第4話

 玲子はこの最終原稿を書き終わると、封筒にしまい仏壇の中に立て掛けた。ミステリー作家の犯した殺人事件を、世間はどう料理するのだろうと想像し恍惚となった。語り継がれ、私の名前も作品も、忘れ去られることはこれでないだろうと思った。心中自殺した作家も、割腹自殺した作家も、明けても暮れても起承転結の作品を組み立てた人たちだ。『事件』によって、自分の名前と作品が死んだ後にどう成長するか計算していた筈だ。

 ミーが部屋に入って来た。ミーを抱き上げた。

「ママは、お薬を飲んで、そろそろおネンネしましょうかねぇー」

テレビのリモコンのスイッチを押した。特報番組をやっていた。β遮断薬とACE阻害薬をプラスチック包装から押し出した。

「では次の未解決事件です」とテレビから声がした。画面に見覚えのあるようなないような景色が映った。

「はい、こちらが蟻ケ浦殺人事件の現場です。こちらが、殺された安田京子さんお嬢さんです。もう当時の家は……。」

玲子は左手に二錠の薬、右手に水の入ったグラスを持ったままだった。座ってもいなかった。テレビにお嬢さんと紹介された女が映った。画面に『安田京子さんの長女佳織さん』とテロップが出た。マイクを向けられた女に、忘れもしない京子の面影があった。

「はい、家はもう取り壊しています」

「お母様とは長い間、お二人っきりだったのですよね」

「はい、父を早くに亡くしてしまったものですから、母は、昼はパート、夜はカラオケスナックでアルバイトをしながら、私を大学まで進めさせてくれました」

「どんなお母様でした」

「真面目な母でした。趣味と言えば、美術館巡りでした」

「絵がお好きだったのですか?」

「はい。関東の名前の通った美術館には、一通り回っていたと思います」

「相当、お好きだったのですね」

京子の長女佳織は頷いてから、

「美術館巡りと言えばこんなことを思い出します。ちょっと、お茶目なところがあって……」と表情を緩めた。

「どんなことですか?」

「はい、美術のロビーなんかによくノートとかありますよね。あれに、いつも悪戯をしていたのです」

「いたずらと言いますと?」

「はい、美術館に飾ってある人物画のモデルが、あたかも自分であるかのような作り話をさらっと書いていました。『そんなことをしたら駄目よ』っていつも言っていたのですが、『これも記念よ』なんて笑っていました」

 玲子の両手から薬と水の入ったグラスが落ちた。屈みこんで両手で胸を押さえた。心臓に締め上げられるような痛みがあった。血が側頭を登り、喉の奥が熱くなった。奥歯を噛み締め、目を真ん丸に見開いた。安田京子を締め上げた時の、あの表情と同じだった。

 這って仏壇の方に向かった。仏壇までたどり着けなかった。仏壇の中の封筒に手を伸ばした。手は届かなかった。ミステリー作家の本澤玲子の心臓が止まった。

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見返り美人 疋田ブン @01093354

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