〈 3 〉

その日僕が目覚めたのは、夕方になりかかった昼時だった。

 皮膚を焼くような太陽の光が目を開けることを躊躇ためらわせる。閉鎖された空間に騒がしい音が届く。車の音。子どもの声。

 そして蝉の鳴き声。

 蝉が鳴いているのを聞いたのは久々かもしれない。少し寂しいと思ったりもした。夏の風物詩のひとつでもあるから。

 僕のそんな思いを吹き飛ばすように、蝉は衰えることなく命の限り鬱陶うっとおしいくらいのやかましさと暑さを感じさせてくれる。やはり聞いてみれば必要ないと断言できる。不快指数高めである。

 

 灰神楽のように白い塵が宙を舞っている。

 力が入らないというよりやる気、気力が出ない。

――もう、どうでもいい。

 立ち上がる途中で力尽き、ベッドに倒れていた。そのせいで、ほこり濛々もうもうとたちこめた。その白く汚い灰のような細かいゴミの醜い舞いが、宙に漂った後、元の場所にゆっくりと舞い降りてくる。

 力無い寝起き直後の今、起きている状態と眠りの中間点にいる。目を開けているのか閉じているのか、意識がぼんやりと復活と消滅を波のようにゆらゆら繰り返す。

――いると思う。

 そこに僕が。

 地面ギリギリの所で低空飛行を続ける紙飛行機のように、いつ地面に堕ちるのか分からないほど危ない状態のはずなのに。戦意喪失した戦士の如く呆然とした思考は、夢の中で何度も殺されたことなどお構いなしだった。どうでもいいと時間が過ぎるのを待っていた。

 天井が見える。途絶えてはまた映る。天井にぶら下がるプラモデルの飛行機もまた墜落寸前であるならと変な仲間意識を無駄に求めては、寝転びながら両手は携帯電話を探している。

 枕元にあった液晶画面には数件の通知があった。が、目を通すことなく時刻だけ確かめた。


『8月12日、15:46』


 今日だけではなく今まで見た悪夢の内容はよく覚えていない。少女が僕に近付いてくるところまでしか覚えていないのだ。

 それでもそこまでに感じた恐怖は、しっかりと心に刻まれているし、なにより証拠が残されている。いつ出来たのか分からないが、腕に残った手形の痣がくっきりと残っている。

――あれは本当に夢だったのだろうか?

 夢と現実の境目が不透明になってしまっていた。あの子が生きていて、この部屋のどこかに潜んでいるかもしれない。

 強い思い込みが現実のものとなることがあると聞いたことがある。仮病を使って休みたいと願えば、風邪をひいて熱を出したり、居る人がここに居ないと思い込みと見えなくなったり、格闘技の練習で巨大な虫をイメージするとか。

 選手が試合前に強い自分や理想の試合運び、内容、結果をシュミレーションしイメージを強く刻むにはそういう意味があるのだろう。

 これが強い思い込み――悪夢が現実にも及ぼす程の強さを持ったイメージ――が生み出した怪我なのか、はたまた実際に生きているか亡霊として蘇ったのか、そんなことは本当はどうでもよかった。

 どちらにしてもまた彼女がこの部屋にやって来る不可避な未来も当たり前に送れるはずの大学生活を潰された非日常も、僕には如何いかんともし難い。死神が生命を刈り取る鎌デスサイズという名のそれが、首に当てられているのだとしたら、きっと逃れるすべがない。

 

 夢と現実、意識と無意識、それらに境界線というものは存在しない。ホワイトブラックの間に灰色グレイが無限にあるように。

 暑いのに、体は熱いのに、寒くないのに震えが止まらない。溢れ出す汗が氷のように冷たく熱を奪っていく。

――もう寝たくない。

 切に願う。


 青空から放たれていた目も眩む程の陽光は、もうここには存在していなかった。

「雨?」

 ゴロゴロと重低音が鳴りだした。

 晴れていた空は黒雲に遮られ、景色は闇に埋もれる。外の機嫌の悪さすら僕を苦しめてくる。

「泣きそうだ」

 手で顔を覆った。

 ますます気分が落ちていく。外に出かける気力すら奪っていく。

 降り始めた強い雨に負けた。出足を挫かれた。

――雨が止むまで。

 寒気が増したため、エアコンのスイッチを入れた。

 雷光が光る。地響きがする。布団に包まっても怖さが消えない。

 今回はタイマー設定はしない。

 急に暗くなったことに夜が近付いたと錯覚してしまったのか、身がすくんでしまう。来襲した強い恐怖が、戦慄を走らせる。

 震える振動が細かい動きで短いものに変わった。

 暖房を入れている部屋は、きっとここだけだろう。震えを癒やすことが出来ずにブルブルと全身からの救難sos信号を発していようが誰にも届かないし、一人暮らしの男を助けてくれる人も居ない。


 なにより『呪わた人間』なんて誰にも知られたくない。

 

 一人でいる恐怖、少女が来る恐怖に挙動不審に振舞い、黒い世界におののく。明かりを何時なんときでもつけていようが、目を閉じれば黒い世界暗闇がすぐそこにある。


 寝転んだままいると目を閉じたときに開かない場合がある。

 寝たくない意志からの「開け」という命令にも目が応じることはなく、次第に意識は薄れていく。


 気がつくとそこはまた学校の一室だった。

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