボトルの蓋を開け、体勢はそのままに飲み始めた。


 彼女こそが常に恋愛劇の渦中に居る問題の人物、朽名くつな小夜さよ

 一応は俺の幼馴染であり、またつい先程も五人の告白を切って捨てた高校一のキルスコアを誇る才女である。


「……今日、あと何人来るのかな」

「俺の元へ相談に来た人数的に、あと三人は来る筈だぞ。やっぱり告白され続けれるのは面倒か?」

「そりゃあ、まあ。誰かさんが私の元へ来る人全員の背中を押したりしなければ、もう少しは楽だったのかもしれないけどね?」


 ペットボトルの蓋を閉めながら、彼女は少しだけ口角を上げていたずらっぽく微笑む。


「……本当に面倒ならデマ流してくるぞ。朽名小夜が俺と付き合ったって」

「そっか、頑張れ。私も陰ながら応援しとくよ」

「そこは止めてくれ、俺が八つ裂きにされる様がそんなに見たいか?」

「見たい。……ってのは流石に冗談だけど、面倒なのは本当だよ。一人一人に断る理由を考えるのは疲れるし、きっと本気なんだろう気持ちに薄っぺらい言葉で返すのは嫌気が差す。知常、私は薄情者なのかな」


 曇り空へと呟かれた言葉には、疲れと諦めが込められていた様に思えた。


 実のところ、俺も彼女の事を薄情者だとは思っている。

 けれどもそれは、決して彼女自身が思い悩むべき事では無い。


「冷静になって、下校時刻を過ぎたのに学校へ留まる必要なんて無いんだ。よーし小夜、飯食いに行くぞ。サイドメニューくらいは奢ってやる」

「え?でも、まだ私に用がある人がいるんじゃ……」

「知らん知らん、どうせフラれる奴らの事を気にかけてどうする。人と関わるの向いてない癖して、変に優しいフリはするな。そこがお前の欠点だ」

「……そうだね。じゃあ私、今日はラーメン食べたい。約束通り、餃子奢って」

「あーはいはい、俺からの一日早い卒業祝いだ。時価三百円程度の、な」


 互いに顔を合わせないよう逆方向の空を見上げながら、学校を後にする。


 少し後ろから響くタイミングのズレた足音は何となく気まずくて、何か言葉を発しようにも思い付かなくて俺は黙りこくった。

 俺にとっては苦痛を伴うこの時間も、彼女にとって安らぎとなるのならそれで良い。

 それで良いのだと、また自分に言い聞かせる。

 

 今日は、沢山の人間が告白する瞬間を見た。

 そのせいだろうか。

 忘れようと努力してきた朽名小夜への思いが、下らない俺の初恋が、気付いた頃には既に終わっていた感情を思い出して仕方ない。


 ガラスの押し扉を開け、店員の案内に従い一番端のテーブル席へ腰を落ち着ける。

 注文は、醤油ラーメン二丁と餃子六個。

 この季節に飲むには冷たすぎる水で乾いていない喉を潤し、俺を見つめる瞳から目を逸す。

 視線の先では、空調が騒がしく作動していた。


「……なんか、怒ってる?」

「まさか。俺だって卒業式の前日くらいは感傷的になるさ」

「そっか。卒業した後ってさ、私達何するんだろうね」

「さあ?とりあえず、一旦は大学行くんじゃないか。俺が国立受かってるかは知らんが、受かってりゃ四年間はまた一緒だ。その先は……どうだろうな」


 俺は特にやりたい事が無いので、大卒資格が取れるのならば別にどこでもいい。

 受かっていたら当然嬉しいし、落ちてしまったらそりゃあもう凹むだろうが、そこの結果が今後の人生へ与える影響はさして大きくはない。

 高校受験の時こそ彼女に張り合って勉強に熱を入れていたけども、今となってはそんな気力、あるいは蛮勇なんて残ってはいないのだから。


 届いた醤油ラーメンを啜る。

 今日は緊張のせいか味が分からないが、彼女の表情を見るに美味しいのだろう。


「好意と敵意って、何が違うんだろうね」


 八割がた食べ終わった所で、彼女は唐突にそんな事を呟いた。

 

「人から好かれるのも妬まれるのも、私は怖い。理解できない。ただ普通に話していただけの人が、数日後には私を避ける様になる」

「……辛いか?」

「うん。知常は、誰かを好きになった事ってある?」

「そうだな、一度だけ。残念ながらもう終わったし、今だに引きずってるさ」


 始まりがいつだったのかは覚えていないけども、本当に良くある、どこにでもある話だ。

 最初はただの友達だとしか思っていなかったのに、いつの間にか友愛は恋愛へとすり替わっていった。


 問題は、友達だった期間が長すぎた事だ。

 朽名小夜が人の感情に疎い人間であると理解するには十分すぎる月日を、既に俺は過ごしてしまっていたのだ。

 故に、俺の初恋はそれを恋だと自覚した瞬間に終わった。


「……意外。私と同じく、分からない側の人間だと思ってたのに」

「悪かったな、俺が下心に塗れた生き物で。俺はお前ほど煩悩消えてはないんだ」

「じゃあ、私は好みから外れてたって事か。そのお陰で今こうして話せているんだから、私はきっと運が良い」


 無邪気な言葉が突き刺さる。

 嘘を吐いている様な罪悪感に刺激されて、胃と心臓が痛む。

 こんな事ならもっと早くに、考え無しに失恋してしまえば良かったか。

 

 ああ、だが。 

 彼女の信頼を、決して恋などではない好意を裏切りたくはない。

 

「知常は私にあまり関心がないのだと思うけど、だからこそ私は救われているんだよ。……ありがとう」


 その言葉を咄嗟に否定しようとしてしまった自分に気付き、慌てて口を噤む。

 無関心な相手に対して何年も付き合う訳がないだろう、なんて。

 俺の思いは一生涯理解されないものであるのだから、墓まで持って行こうと決めた筈なのに。


「そろそろ俺は帰るよ。また明日、卒業式で」


 今年の春を別れの季節にしたくなくて、感情に諦観で蓋をする。

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