第5話 羨ましくて欲しくなる

「夏翔さんは陸上部だったと言いました。自分が亡くなったあとのことは何も知らないとも。それは……本当ですか?」


 眼鏡くんのその問いに、先程、蓋をした何かが再びもぞりと動く。


「では、ご自身が亡くなったあと、陸上部がどうなったか、部員の皆さんがどうなったのか、本当にご存じないですか」 


 もぞりもぞりと動きを強めるそれを、俺は無視した。


 俺が死んだあと。

 それは、想像ならできる。出場予定だった選手が会場前で事故に遭った。普通なら監督やキャプテンが一緒に救急車に乗るだろう。責任者と主力選手を失って、残されたメンバーで出場できただろうか。大会は棄権したに違いない。

 けれどこれはあくまで俺の想像だ。救急車にキャプテンは一緒に乗ってくれただろうか。そもそも俺は救急車で搬送されたのか。即死なら救急車には乗せられないと聴いた覚えがある。


 どうだった。どうだったんだ、憧れだったキャプテンは、目を掛けていた後輩の中武なかたけは、女子のエースで俺の初めての恋人の静香しずかはどうなったんだ――


 俺は何も覚えていない。何も、知らない。


「……当然だ。俺はここに縛られてるんだから」


 そう答えながら、自分の返答に何故か吐き気を覚え、俺は咄嗟に口元を押さえた。

 腹の奥がざわざわと蠢いて気持ち悪い。それに呼応するかのように周囲にこごった闇がざわめく。


「そうですか……」


 俺の回答が不満だったのか、眼鏡くんは硬い表情を見せた。


「夏翔さん、この公園が『幽霊公園』という名称で呼ばれていることはご存じですか」


 表情と同じ、硬い声音。それが俺の不安を掻き立てる。

 不安?俺は何が不安なんだ。気持ち悪い。


「……なんだその物騒な名称は。聞いたこともない」

の夏翔さんじゃなくて、の頃ならどうですか。この名称に聞き覚えは?」


 俺は吐き気を飲み込むように喉を鳴らすと、記憶を遡った。生きていた頃のことならクリアに思い出すことができる。俺は陸上競技場に来たこともあったが、そんないかにも心霊スポット的な名称は一度も聞いたことがない。


「……ですよね。この『幽霊公園』という名称は、ぼくが小学生の頃にはもう市内の子供たちの間には浸透していて、この公園はその名のとおり幽霊が出る公園として忌避され、誰も寄りつかなくなり、ご覧のとおりの寂れっぷりです」


 眼鏡くんはぐるりと首を巡らせ周囲に視線を投げる。俺も釣られて辺りを見渡す。闇が視界に入る。やめろ、見たくない。


「『幽霊公園』の幽霊は、夏翔さん、あなたのことですよ」


 眼鏡くんがそう声を発した途端、いっそう闇が濃くなり、幾重にも重なった葉影が眼鏡くんを飲み込んだ。黒縁眼鏡のレンズ、大き過ぎるライトグレーのジャージ、そのすべてに葉の影絵が広がり、まるでイキモノのようにざわりざわりと踊っている。


「そんなワケ、ないだろ」


 俺はベンチから立ち上がり反論する。息が上がっている。呼吸なんて必要としないはずなのに、俺の身体は生前と同じ反応を見せる。

 生きていた頃を思い出す。生きていたいと思う。生きているモノが欲しいと思う。

 そんな浅ましい考えを追い出すように頭を強く振り、俺は口を開いた。


「俺はこの公園になんて来たことはない。第一、俺が死んだのは公園と競技場の間の車道だ。そこで俺はバイクに跳ね飛ばされた。頭からアスファルトに叩きつけられ――」


 以来、その場に仰臥したまま八月の太陽に責苛せめさいなまれ続けている。


 すると眼鏡くんはこくりとひとつ頷いてみせた。


「そうですね。ぼくは『幽霊公園』の噂ばかり耳にしていて深く考えたことも無かったんですけど、ここが『幽霊公園』と呼ばれ始める前にはがあったんです。幼馴染が教えてくれました。幼馴染にはお姉ちゃんがいて、そのお姉ちゃんが言っていたらしいんですけど」


 今俺たちは真っ向から対峙している。俺がベンチに腰掛ける眼鏡くんを見下ろす姿勢で、その眼鏡のレンズに僅かに揺れる俺自身の影を、見つめている。


「曰く、真夏のひどく暑い日、運動公園前のバス停付近に男の幽霊が出る。その男は足を掴んでくるから気をつけろ――」


 それは、それは――

 俺……?






  続

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