第3話

 私はよく人にこう語る。過去に数多くの出来事に遭遇し、数多くの夢を見てきた。そして私の頭の中では、出来事と夢との境界線が曖昧になってきている、と。

本人はしっかりしている積りだが、痴呆が混じってきたのかもしれない。もしそうなら、ここまで語った過去の出来事が現実であった自信もぼやけてくる。ただ、この世にたった二人しかいなかった最愛の家族を失った事だけは、間違いなく、今、この私の目の前で手に触れられる、現実の出来事だったと、言い切れる。

 主人の浮気相手は結局、杳(よう)として分からなかった。遺品にも葬儀の場にも、神経を尖らせたが、それらしき物品も人物も現れなかった。浮気の物的証拠と言えば、探偵社から渡された、深く帽子を被り、黒いサングラスを掛けた項の綺麗な女の写真だけだった。浮気はしていなかったのかもしれない、と思うことはよくあった。しかし私は真司の妻である。真司の癖も匂いも分かっていた。何か強い思いがある時には、詰め寄れば口を噤む事も知っていた。アルコールも口にしなかったのに、誰かに教えられたように飲み始めていた。そして、あの紺色のワンピースを着た女の絵だ。主人はあの絵に異様な執着を見せ一筆一筆、絹本を愛撫するように絵具を載せていた。主人は女を描くのは得意ではなかった。それなのに絡みつくような愛着ぶりだった。現代版『見返り美人』と評され、主人の代表作のひとつになったあの『うなじ』だ。誰が付けてくれたのか、上手い名前だ。菱川師宣の女は、大きく結った髷(まげ)で項(うなじ)は隠れている。主人が描いた女は髪をアップにして、これ見よがしに項を誇っている。あの絵を見た人は、否が応でも項に目が奪われてしまうだろう。私はつまり、あの絵に嫉妬していたのだ。

主人が生まれた千駄ヶ谷に、『戸崎真司美術館』がある。『うなじ』は、美術館のメインスペースの中心に飾られている。あの絵は美術館で唯一の女性画だ。

私が五十歳を迎えた頃の話をする。主人の事故死から十年が経とうとしていた。五月二十二日の命日には、墓参りの後、その美術館を訪ねる事を習慣としていた。展示場をざっと回り帰ろうとした時、玄関ロビーに置いてあった『ひとこと帳』と表書きされたノートが目に入った。ページを捲ってみると、真司の絵に自分の人生を重ねたとか、思い出の景色と交差したとか、励まされとか、実に様々な文章が書かれていた。また文章の下に住所と名前を書いている人もいた。北海道から沖縄まで日本中の人が美術館を訪ねてくれていた。

 私はあるページで身体が固まった。住所の漢字が目に飛び込んで来たのだ。

『千葉県安房郡鋸南町』

その住所の人の文章はこうだった。

『昔の自分を目の前にすると、先生との思い出が走馬灯のように蘇(よみがえ)ります。勇気を出してここに来てよかったと思っています。千葉県安房郡鋸南町蟻ケ浦3145 安田京子(きょうこ)』

 私は二日後、そのページにあった住所を目指し、車を千葉に走らせた。安田京子の家は、蟻ケ浦海水浴場に突き出ている岬の中にあった。その岬は先端まで200メートルもなかったが、その短い間に大きく間隔をとって家が五軒建っていた。京子の家は一番沖寄りの先端にあった。潮焼けした一昔前のスタイルの平屋だった。小さな庭を構えていたが塀はなかった。錆びついたスチールの表札を見ると、安田智(とも)雄(お)・京子・佳織(かおり)と文字が並んでいた。色褪せた文字は相当前に書かれたことを物語っていた。家の前を何度か行き来したが、京子らしい人も家族と思われる人も、目にすることはなかった。ただ人が住んでいることだけは窓の気配から分かった。

 蟻ケ浦海水浴場と並行する国道127号線沿いにホテルがあった。私はそのホテルの最上階で、岬が良く見える部屋に一泊二日した。部屋からは京子の家が良く見えた。結局、その二日間に京子を見る事はなかった

 私は出来るだけそのホテルに泊まる機会を作った。許せる限り仕事もそのホテルでやった。高性能の双眼鏡を購入したので、空き時間が出来る度に京子の家を覗いた。京子の家には庭続きの大きな掃き出し窓があり、カーテンを開いていると、中の様子が丸見えになった。確かにそこには女が住んでいた。それが京子だろうか。双眼鏡を神妙にズームアップした。私より十は下に見える痩身の女だった。鼻筋は通り口元も締まっていた。髪は胸元まで伸ばし、外出するときはアップにしていた。これがあの絵のモデルの十年後の姿だと言われれば、そうかと納得する人も多いだろう。ただ絵の女は、夢二が描くような大きなたれ目であったが、双眼鏡にズームされた目は、細く吊り上がっていた。主人は夢二に私淑していたので、絵はその影響を受けていたとも考えられた。

 仕事の合間には、京子の家の前を散歩した。一度でいいから、京子に出会える事を謀(はか)っていたのだ。そしてついにその日が来た。私は横目で京子とすれ違った。すれ違ったあと、わたしは立ち止まり京子の後ろ姿を追った。するとなぜか、京子も私の方を振り向いた。その姿は、絵の女そっくりだった。肩からこめかみに流れる項は、濡れた糖のように艶やかだった。京子は、細いその目を更に細めて私を見つめた。

 悔しい恨めしいと言う感情で、私は京子につきまとっていた。何か行動を起こそうと思っていた訳ではなかった。しかし、あの項を目にしてから、一段階違う場所に私は連れて行かれた。私は更に三年かけて、京子の背景と生活パターンを探った。

お盆に鋸南町を訪ね、墓参りをする京子を尾行し、配偶者の安田智雄が昭和四十七年に他界した事を知った。主人の真司が鋸南町に滞在していた頃、京子は自由な身体だった。昼はスーパーでパートをし、ときどき安房勝山駅前のカラオケスナックでバイトをしていた。酒は好きな方で、家でも一人で飲んでいた。主人が酒を飲むようになったのは、京子の影響からだと思われた。冬には大根、初夏には梅、秋には柿を干していた。作る料理は凝っていた。主人はこういった家庭的な女性を求めていた。家事が苦手な私には出来ない芸当だった。日本美術全集が本棚にあった。絵が好きなら主人と気が合っただろうし、主人が買い与えた可能性も否定できなかった。

こうして一つ一つ、主人の浮気相手としての確証が積みあがっていくと、それと相照らすように、一つ一つ完全犯罪成立の条件が、目に飛び込んで来るようになった。

一人娘の佳織は遠くに嫁いでいるようで、盆暮れの年二回しか実家に帰って来なかった。つまり京子は一人暮らしをしていた。酒は毎晩飲んでいた。食事の時から寝付くまでグラスを放さなかった。睡眠は酒の力で深そうだった。一昔前の地方がどこもそうであったように、ここ鋸南町の住民も戸締りにルーズであった。京子も鍵もかけずに就寝していた。岬に街灯はなかった。夜九時を過ぎると岬を歩く人はいなかった。京子の家の隣は空き家だった。アスファルトの道から京子の家の玄関までセメントが敷かれていた。

私は蟻ケ浦から、私自身の形跡が完全に消える時期を待った。鋸南町蟻ケ浦に寄り付かなくなって三年が過ぎた。私は五十七歳の冬を迎えていた。冬の蟻ケ浦は、昼間に数人のサーファーを目にするだけで、夜ともなれば怖いほど人気が絶えた。私は青山のマンションから、寒風が吹きつけるあの岬の情景を想像し、テレビを見ていた。天気予報が、明後日に関東を暴風雨が直撃すると知らせた。千葉内房に高波警報が出た。交通情報には十分注意するようにとアナウンスされた。私は来るべき時が来たと思った。車のトランクに準備は出来ていた。

翌日、つまり暴風雨に見舞われる前日、木更津に入り、予め見定めていた道沿いの電話ボックスから京子の家に電話をかけた。京子があの岬を離れていないか確認したのだ。電話番号はハローページで調べていた。

「はい安田です。もしもし」

私は受話器を置いた。初めて聞いた京子の声だった。この声を聞いた時から、私の足は地に着いていなかった。だから時々、あの出来事は夢ではなかったかと思う。完全犯罪小説が得意だと、自負もしてきた私が起こした、あの出来事を話す。

木更津を出発して国道127号線を南に向かった。空は鉛色の雲に覆われ、窓外の木々は風に弄ばれ大きく揺れていた。車は蟻ケ浦の岬を右手に通り越し館山に入った。その夜は国道沿いの空き地で寝袋に包まれて明かした。出来事の日の朝になった。買い込んでいた菓子パンを齧りながら、少しずつ鋸南町へ北上した。行き交う車は、道路に溜まった雨水を高く撒き上げながら走っていた。フロントガラスを伝う千筋の雨は、ワイパーで払っても払っても追いつかず、視界を曖昧にさせた。夕方が過ぎ夜が来た。蟻ケ浦の岬を左手に通り越し、鋸山(のこぎりやま)の麓の空き地に車を止めた。ここも予め決めておいた場所だった。人家の全くない闇の中だった。時おり通る車のヘッドライトに、吹き飛ばされる木片や紙くずが映し出された。

鋸山の麓から蟻ケ浦の岬までは4キロほどの距離があった。ここから岬まで歩くのだ。車の中で、髪をヘアキャップで包み、レインスーツを着込んだ。フードも深く被りフロントファスナーは鼻先が隠れるほど上げ、ゴーグルを付けた。ゴム手袋を嵌めて、底型を粘土で潰した長靴を履き、更にその上からビニール袋を三重にして被せた。この不自然な恰好も、暴風雨の中では違和感がなかった。ポケットの中にはロープを忍び込ませていた。

 レインスーツと足元のビニールの擦れる音が大きく聞こえた。重装備なのに身体は軽かった。私は歩きながら、夢の中で夢を数えるように、一つ私と安田京子との関連性はない、一つ私は安田京子の情報を集めるのに他人は頼らなかった、一つ私は安田と言う名も一切口に出さなかった、一つ安田京子の日記などに戸崎真司の名前があったとしても二十年も前の記録にこだわる人はいない、などと自分に言い聞かせた。風雨と格闘しながら4キロも歩いたが疲れを感じなかった。岬に足を踏み入れた時、歩く速度が上がった。岬の岸に波がぶつかり大きな音を立てて砕けていた。すべてが好都合で予定通りだった。京子の家の庭に入った。ポケットからロープを取り出し、滑らないよう二重三重とゴム手袋の掌に巻き付けた。窓と言う窓に雨戸が廻してあった。だが私は、玄関の扉に鍵は掛かっていない事を知っていた。掛かっていたとしても、内鍵近くのガラスは石で簡単に割ることが出来た。やはり鍵はかかっていなかった。寝ている部屋は知っていた。そのまま上がり込み、襖を二つ開けた。開けたところに熟睡している京子がいた。私に背を向け横向きだった。枕に流れた髪の向こうに項が見えた。項は暗闇の中でも薄桃色に光っていた。その項を這う主人の舌が想像された。私は項を睨みながらロープを京子の首に巻きつけた。京子は「ヒュー―」と奇妙な声を上げて唸り始めた。私の奥歯に力が入った。目を大きく見開いていたと思う。京子が振り返って私の目を見た。その瞬間だった。私にある不安が過(よぎ)った。六年前、京子と岬ですれ違った時、振り返った京子の目を思い出したのだ。ひょっとすると、京子は写真か何かで私の顔を知っていて、あの時、私と気付いて振り返ったのではないだろうか。もしそうだとすれば、京子は『戸崎真司の奥さんが私を付け狙っている』などと、誰かに喋っていたかもしれない。私は言い知れない恐怖に襲われた。奥歯を噛みしめる顎が震えた。私はおののく目で京子の目を見返した。京子はガクンと息絶えた。

 これが最後に語る出来事だ。夢のような話だが夢ではない。夢でない証拠に、『蟻ケ浦殺人事件』と名付けられたこの出来事は、迷宮入り事件のひとつとなっている。迷宮入りしたのだから、完全犯罪だったのだろう。完全犯罪小説の名手とお褒めいただいた私本澤玲子の面目は、保たれたのだ。      完

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