俗物は聖人たり得るか?

不明夜

俗物は聖人たり得るか?

 私には、嫌いな友人が居る。

 ああいや、嫌いというよりはいけ好かないと言った方が正しいか。 

 その友人……彼は、変わってしまった。


 彼が変わったのは一年と数ヶ月前、私達が揃って同じ高校へと進学した時だ。

 私達は何となく第一志望に同じ高校を選び、二人して震える手で受験に挑み、一緒に受験結果を見て胸を撫で下ろし、また普段通りの日常へと戻った。

 その後は何事もなく中学の卒業式を終え、次に会う時は高校生だな、なんて他愛も無い会話を最後に各々の春休みへと突入したものだ。


 当時の私は、まさか休み明けに彼がああなっているとは思いもしなかったよ。

 春休みの間に連絡の一つでも取っていれば、結果は違ったのだろうか。


 何にせよ、今更悔やんでも仕方が無い。

 どうしようもない現実として、彼はになってしまったのだから。


 中学時代の彼と言えば、口を開けば下ネタかデマに片足突っ込んでるどうでも良い雑学を喋り、テスト前には決まって勉強してないアピールを過剰な程に行い、その癖私よりも良い点を取るくらいの割と何処にでも居そうな男子中学生だった。

 それが今や、日常会話でも相手への気遣いを忘れず、テスト前には私が分からない点も懇切丁寧に解説してくれて、本人は当たり前の様に高得点を叩き出しては決して驕る事なく日常へ戻っていく。

 助かってはいるが、はっきり言って気持ち悪い。


 当初は高校デビューの一種、あるいは中二病の亜種だと思って放置していたが、一年経っても元に戻る気配がないのは流石に異常だ。

 根っこの部分から変わってしまったのか、それとも彼の本質はこちらだったのか。

 見て見ぬ振りにも限界が訪れた私は、普段通りの声色を心がけながら問いただす事にした。


「……なあ。唐突で悪いんだが、ここ一年半くらい体調が悪かったりしないか?」

「本当に唐突だな。俺は別に元気だけど、お前こそ体調は大丈夫か?確か前言ってたよな、暑いと体調崩しやすいって。無理はするなよ?俺のランニングにお前が付き合う理由もないし」


 蝉の声が煩わしい、何でもない夏の日のことだ。

 川沿いの道を私だけ息を切らして走りながら、絶え絶えの声を絞り出す。

 付き合う理由がない、何てのは本来こちらの台詞なのに。

 態々私に合わせてペースを落とさなくても言ったところで、彼はきっと爽やかな笑みを浮かべながら当たり障りのない言葉を投げてくれるのだろう。

 

「すまん、変にぼかした私が悪かったよ。そうじゃなくて、君の態度についてだ」

「……俺の言動で不快にさせてしまったのなら、謝る。ごめんな」

「っ––––––––違う!」


 足の限界と怒りが同時に来て、思わず立ち止まって叫んでしまう。

 私の声が橋の下で反響した後、一時の静寂が訪れた。

 その間も彼は弱々しい困った顔を浮かべるばかりで、そんな表情を見ると自分勝手だと分かってはいても怒りを抑えきれない。


「この際はっきり言うさ。何なんだよ、高校に入ってからの君は!聖人君子に取り憑かれたか!?押し付けがましい話だろうけど、君はそんな人間じゃないだろ!」

「あー……そうか、一度も言われなかったから気にしていないと思っていたが、俺の事をそんな風に思ってたんだな」

「そうだよ!ワックスを付け過ぎて変な髪型になった挙句先生に怒られるのが君だろ?ノートの隅にギリシャ文字を書いてるのが君だろう!?」

「人の黒歴史をよくもスラスラ言えるなお前な!?ああもう、ちゃんと話すから勘弁してくれ。それと、これから話す事は内緒にしてくれよ、飯奢るからさ。な?」


 激昂し口を滑らせた私にテンポ良くキレた彼は、私の肩を何度かバシバシと叩いてから走り出す。

 ああ、彼はきっと変わっていない。

 仄かな肩の痛みに身勝手なエゴが肯定された気がした私は、息を整えて彼に付いて行く。


 土曜の昼下がりのファミレスは、その名に違わず家族連れで賑わっていた。 

 しかし幸運にも空腹の学生二人を受け入れられる席は空いていた様で、待ち時間は無く端にあるテーブル席に着く事が出来た。

 私は口止め料として躊躇いなくドリンクバーと和風ハンバーグを頼み、葡萄風味の炭酸飲料で喉を潤しながら彼の話を待つ。

 ドリンクバーでふざけずに粛々とブレンド麦茶を注いできた彼に対してよく分からない怒りが湧き上がってきたが、その怒りをそのまま口に出す気はもう失せていた。


「さて、と。お前、好きな人にフラれた事はあるか?」


 至極真面目な顔で、彼は語り始める。


「俺はある。中学の卒業式のタイミングで、お前が帰った後に告白したんだよ。そして敢えなく玉砕した。それはもう一縷の望みも無くなる程に!」

「君、意外と余裕ありそうだな」

「もう昔の事だしな。で、そのフラれた理由が『もっと優しい人が好きだから』だとよ。それがまあ、当時の俺には凄くショックだった」

「……え、まさかそれを真に受けて!?」


 信じられなかった。

 そんな単純な理由で、さも簡単な事みたいに自分を変えてしまえるなんて、信じられる訳がない。


「でも、優しい方がモテるってのは本当だろ?それに、ゴミ拾いのボランティアから始まる恋もあるかもしれない」

「それが目的かよ、とんだ偽善者め」

「別に良いだろ偽善者でも。上辺以外を全て完璧に隠せば、偽善であってもそいつは間違いなく善人だしな。……だから、この事はお前にも内緒にしていてほしいんだ」


 やっぱり、真意を知っても私は彼の事が嫌いだ。

 昔から何も変わっていない筈なのに完璧なまでに上辺を変えて、いつでも置いていける私を友人として扱ってくれる。


「仕方がないな。私も、気が向く間は黙っておくよ」

「ああ、そうしてくれ。俺も墓まで持っていくつもりだからな」

「壮大な夢だな」

「いいや、もっと壮大なのもあるぞ?例えば––––––––」


 ––––––––稀代の聖人として、歴史に名を残すとかな?


 線香の香りに乗せられて、何時か聞いた言葉がフラッシュバックする。

 馬鹿げていると笑った言葉が、しかし不思議と否定もできなかった言葉が。


「……結局、最後まで君は偽善者だったな。嘘も突き通せば真実となる、というのは本当だったのか。君の真意を知っていたのは私だけみたいだ」


 綺麗に整えられた墓の前で、すっかり皺の増えた手を合わせる。

 蝉の鳴き声がうるさい程に響く夏空も、風に揺れる緑の木々も、何もかもが懐かしい。


「誰も彼も、君を裏のない善人だと思っている。実際はただ異性にモテたいだけの奴なのに……でも、結局聖人にはなれなかったよな」


 あの言葉の真意を、私は知らない。

 ただの冗談だったのかもしれないけど、少なくとも当時の私は、君が本気で言っていると信じていた。

 今となっては、どちらでもいい話だが。

 少なくとも、君は私にだけ話してくれた目的を達成したのだから、驚きだ。


「最後は孫に看取られて……か。聖人でなくとも、歴史に名を残せなくとも、君は本物の良い人だったよ」


 それだけは、間違いなく事実だ。

 わざわざ私が言わなくたって、君と関わった他の人が嫌というほど言ってくれるだろうけど。


 ゆっくりと燃え尽きる線香を見届け、私はその場から立ち去った。

 せめて彼の真意は墓まで持って行こうと、誰の為でもない偽善を胸の内に秘めて。

 

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