鴉と珈琲と吸血鬼

不明夜

鴉と珈琲と吸血鬼

 私は、。 

 そう自覚したのは、意外にもつい最近の事だ。確か、十八世紀頃だっただろうか。

 私が思考する血の塊ではない、人の形をした生物として生まれてから最初に見たのは、目まぐるしく変化し、進化する人類だった。

 

 それを見て、理解して、私が得た感想は一つ。

 私は、置いて行かれたのだと。

 私の様な、ただ長く生きる以外に能のない存在に、居場所は無いのだと。


 私は、

 人の血を啜る事で生きる、怪物だ。

 ああ、とはいえ、別に血を飲まなくても死にはしない。

 

 ––––––––そう、死ねない。

 吸血鬼だから不老不死なのか、不老不死だから吸血鬼なのかは分からないが、少なくとも私は後者だった様だ。

 私を友と呼んでくれた友人も、私を殺そうとしてくれた聖人も、皆私より先に死んでしまった。

 運がどう悪いのかと問われたのなら、吸血鬼として生まれた事だと答えるしかないだろう。


 一銭の価値もないのに日課となってしまった私の思案は、ドアベルの音によって掻き消された。


「いらっしゃいませ。あ、山田さん。久しぶりにご来店頂き、ありがとうございます」

「おう。久しぶり、マスター。ずぶ濡れですまんな、傘を忘れちまって」

「大丈夫ですよ。こんな深夜に雨に降られるなんて、災難でしたね。注文、何にされますか?」

「じゃ、熱々のエスプレッソを一杯貰うよ。……熱々と言っても、ちゃんと飲める温度のやつな?コーヒーと一緒に焼け死ぬのだけは御免だ」

「あれはただの事故ですから、気にしないで下さい。……このやり取り、いい加減やめませんか?」


 常連の山田さんが座ったテーブル席を離れ、店の奥に向かう。

 カウンター席に座ってくれれば私の移動が少なくて楽なのだが、山田さんは何故か頑なに奥から二番目の席に座る。

 それに、ホットの飲み物を頼む時に毎回、十年は前の出来事を持ち出してくる。

 人間にとっての十年は、かなりの年月なのに。


 多分彼は、性格が悪いのだろう。

 普通、ブランデーとコーヒーの割合を間違え、うっかり店が全焼しかけただけの事柄を何年も話のネタにするだろうか?

 

 アイスコーヒーを山田さんの席に運び、私も反対側に座る。


「あれ、アイス?俺、ホットで頼まなかったか?」

「あ。……気にしないでください」

「それを店側が言っちゃダメだろ、マスター……ま、いいけどよ。てか、あの……ええと……ドアのとこにある……鳴る……」

「ドアベルの事ですか?」

「そう、それ!ドアベル、前のから変えたんだな。おかげで、店に入っても耳が無事だ。すごいじゃないか、ここが真っ当な店に近付いたのは数年ぶりだ!」

「そうですか、それはよかった。変えた甲斐がありました」


 元々は知り合いから貰った人除けの鈴を付けていたのだが、山田さんと他数名しかこの店に来店していない事に気付き、急遽取り替えたのだ。

 私から言わせて貰えば、耳が痛くなる程度で入って来れる彼らの方がおかしいと思う。実は結構すごい人だったり……は、流石にないだろうな。

 そういえば、何でそんな危険物をドアベルとして付けていたのだろうか。

 今となっては、動機が全く思い出せない。 


「マスター、最近何か面白い事は無かったかい?俺の方は上司に詰められてばっかで最悪だよ。景気のいい話が聞きたいよ、ほんと」

「そうですね……人助けをしましたよ。火事に巻き込まれた人を何人か救いました」

「へえ、すごいじゃないか!てか、火事ってあれか?向かいのビルのやつ。放火ってニュースでやってたよな」

「いや、あれは放火じゃなくて火の不始末ですよ。原因、私ですから」

「それはマッチポンプって言うんだよ、マスター……」


 流石にそれは心外だ。私が責められる謂れは無い。

 確かに火事の原因は私だが、あくまでも事故だった以上あの救助活動がマッチポンプだとか、八百長だとかと言われるのは理不尽では無いだろうか。

 ただ、火の恐ろしさを再認識する事になったのも事実だ。


「……マスター、このメニューにショートケーキってあるが、これ前は無かっただろ?美味しそうだし、一個貰えるかい?今度こそ、ホットのコーヒーも付けてくれ」

「ああそれ、今日は用意してないんですよ、すみません。どうせ客も来ないだろうと最近は作ってなくて」

「そうか……あ、店はいつ閉める?俺が邪魔ならさっさと会計を済ませて帰るが、そうじゃないならもう少し居させてくれ」

「朝になったら閉めますが、それまでは自由に居てください。支払いもまあ、ツケで大丈夫です。それでは、私は行きますね」

「待て待て、外はまだ雨だぞ?ってもう行っちまった。マスターも変な人だよなあ。気まぐれというか何というか……」


 私は、運が悪い。

 雨に打たれてずぶ濡れになりながら、思案する。

 普段と比べて、今日の私はどことなく感傷的になっている気がする。まあ、たまにはそんな日もあるものだろう。

 

 カフェ、ノスフェラトゥ。

 時の狭間、次元の狭間––––––––なんて辺鄙な場所ではなく、ビルとビルの狭間にある小さなカフェ。

 土地の再開発などの影響で何度か移転したものの、私は同じ名前、同じ店構えでカフェを営んできた。

 その目的は、ただ一つ。


 私と同じ、の存在に会うためだ。

 

 生まれてから、初めの百年はただ生きた。

 きっといつか、人間の生活、人間の文化に馴染めると信じて。


 次の百年は仲間を探した。

 きっとどこかに、私と同じ苦しみを味わっている存在がいる筈だと。

 

 そして、この百年は静かに待った。

 私と同じような、居場所のない怪物の為にカフェを開いた。

 昔の私みたいに、能動的に仲間を探している怪物仲間が見つけてくれると信じて。


 そして私は、失敗した。

 運が悪い。

 いや、悪いのは頭だったのかもしれない。

 この世界に、生きたは私一人。

 それだけの、単純な事実に気付いたのはつい最近だ。


「……はあ。この店、潰れていたんだった。夜でも開いてて色んな食材があって、便利だったんだけどな……」


 目的地に着いてすぐ、私はため息を吐いた。

 目の前には、閉じたシャッターと”長らくご愛顧いただきありがとうございます”の文字が書かれた素っ気のない紙。

 仕方なく踵を返し、夜明けが近付いてきた夜の街を歩く。


 いつの間にか雨は上がっていて、辺りには私の足音とカラスの鳴き声だけが響いている。

 この時間帯には特有の趣があるな、なんて感慨に耽っていた所、頭に落ちて来た雨粒ではない何かの感触によって私は冷静になった。


 ……冷静になれたのは一瞬だけで、その後すぐ私の思考は怒りに支配された。

 犯人はアイツだ。今、夜の闇に紛れて飛んでいるあの鴉だ。

 困った事に、私はちょっと血が吸えて不老不死な点以外は人間と何ら変わらない。 

 だから、蝙蝠に変身して空を舞う事も、霧となってあの鴉を窒息させる事も出来ないのだ。


 つまり、今の私に出来るのは人らしく愚痴を言うだけであり––––––––

 

「何がだ、このクソ野郎!」


 実に吸血鬼の叫びは夜の街に響き渡り、それを嘲笑うかの様に鴉の鳴き声も勢いを増したのだった。


 * * *


「……マジか。ケーキの材料を買いに行ったら鴉に糞を貰って帰って来たとか、やっぱマスターは違うね!何て言うんだっけ、もった……もっと……」

「持ってる?」

「そう、それ!にしても、なんか顔色が良くなってないかい?まるで、みたいな……いや、今回付いたのは鴉の糞か!ははは!」

「……店閉めるんで帰って下さい。会計は五百円になります」


 結局、運の悪さに対して取れる行動は無い。

 怒っても事態は解決しないし、悲しんでも運気が変わる事はないのだから。

 それでも何か、納得出来ないと言うのなら。


 せめてもの抵抗として、笑い飛ばすしかないだろう。 


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鴉と珈琲と吸血鬼 不明夜 @fumeiyo

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