第6話 自分の想いに囚われてしまって
「こっちが本来のあなたですよね。夏翔さん」
眼鏡くんが問いかける。けれどその口調は断定的で、反撃の余地を許さない。どうしてだろう、眼鏡くんはこんなにも落ち着いているのに、俺は小柄なこの少年に気圧されていた。
「怪談の場所が変わっている。こういった幽霊の出現場所って、そうころころ変わったりしないもんです。そうですよね、だって場所が変わっちゃったら、心霊スポット自体が変わっちゃう。それって心霊スポットととして成り立ってないですよね。何十年も経っていたり、その土地に何か……例えば区画整理とか、地名が変わるような何かがあれば別でしょうけど。ここにはあなたが亡くなってから今日まで、そんなことは起きてはいない」
ゆっくりと噛み締めるように眼鏡くんは続ける。俺はすっかり聞き役だった。
「それに怪奇現象の内容が噛み合わない。一方は真夏、恐らく八月限定で出現して人の足を掴むと具体的です。けれどもう一方はどうでしょう。公園に出ると言われているけど、何をしてくる幽霊なのか不明瞭です。なのに今やこちらの方が心霊スポットとして恐れられている」
眼鏡くんが困ったように笑った。
「なぜだろうって思いました。そしたら幼馴染が調べてくれたんです。アイツはこういった調べ物が得意なんです」
ちょっと得意げにそう言った眼鏡くんは、サイズの合わないジャージの袖を女子のように摘まむと、居住まいを正して両手を膝に添えた。
「だから最初から知ってました、夏翔さんのこと。……知らない振りしてごめんなさい」
ぺこり、そう音がしそうなほど勢いよく眼鏡くんは俺に向かって頭を下げる。それからまた勢いよく顔を上げると、大きく息を吸い込んだ。
「宇佐美夏翔さん。あなたは今から十二年前の八月、高体連の会場に向かう途中で先程ご自身で言ったように交通事故に遭い命を落としました。高校二年生でした」
ひと息にそう告げる。俺も眼鏡くんに倣って背筋を伸ばす。眼鏡くんは相変わらず、落ちる木漏れ日が形作る闇に呑まれており、その表情は窺えない。けれど、その凛とした声音は優しい響きで俺を包み込んでいた。
「今日ぼくは初めてここに来たけれど、ひと目見てあなたがそうだと分かりました。十年以上、あなたはあのバス停前にいた。あの場所に毎年八月になるとあなたは現れる。これはぼくの想像だけど、それはあなたが命を落とした月で、そこで毎年、高体連が行われるからじゃないでしょうか。そして自分と同じように危険な目に遭っている人がいたときに、初めてあなたは手を伸ばす。危険から回避させるために」
眼鏡くんが小さく息をついた。
そうして薄く微笑む。
少し前にも見せた表情だ。
「お人好しですね、夏翔さん」
なぜだろう、胸が暖かい。
けれどそれと同じくらい、腹の底が冷えている。そのせいか、俺の口が勝手に動く。
「……見てきたみたいに言うんだな、眼鏡くんは。ああ実際、見えるんだっけ。霊能者とかいうやつなのかな君は。でも間違ってる。俺はそんなできた人間じゃないよ。本当の俺は、周囲の意見も聞かず自分の都合を押しつけて、最終的に最悪の結果を残してしまったどうしようもない馬鹿だ。みんなの夢も家族の期待も裏切った大馬鹿野郎だ」
本当に俺はなんて救えないやつなんだ。未練がましく魂だけ残ってたって、償えるものも償えない。
そう思えば思うほど、腹の奥底では冷えた黒い塊が渦を巻いている。ひどく気持ち悪い。俺はそいつを吐き出すように自虐の言葉を投げ捨てる。
「俺の周りにいたやつらはみんないい迷惑だって思ってるさ。死んでせいせいしたってな!」
目線を落とした地面には、陸上競技場、観客、一位を取るスプリンターがまるで本物のように息づいている。
羨ましい。羨ましくて、欲しくなる。
生きた身体が欲しくてたまらない。
そんな考えが頭を占める。俺は思わず両手で顔を覆った。
「そんなことない!」
突然の大声が頭に響く。
黒い霧のようなものが晴れたような感覚に、俺は顔を上げた。
すると目の前では眼鏡くんが立ち上がり、胸を張って俺を見上げている。堂々としたその立ち姿に、俺の胸までしか無い背丈がぐんと伸びて見える。
「そんなことありません。話してみて確信しました。あなたはずっと他人のことばかり気にかけている」
眼鏡くんが毅然と言った。
「近しい人たちのこと、ずっとずっと気にかけている。それだけじゃない。初めて会ったぼくのことだって、こんな得体の知れない気味の悪いガキの将来のことだって考えてくれた。そんな人、初めてです」
眼鏡くんはそこで一旦、口を閉じると、大きく息を吸い込み深くゆっくりと吐き出した。その身を包む深緑の輝きが強くなった気がする。
「ぼくが今まで視てきた霊に限ってですが、十年以上、生前のままの意識と姿を保てている霊体はほとんどいない。永い年月この世を彷徨っているうちに、多くがその目的を忘れ己を見失い、ただただ彷徨うだけの雑多なモノになってしまう——こんなふうに」
そう言って眼鏡くんは枝を持ったままの右手を頭上に伸ばした。そしてふわりと腕を翻す。まるで何かを薙ぎ払うかのように。
その途端、眼鏡くんを覆っていた黒い葉影が一瞬で消えた。
その場の空気が軽くなる。
俺は何度か瞬きして、柔らかくも強い光を改めて見る。そこにはあどけない面差しの眼鏡くんがいて、こちらに笑顔を向けていた。
「こんな感じで、ぼくがその気で触れたら霧散してしまう程度のヤツらです」
それから眼鏡くんはスッと笑顔を引っ込めたかと思うと、ひたりと俺の鳩尾辺りに目線を据えた。
「けれど中には、彷徨ううちに良くないモノと混じり合うのか、それとも恨みなのか憎しみなのか分からないけれど、自分の想いに囚われてしまって、理性を失い欲望のままに動くだけの
ざわり。
腹の中身がいっそう激しく蠢いて、俺は無意識に両腕で自分の身体を覆い隠した。
気づかれている。喉の奥から呻きが漏れる。
眼鏡くんが一歩前に出た。
反射的に俺は身を引く。
眼鏡くんの緑色の視線が俺を貫く。
だめだ、その目に絡み取られて、俺は逃げられない。
逃げたくない。
眼鏡くんが俺に向かって、ゆっくりと小さな手を伸ばした。
続
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