二人の恋路

お米うまい

『白露』・『スカイグレー』

 電柱に人が張り付いていた。


 急に何を言っているんだと思うかもしれないが、実際に人が電柱に蝉みたいに張り付いているんだから、俺に言われたって、どうしようもない。


 不審者とか通り越して、半ば妖怪とか怪異と呼ばれそうな存在に頭を痛めつつ、それでも俺は無視する事無く話し掛ける事にする。


「こんな朝っぱらから何やってるんだよ?」


 何故なら、この奇々怪々の物体の正体は、俺の恋人である立花楓たちばなかえで


 これでも学園一の美女にして文武両道で知られる、俺が通う高校では最大の有名人だ。


 ――尚、俺には勿体ないくらい、色々な誉め言葉を頂いている自慢の彼女なのだが、品行方正や清廉潔白という謳い文句は、一度も聞いた事がない。


「蝉ごっこ」


 短く答えると同時に、飽きたと言わんばかりの態度で怪奇蝉女はスルスルと電柱から地面に降り立った。


 おかしな行動に、それを可能にしてしまう異常な身体能力。


 けれど、そんな事で驚いている暇なんてない。


「それで君は、どうやって私だって解ったんだい? 後ろ姿だけじゃ私だなんて解からないだろうに」


 さっきまで阿呆な事をやってた人と同一人物になんて見えない、目の覚めるような美貌を携えて。


 悪戯っぽく笑って、そんな事を尋ねてくるのだから。


「こんな奇行をするのは私くらいしか居ないから? それとも後ろ姿からでも、私の事を認識出来るくらい、君が私を愛してくれているとかかい?」


 電柱の跡が付いていても、むしろそれが完璧過ぎる美貌を可愛らしく親近感のあるものに変えているようにしか見えなくて。


 思わず見惚れて言葉に詰まりそうになるのを必死で堪えて、俺は口を開く。


「どっちもだよ。そんな事するのなんてアンタしか居ないし、後ろ姿だけでも解かるくらいには、アンタの事好きなつもりではある」


「ふふ、そうか」


「そうだよ……」


 そうして俺の言葉に安心したように笑う楓の姿に――


 俺の胸がズキリと痛む。


「ごめんな。面倒臭い女で」


「いいさ。そこも含めて好きになったんだ」


「それは嘘だろう?」


「……ああ、うん。間違った。そんな部分があっても、それでも嫌いになれないくらい好きなんだ」


 そこで言葉を止めると俺達は当たり前のように同じ方向へと歩き出す。


 向かうのは俺の家。


 恋人同士だってのに腕を組む事もせず、会話をする事も無い静かな時間が流れていく。


(やっぱり心配させたんだろうな……)


 そもそも俺が朝っぱらから外に居たのは、どうせ夏バテでもしてデブるだろうと思って好き勝手飯を食ってたら、結構腹がブヨブヨになってきており。


 これはマズいと思って、ジョギングを始めたからなのだが――


「例え君がお相撲さんみたいな身体になっても、君が君である限り、私は君の事が好きだよ」


 口に出してもいないのに、全てを察していると言わんばかりに楓は呟いて。


 信じられないなら、今すぐにでも接吻でもしてやろうか、と目だけで俺に伝えてくる。


「……別に嫌われるなんて思ってねえよ。単に俺がデブった自分の身体を見るのが嫌なだけだっての」


「嘘吐きだな」


 そこで初めて楓が俺の手を取ると――


 指の一本一本を絡めていくように手を繋ぐ。


 絶対に逃がしてなんてやらないという楓の意志表示に、俺も逃がしてやるつもりはないからなと意志を込めて握り返した。


「別に格好良くなんてならなくてもいいじゃないか。君の彼女は、君の見た目なんて余程の事でもない限り、気にはしない女だよ?」


「男には男の意地ってもんがあるんだよ」


「その意地のせいで私から離れるかもしれないなら、そんな意地なんてなくてもいい」


 そこで握られている俺の手が、ミシリと音を立てたような気がした。


「ご、ごめ――」


 慌てた様子で手を離そうとする楓の手を握り締める。


 と同時に力を込めた手にズキズキと鈍い痛みが走って、慣れ親しんだ感覚に、俺は自分の手の骨にヒビが入ったのだと知った。


「いいから、離すな……」


 別にこのくらいの事で、驚いて悲鳴を上げる事も無い。


 俺が楓にした事に比べれば、こんなの痛みにすら入らないんだから。


「私がもっと普通の人だったらって思ったり――」


「それ以上言うと怒るぞ」


 確かに楓は普通なんて言葉から掛け離れた力を持っている。


 一度見たり聞いたりした事を忘れないらしいし、他人の表情を少し見ただけで簡単に何を考えているか予測出来る。


 手だって軽く握るだけで骨にヒビを入れる程であり、握力以外だって物凄い身体能力を持っている超人と言っていい女の子だ。


(こんな化物は、自分の子じゃないだっけか)


 けど、それを受け入れられなかった楓の親は、小さかった楓を従妹だった俺の家に押し付けて行方不明。


 俺の両親もどう接すればいいのか困り果て。


 高校になると同時に、楓に将来の為に一人暮らしをさせるという名目で追い出した。


(嫌う理由なんて、どこにあるんだよ……)


 けど、ある意味では俺も普通と遠い異常者だったんだろう。


 そんなの単に凄く頭がよくて、凄い力を持っているってだけの話にしか思えなくて。


 尊敬するし羨ましいなんて思う事はあっても、何を嫌えばいいか解らなかったし。


 その上で物凄く綺麗なんだ。


 気付いたら、誰よりも目の離せない人になっていて――


 楓を追い掛けるように俺も家を出て、もう親でも子でもないなんて勘当されちまった。


「本当に、もう私から離れないよな?」


 それなのに俺は一度、楓と別れようとした。


 だって楓に比べたら驚く程に俺は何にも出来ない普通以下の人間でしかなくて。


 楓の隣には、俺なんかよりもっと相応しい男が居るだろうって思ったら、俺なんかが隣に居たら駄目だと思っちまったんだ。


「もう逃げないたりしないからさ。お前も俺から逃げたり、わざと変な事したりしないでくれよ……」


 それに気付いた楓は、訳の解からない事を定期的にするようになってしまった。


 自分は俺が惜しみたくなるような凄い女じゃない。


 馬鹿な事ばかりする変な女だから、遠ざけたりしないでなんて言うように。


(多分、それが俺の本当の初恋だったな)


 今まで凄く格好良かった楓が物凄く可愛く見えて。


 自分以外の男が隣に立つ姿なんて想像するのも耐えられなくて、恥も何もかも置いて、隣に戻ってきた。


「ほら、早く帰るぞ。俺達の家に、さ」


「ああ! すぐにでも!」


 俺の言葉が本当に嬉しかったのだろう。


 楓に握られていた手が変な音を立てるのが、音として確かに聞こえた。


 おそらく手の骨が砕け散ったのだろうが、ここまで来ると痛みすらない。


(多分、俺は近い内に死ぬだろうな)


 抱き着かれた拍子に、首なり背骨なりが折れて死んでしまうんだろう。


 けれど、それでいいと俺は本気で思ってる。


(楓と離れて過ごしていた時なんて、つまらなくて仕方なかったからな)


 味気ない死んでないだけの日々を送るくらいなら。


 いつ死ぬか解からない刺激的で好きな人が隣に居る日々の方が楽しいのだから。


 


   ○   ○


 


 ――本当にズルイ人。


 私と一緒に居られなくなるくらいなら死んだ方がマシ。


 そんな表情をする君に、私は更に自分の身体が上手く制御出来なくなっていく感覚を覚えていく。


(君さえ居なければ。君とさえ出会わなければ。私はさ、多分、ただの不幸な天才で居られたんだよ……)


 けれど、多分もう駄目だ。


 その気になれば自力で止められた心臓だって、勝手に鼓動が速くなっていくし。


 米粒一つ一つ菜箸で摘まむ事だって昔は出来たのに、君が傍に居るだけで箸を持つ事すらままらない。


 きっと私は君の予想通り。


 近い内に君を殺してしまうだろう。


(本当に、ごめん……)


 それが解っているのに、どうしても君から離れる事が出来ない。


 解ってて逃げない君が悪いだなんて嘯いて、殺してしまうまで君にずっと傍にいてほしいと願ってしまっている。


(けどね、普通の女の子に生まれれば良かった、なんて思えないんだ)


 だって多分、普通の女の子なら、きっと僕等は惹かれ合う事なんてなかった。


 恋人同士になれたとしたって、今とは全然違う関係になっていただろう。


(それはさ、嫌なんだ)


 今の君の私を見る目が好き。


 君を簡単に殺せる私に愛しそうに触れてくれる君が好き。


 こんな私を素敵な女の子として見てくれている君が大好きで――


 殺されるかもしれないのに、私の身体を楽しみたくて、足早で家に帰ろうとする君が愛しくて仕方ない。


(ああ、やっぱり駄目だ)


 どうしても身体が上手く制御出来ない。


 殺したくはないけれど――


 きっと、私は近い内に君を殺してしまうのだろう。


(その時は、私も君の後を追うよ)


 君が私の居ない生活が死んでもいいくらい味気ないみたいに。


 私だって君の居ない世界で生きてなんていけない。


 もう夏が終わりに秋に差し掛かってきてるけれど――


 おそらく、私達が今年の秋の終わりを見る事はないだろう。

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