第9話 少年漫画じゃあるまいし
「ちょっとこっちに来てください」
そう言って眼鏡くんは俺を立たせ、また手を取って歩き出す。
てくてく、ゆっくりとした心地いいリズム。
俺たちが移動するたび、木陰に巣くった闇がざわざわと逃げて行く。
俺は歩きながら、眼鏡くんに疑問をぶつけた。
「なあ眼鏡くん、ここは一体、どういった場所なんだ?」
すると眼鏡くんは、質問の意図が分からないというように俺を見上げた。黒縁眼鏡の上をさらりと前髪が流れる。レンズが陽光を反射して、青白い肌をより一層白く際立たせる。
「ここ、気温が相当低いんだろ?」
繋いだ手は相変わらず熱い。けれどそれは俺だから感じる熱で、本来の眼鏡くんの体感気温は、それなりに低いはずだ。
「それに風も吹いてないし物音もしない。普通の空間じゃないのか?」
おまけに、あちこちに作られた物陰に立ち込める闇が、ざわりざわりと散っては集まり、集まっては散っていく。その様が不快だった。
眼鏡をクッと持ち上げた眼鏡くんは、「ああ」と頷き、繋いだ手をゆらゆら揺らしながら足は止めずに話し始めた。
「別に、ここは普通の公園です。『幽霊公園』の名のとおり、雑多な霊が数多く集まってはいますけど、その元凶は公園の外にいました」
にっこりと音がしそうなほどの満面の笑顔を俺に向ける。つまりは俺が元凶という訳か。ここは、だからどうして俺が、と言わざるを得ない。
「強い霊気、強い意志、強い存在に惹かれてヤツらは集まってくる。夏翔さんにその気はなくても、あなたのその強さは他を惹きつけるのに十分だったようですね」
無邪気な笑顔で眼鏡くんは「すごいすごい」とはしゃいでいるが、まったく褒められている気がしない。知らないうちに心霊スポットの主にされているなんて、なんとも複雑な気分だ。
「それにこの公園の造りにも影響を受けた可能性があります。背の高いフェンスに囲まれ、それより背の高い木々があちこちに影を落として、昼間だってのにこんなに薄暗い」
眼鏡くんは天を仰ぎ見る。俺も釣られて太陽を見遣る。
「日射しの届かない物陰は湿気っぽいでしょ。じめじめした場所もヤツらのお気に入りです」
俺を見下し、俺の罪を白日の下に晒し続けた太陽の威力でさえ、及ばない箇所があるだなんて。こちらもなんとも複雑な思いだった。
「公園内に夏翔さんが侵入したことで、ヤツらが活性化したことは間違いないですね。気温の低下はそのせいかな。その他も多分、心霊現象の一種かなぁ」
「かなぁって、頼りないなあ。俺はてっきり、眼鏡くんが結界でも張ったのかと思ったぞ」
小首を傾げる眼鏡くんにそう不満を露にすると、一瞬ぽかんとした表情を浮かべた眼鏡くんは、呆れたと言わんばかりに俺を一瞥した。
「少年漫画じゃあるまいし」
などと一蹴されてしまい、俺の顔が熱くなる。
「まったく、結界なんて張れませんよ。霊能者じゃないんだから」
そう唇を尖らせる眼鏡くん。
霊能者じゃない?何を言ってるんだこの子は?
俺は釈然としない気持ちで、ただ茫然と手を引かれて歩いているのだった。
「ここからならよく見えるかな」
連れて行かれた場所は、俺たちが公園内に入って来た入り口よりもバス停に程近い所で、木々の隙間、フェンスの向こうに車道、そしてその奥に陸上競技場の入場口が見えた。
つまり視界に入るあの場所で、俺は事故に遭ったのだ。
「見てください夏翔さん、あそこ」
眼鏡くんがフェンス越しに指をさす。見遣ると、緩やかなS字カーブを繰り返すアスファルトからはゆらゆらと陽炎が立ち上り、残り僅かな夏の盛りを誇示している。
あちら側はなんとも暑そうだ。
少し前までは俺もあそこで、灼けるアスファルトに縛りつけられていたというのに随分と暢気な感想もあったものだ。自分でも可笑しくなってくる。けれど、気分は悪くない。
隣に立つ眼鏡くんが俺を見上げ、「ちょっと、聞いてますか?」と少し尖った声を上げながら俺の手を思いっきり引いた。
「あそこに横断歩道ができたんですよ!」
ガチャリと俺の身体が前のめりにフェンスに当たった、気がして、俺はその網目に指を掛け目を凝らす。すると、揺らめくアスファルトに滲むように白線が幾筋か浮かび上がった。
それはまさしく横断歩道――
横断歩道だって?俺のいた頃にそんな物は無かった。いや、眼鏡くんは「できた」と言った。俺の死から十年以上、道が整備されるには十分な時間だ。
「――でも、いつの間に?」
俺の口から嬉しさと驚きの入り混じった呟きが漏れる。
そんな俺と横断歩道に交互に視線をやっていた眼鏡くんが、ゆっくりと微笑んだ。
優しさと切なさを滲ませたようなその深緑の瞳に、何故だか胸がぎゅっと軋む。
「あなたの倒れてた位置からだと見え難かったかもですね。横断歩道ができたのは今から五年程前です。これも幼馴染が調べてくれました」
また誇らしげに眼鏡くんが言う。穏やかな笑顔。その瞳の色は変わらない。いや、見る間にその瞳は、暖かさを増していく。
「元からカーブ続きのこの場所は走行車にスピードを出させないという側面もありますが、運動公園で遊ぶ子供たちが集まる場所としては見通しも良くなく、信号機を設置してほしいという意見も以前からあったそうです。でもこの町は車社会ということもあってか長らく見送られてきました」
眼鏡くんがゆっくりと噛みしめるように言葉を紡ぐ。
俺は、きっとその先の出来事を――知っている。
続
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