第4話 悪魔④
◇◇
週末のほとんどを、琉希は自宅で過ごしていた。
用事がなかったこともあるが、外に出るのが億劫だった。学校の課題を済ませると、あとはスマホゲームを触るくらいで、ひたすらベッドの上で怠惰に時間を消費する。
日曜の昼過ぎ頃、スマホの通知が鳴った。
『なにしてるん』
『家で寝てた』
『まだ調子悪いんか?』
『いや、寝てるだけ』
『お。なら出て来いよ。いつものとこ。名久井とかと一緒』
少し考えてから、琉希は返事をかえした。
『了解』
ベッドから起き上がり、最低限の身だしなみを整えると、外に出る。
家から歩いて十分程の距離にある、馴染みのファミリーレストラン。店内に入ると、奥まったテーブル席に見知った顔が並んでいた。
「おう、リュー。こっちこっち」
こちらに気づいて手を振っているのは、同じ高校に通う友人だった。
その向かいに座っているのは明るい髪色の女子で、
「リュー、久しぶりー。一か月ぶりだっけ?」
「いや、二週間前も集まったろ」
「あはは。そうだった」
大翔の隣に座りながら、テーブルの上を見る。ポテトなどの軽食が適当に置かれていて、三人分のグラスがあった。琉希の視線に気づいた名久井が、
「昨日チャット送ったじゃん。ナツがさっきまでいたんだよ。帰っちゃったけど。デートなんだって」
同じく中学の頃の知り合いの名前を聞いて、そっか、と琉希は頷いた。昨日、そういう連絡が来ていたことは覚えていた。返事はしないままだったが。
「
「うん、元気元気。なんかねー。すっごいギャルしてた」
「……マジかよ」
衝撃を受ける琉希に同意するように、大翔が大仰に頭を頷かせた。
「ショックだよなあ。まさか小波津がギャルだなんて。せっかくの女子高なのになぁ」
「なにそれ。女子高をなんだと思ってんの」
「いや、皆ほんわかしてて、いい匂いがしてさ。お淑やかな感じっていうか……」
「夢見すぎ。言っとくけど、女子高のほうが共学より全然エグいって言うからね?」
「エグいってなんだよ、怖すぎ」
二人のやりとりを聞きながら、琉希はタブレットを引き寄せて自分の飲み物を注文した。視線に気づいて顔をあげる。
「なに?」
名久井が心配そうにこちらを見ていた。
「ん。いや、体調悪かったんでしょ? 大丈夫?」
「ああ。いや……ダルかっただけだから。季節病」
「五月病ってこと? もう六月じゃん」
「リューの場合は年中病だろ。五月のせいにすんなって」
ほっとけ、と琉希は毒づいた。
「ナツ、会いたがってたよ。身体のこと、心配してた」
「……あー。あとで、ごめんって送っとく」
「なんでよ」
名久井がびしりと指を突きつけてきた。
「今すぐ、ここで、送りなさい」
琉希は顔をしかめて、
「デートなんだろ? 邪魔しちゃ悪いだろ」
「中学の友達からの連絡が、なんで邪魔になるのよ。そんなので怒る男なんて、さっさとやめたほうがマシだってば」
名久井は断定するように、
「リューは昔っから、あとでやる、あとでやるって言って、忘れてばっかりなんだから。今やりなさい」
「母ちゃんかよ、お前は」
大翔が苦笑した。
琉希は息を吐いて、スマホを手に取った。チャットアプリを開き、簡単な詫びの文章を入れると、送信した画面を腕組みしている和久井に見せる。
「――ったく。はい、これでいいか?」
「ん、よろしい」
名久井は大きく頷いてみせる。満足そうだった。
呆れている琉希の前にアイスコーヒーが運ばれてくる。
「しっかし、ギャルになったってのもそうだけど。小波津に彼氏ができたってのも驚いたなー」
タブレットで追加の注文をしながら、大翔がぼやくように言った。
「なんでよ。ナツ、可愛いじゃん。中学のころから人気あったし」
「そりゃ知ってるけど。なんていうか、モヤモヤするんだよな。なんか」
「なによそれ」
ははぁん、と小波津が目を細める。
「友達に置いてかれて、寂しくなっちゃったって感じ?」
「そういうことなんかなあ。リュー、どう思う?」
同意を求められるが、琉希は肩をすくめるだけにすませた。
「だったら、ナツと付き合ってればよかったじゃん。せっかく向こうから告白してくれたんだから」
昔のことを持ち出された大翔が渋面になる。
「いや、それは――急だったし。それに」
「それに?」
「なんか、変な感じになるだろ。オレら四人仲良かったしさ。そういう関係が変わるのが嫌だったってか……そういうの、嫌じゃね?」
琉希と名久井は顔を見合わせた。
名久井が大げさにため息をつく。
「ヒロトって、ほんっと。アホだよね」
「はあ?」
「だってそうじゃん。どう思う、リュー?」
「アホだと思う」
「はああ?」
心外だとばかりに大翔が口を歪める。その大翔に向かって、さっきの琉希のように名久井の人指し指が突きつけられて、
「関係がおかしくなるのが嫌だった? そんなの、おかしくなるに決まってるじゃん!」
彼女はそう言い切った。
「ウチら、高校生なんだよ? 通う学校も違うし、進路だって違うし、新しい友達だってできるし。関係なんて、変わらないわけがないじゃん」
「いや、ちょっと待てよ。それとこれとは話が違くね?」
「違わない!」
「ええぇ、そっかあ……?」
きっぱりと断言されてしまい、大翔は渋面になる。
「変わらないためには、変わらなきゃいけないの。変わることにビビッてたら、置いてかれるだけに決まってるじゃん」
そこで店員さんがやってきて、名久井は口を閉じた。「こちらご注文の品です」「あ、こっちです……」自分の熱弁に気づいて顔を赤くしながら、
「や、ごめん。なんか熱くなっちゃった」
「いや、いいけど。そういうとこ、変わんねーな」
大翔は苦笑いしながら、新しく運ばれてきたコーラに口をつけた。
「でも、そっか。そうだよなー。オレらだって、彼氏彼女と付き合い始めたらこんな風には集まらなくなるだろうしなぁ」
「そっちの方が健全でしょ。大丈夫だってば。ちゃーんと、振られた時の愚痴にくらい、付き合ってあげるから」
「おい、なんで振られる前提なんだよ」
「まず誰かと付き合えてからの話だしな」
「……言うじゃねえか、リュー」
あはは、と名久井が笑った。
「でも、藤高って可愛い子多いんでしょ? 二人とも、気になる子とかいないの?」
今度は琉希と大翔が顔を見合わせた。
「可愛い子ねえ」
大翔がううむと腕を組んでみせる。
「先輩たちは確かに美人さんも多いけどな。一年って、言うほどか?って感じなんだよな、実際。な、リュー」
「ノーコメント」
「てーめコノヤロ、……ま、普通に可愛い子はいるけど。でもやっぱ、彼氏持ちとかが多いしなー」
「あ、そうなの?」
「おう。だから、狙うなら別れた後だな! さっきの話じゃねーけど、そろそろ互いの環境変わって、すれ違いとか起きだす時期だろうし」
「前向きなんだか、後ろ向きなんだか……」
名久井が苦笑した。
「まあ、そーいうのはアリだけどさ。今だって、フリーの子がいないわけじゃないんでしょ? 可愛い子、いないの?」
彼女の言葉に、大翔は、ああ、となにかを思い出したように顔をしかめて、
「いるっちゃいるけど。……けっこう変わり者っぽいんだよな」
「変わり者って?」
「そ。リュー、知ってるか? A組の妻木ってやつ」
不意打ちだった。
口に含んでいたコーヒーが気管に入り、琉希は思わず咳き込んだ。
「おい、リュー。いきなりどうした?」
「……なんでもない。……名前は、まあ知ってる」
「へえ。リューも知ってるくらい有名なんだ。そんなに変わってるの?」
ああ、と大翔は重々しく頷いて、
「入学式の頃から、可愛いって評判だったんだけどな。けど、社交的じゃないっつうの? あんまり他人と話さないし、グループにも入ってないっぽいし。まあ、浮いてる存在みたいな感じらしいんだけどさ。髪とかも、ただ伸ばしてるだけみたいな感じだし、前髪とかすげー長くてさ」
「へー。まあ、美人ってなにしてもしなくても美人だしね。羨ましいことに」
それで?と名久井が先を促す。
「その妻木が、今日、学校の休み時間にいきなりその前髪を切ったらしくてさ」
「別にそれくらい、普通じゃない? 友達同士で髪の毛整えたりとか、よくやるけど」
「いやいや。そういうんじゃなくて、思いっきり真横に切ったらしいんだよ。モード系のモデルかってくらい、もうバッサリ」
名久井が眉をひそめた。
「それ、イジメとかじゃないの?」
「そういうわけでもなさそうなんだよなぁ。周りの女子連中が、あとから前髪整えたって聞いたし。なんか、急にそうしたくなったらしい。聞いた話だけどな、俺も」
「ふうん。なんか、随分とエキセントリックな子だね」
「だろ? ツラだけはいいんだけどなー」
勿体ない、と大翔はため息をついた。
「……大翔、妻木と話したことあるか?」
「俺? あー、一回な。声かけたけど、ほとんど無視されたわ」
妻木は自分と大翔が友人だと知っていた。本人から聞いたわけでなければ、いったいいつ、どこでそれを知ったのか。クラスが同じなら話しているのを見かけることもあるだろうが、彼女はA組。琉希と大翔はC組だった。
琉希が考えていると、それを見た名久井がにやりと笑った。なにを勘違いしたのか、下世話な笑みを浮かべている。
「なあに? リューってば、そういう子が好みだったり?」
「お、マジか?」
「言ってろ。……なにしでかすわかんないから、そういう相手は止めといた方がいいんじゃないかってだけだよ」
「はは。ま、そーだな。ってなると、ますます同学年じゃ厳しいか……。やっぱ、年上狙いに切り替えるべきか? うちの生徒会長、えらい美人なんだよな」
名久井が半眼になる。
「生徒会長までやってる美人の先輩が、ヒロトなんか相手にするわけなくない?」
「お、言いやがったな。そっちこそどうなんだよ。さっきから俺らばっかり詰められてっけど、気になる男の一人でもできたのか?」
話を向けられた名久井は頭の後ろで腕を組んで、
「ウチ? 今、バイトで忙しいしなー」
「スタジアムの売り子か? ほんっと、野球好きだよなーお前」
感心半ば、呆れ半ばという大翔に、ストローをいじりながら名久井は苦笑いを浮かべる。
「しょうがないじゃん。ほんとは野球部のマネージャやりたかったけど、野球部なくなっちゃったし」
「あー。最近、多いんだってな。部活入る生徒が少ない問題。ま、俺らも帰宅部だけど」
「同じ帰宅部でも、予備校いってるリューとただ遊んでるだけのヒロトじゃ全然違うけどね」
「馬鹿言え。高一から予備校なんて通ってるのがおかしいんだろうが。イジョーだ、イジョー」
「ほっとけ」
頬杖をつきながら琉希は苦笑した。
目を閉じる。見知ったやりとりが耳に心地よかった。
――関係なんて、変わらないわけがないじゃん。
きっとその通りだろう。
彼女の言う通り、この先、こういう風に集まることは自然と減っていって、そのうちお互いに連絡をとりあうこともなくなってしまう。
だからこそ、今こうして無為に時間を過ごせることが琉希にはありがたかったし、二人の存在に感謝もしているのだった。
◇◇
「おい、リュー」
週明けの休み時間。廊下から大翔が琉希を呼んだ。
「ちょっと来いよ。面白いもんが見れるぜ」
「……?」
疑問に思いながら、琉希は大翔に誘われるままに教室を出た。
廊下の奥、教室の前にちょっとした集団が出来ている。集まっているのは男子生徒が主だった。
「なんだ? あの人だかり」
「昨日、ファミレスで話したろ。妻木だよ、妻木――って」
琉希の顔を見た大翔が目を丸くする。
「なんだよ。ひっでえ顔になってんぞ」
「ほっとけ。……妻木がどうしたって?」
「見りゃわかる」
大翔はニヤニヤと言った。
友人の態度を不審に思いながら、琉希は大勢の男子たちの隙間からA組のなかを覗き込んだ。
どきり、と心臓が跳ねた。
妻木沙耶が笑っていた。
周りをクラスメイトに囲まれ、いかにも楽しそうに会話に興じている。
週末に美容院へ行ってきたのか、適当に伸ばされているようにしか見えなかった髪が綺麗に整えられていた。ばっさり横に切られた前髪も違和感なくそれに併せられて、むしろ特徴的な長所になってみえる。髪型がきちんとしているせいか、顔までもが見違えてみえた。
いかにもクラスの人気者という様子だった。
信じられないものを見た思いで、琉希は隣の大翔に訊ねた。
「……なんだ、あれ」
「すげーよな。あんなに笑ったりするやつじゃなかったんだけどなー。髪型といい、彼氏でも出来たのかね? くそ、やっぱり可愛いな。俺も、もっとコナかけとけば――」
大翔の言葉を、琉希はほとんど聞いてはいなかった。
妻木がこちらを見ている。
人好きのする笑顔で周囲との会話に応えながら、その眼差しが一瞬、先日の異様な色を帯びた。粘着質の気配が、蛇のように纏わりついてくる。
「おい、どうした?」
寒気を覚えた琉希は、友人の言葉を振り払って自分の教室へ戻った。
席につき、目を閉じる。心臓の鼓動を抑えようとして、深く呼吸を繰り返した。
……落ち着け。
妻木が人気者になろうが、どうでもいい。
それどころか、むしろ好都合だ。
あの調子なら、すぐに誰かが告白でもするだろう。それで、さっさとオトコを見つけて、そいつに対して思う存分に執着してくれればいい。
そうなれば自分にとっては願ったりだ――琉希はそう思考を結論付けたが、現実はそうもいかなかった。
妻木がクラスメイトへの暴力沙汰で停学処分を受けたという話を琉希が聞いたのは、それから数日後のことだった。
その日、アクマに魅入られたヒト 利衣抄 @rksl24
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