第5話


 教会から出てきたヒルベルトと、教会の前に立っていたフィロメナが出会うのは当然のことだった。

 二人は自然と視線を合わせ、お互いに気付き驚愕に表情を歪める――――なんてことはなかった。


((参拝客か。信仰深いな))


 そう、彼らはお互いの顔を、知らないのである――――!


 よって、偶然町中で出会っても、あら偶然ね会いたかったわなんて会話が始まるわけがない。

 視線が合ったことだけ気付いたので、お互い会釈してすれ違った。ヒルベルトは街へ。フィロメナはせっかくだからと教会に足を向け…。


「ふぃ、フィロメナお嬢様ぁ! ああ良かったご無事で!」

「ヒルベルト様~どうしましょうお小遣いが足りなくなりました屋台に借金です~」


 教会へ向かってくる侍女と従者の言葉に、それぞれ足を止め思わず振り返った。

 まさか、と緑の瞳が再度ぶつかり合う。


(――――いいえ待って! ヒルベルト様、申し訳ないけれどよくあるお名前。わたくしの婚約者と同名なだけの可能性。むしろその可能性の方が高いわ!)

(基本的に屋敷で刺繍詩集で忙しい令嬢がこのような場所にいるわけがない。侍女がいるのだから貴族ではあるだろうが、ウィットヒェイト家のお姫さまが護衛も連れずこんな場所にいるわけがない!)


 そう、思い違いだ。早とちりだ…そう思うのに、お互いぶつかった視線を逸らすことができなかった。

 だって。


(この反応、わたくしの名前に反応したのでは?)

(この反応、俺の名前に反応したのでは?)


 自分の名前を呼ばれて反応したなら使用人を振り返る。

 だというのに、お互いを確認するように振り仰いだ、そのこころは――――!?


((まさか、この人が…!?))


 フィロメナ・ウィットヒェイト侯爵令嬢。

 ヒルベルト・ズワルトヒェイト侯爵令息。


((なのでは!?))


 とっても思考回路の似た二人だった。


 主人がそんな混乱の最中にいる間に、侍女と従僕も同じ答えに辿り着いていた。

 …並走しているこいつ、宿敵だ、と。


「キィエエエエエエイッ!」

「グゥアアアアアアアッ!」


 宿敵と認めた瞬間、並走していたマイケがヨウプに襲いかかった。前進していた足を真横に踏みきって、見事な関節技で相手の抵抗を奪う。

 突然組み付かれたヨウプは大袈裟なほど悲鳴を上げて地面に転がった。


「お逃げくださいお嬢様! 野蛮なズワルトヒェイトの人間は私が仕留めますので! さあ!」

「これどっからどう見てもそっちが野蛮だけど!? ぎゃー! 助けてヒルベルト様!」


 マイケ、侍女兼護衛の二重役職。フィロメナが外に出る決断を下したのは、彼女の存在も大きい。

 ヨウプ。ガチでただの従僕。女性とはいえ訓練した相手に勝てるわけがなかった。


 大騒ぎしている使用人達を横目に、彼らの主人は全く反応できなかった。

 何故なら、相手に釘付けだったから。

 予想で推察で多分だが…向かい合った相手が自分の婚約者だと、そう認識して…新たな問題に直面していた。


((お、思ったよりちゃんと人間だ…!))

((あ、駄目だ。異性を初めて認識した思春期みたいな目をしている…!))


 長らく因縁のある相手を悪し様に語ること、よくある。

 語り継がれるといつの間にか、人間と思えぬ容姿に語られることも、よくある。


 そんな環境でお互いの話を聞いていた二人。人間だとわかっていながら、魔物か悪魔か悪鬼羅刹の印象が拭えず…しかも絵姿すら手に入らない状態で、勝手な想像ばかり膨らませていた結果。

 お互いどこにでもいる人間の立ち姿に出鼻をくじかれていた。


 当たり前である。


(指通りの良さそうな黒髪…後ろで一つに束ねているのに、緩いのかしら。こぼれた髪が揺れて柔らかそう。目元は少しつり目かしら。鼻が高くて唇は薄くて男性的だわ。背が高いのに威圧感がない。こんな、まるで、まるで…)

(少し癖のある黒髪…白いカチューシャが慎ましい。零れそうなほど大きな緑の目…少し垂れて、庇護欲をそそる…背は俺の肩当たりか? 小さな鼻に、ぽってりした唇…やはりそうだ。美人系でなく愛らしい系。まさか、こんな、まさか…)


 二人は揃ってゴクリと喉を鳴らした。


((こんなに好みど真ん中だなんて…!))


 この二人、思考だけでなく嗜好も合致していた。


(――いいえ! 失礼よ! 外見で相手を判断するなんて! それに相手はズワルトヒェイト。もしかしたらとんでもなく性格が悪いかも…)

(――そうだ。外見がクリティカルヒットだからと油断してはならない。王命により婚姻が決められているとはいえ、相手は宿敵のウィットヒェイト。呑まれてはいけない!)


 どちらも真面目なので、同じタイミングで持ち直した。

 まずは多分きっとそうだろうけれど、ご本人かどうかの確認を…と考えて。


(…待って)

(…そうなると)

((あなたの婚約者です、と名乗る…?))


 この、見た目好みドンピシャクリティカルヒットな相手に…?

 そもそも。


((この人に、あんなしつこいくらい手紙を出していたのか…!))


 そう考えたらなんだか。なんだかとっても。

 居たたまれなくなってきた。

 ここに来てようやく、彼らは自分たちがもしかしたらやり過ぎていたのかもしれないと考えはじめていた。


 自分の手元に手紙が届かないことに躍起になって、数え切れないほど手紙を送った。王命なのに交流を邪魔する周囲に、犠牲となるのは自分なのに間違った気遣いをされて苛立ち、意固地になっていた。一度だけでも交流せねばと強迫観念に囚われていた。

 躍起になって、自ら足を運ぶほど。


 ――ここで自己紹介をする場合、領地にいるはずの自分が何故この街にいるのか説明しなくてはならない。

 あなたに会いたくてここまで来たのだと伝えることになる。


 たくさん手紙を送った相手に。

 ずっとずっと会いたかった人に。


((…今更ながら、それって…熱烈に、相手を求めているようでは…?))


 ただでさえ、手紙の量が尋常じゃない。たとえ手紙の内容が『さっきの手紙のご用事なぁに?』だとしても、言外にあなたのことを知りたいですと叫んでいるようなものだ。

 どう足掻いても、あの手紙の量は、相手に対して興味津々である。

 名乗るということは…婚約者だと名乗るということは…。


((なんだかもの凄く、恥ずかしい…!))


 会ったことがない相手だったのに。

 会ってもそうとわからなかったのに。

 一度そうだと認識した所為で、一歩も動けない…!


 二人は見つめ合ったまま、息を殺して自分の鼓動を聞いていた。

 どちらが先に口を開くか。先攻すべきか後攻が有利か。どうしても付き纏う宿敵の印象。二人がグルグル目を回しはじめた所に。


 リーン ゴーン


 また鐘が鳴った。

 鐘の音に、二人は揃ってハッと我に返る。

 ――羞恥心は、邪魔にしかならない。敵愾心も、嫌悪感を抱かぬ今は、いらない感情だ。

 自分を落ち着かせるように深呼吸をして…それでも緊張して、心臓はとても早足だった。


「わ、私は…ヒルベルト・ズワルトヒェイトだ」

「わっわたくしは、フィロメナ・ウィットヒェイトです…」


 予想通りの名前に、ゴクリと唾を呑み込む。


「その…私は君の、婚約者…だと思う」

「ええ、わたくしも…そうだと思います」


 沈黙。

 思わず絞め技を繰り出していた方も絞められていた方も思わず呼吸を潜ませた。いや、絞められている方は虫の息かもしれない。


「わ、わたくし、何度もお手紙を」

「俺も何度も手紙を」

「は、はいっ」


 お互いに、何度も手紙を送ったのだと言いにくかった。お互いが言葉を被せたので、何度も手紙を送ったのか受け取ったのか明言されることがなくなる。ぶっちゃけ一度も受け取っていないとは言いにくかった。

 とにかく、お互いがお互いの手紙を認識していることが大事だった。

 その内容に、一度も触れたことがなくても。

 むしろ、だからこそ。


「…手紙では埒があかないと、ここまで来てしまった」

「わたくしも…直接あなたとお話がしたくて、ここまで来ました」


 鐘の音は響き続けている。いい加減煩いが、二人の耳にはお互いの声しか届かない謎の現象が起きていた。


「「あなたを知りたい」」


 宿敵だと言いながら、王命だと言い訳しながら、何度も手紙を出していた。妨害してくる周囲に辟易しながら、何度でも。

 だって相手も手紙を出しているから。不義理な行いも、不誠実な対応もできなかった。

 それがいつしか、こんなに相手を求める結果になるなんて、思わなかった。

 緊張で心臓が痛い。二人は全身が鼓動になったような気持ちを抱きながら、どちらともなく手を差し出していた。


「これからは手紙ではなく」

「会って、お話をしましょう」


 触れる指先。人の体温。肌の弾力。自分と違う柔らかさ。探るように、お互いの手を握り合う。

 ぎゅっと握る手が、痺れた。


 鐘が鳴り響く。鐘と一緒に遠くで男性の「こらお前たちいい加減にしろ! 神が許しても私が許さんぞ! 鐘は遊び道具じゃない!」と子供を叱るような声が響いていた。侍女の絞るような悲鳴と、従僕の絞められた呻き声も聞こえたが、届いてはいない。


 見つめ合う二人は、もうお互いしか見えていなかった。








 ちなみに手紙を出し続ける二人を見ていた周囲は完全に勘違いしていた。

 自分たちが邪魔しているのに、知らないところで仲睦まじく交流しているからこそ手紙が届くのだと思っていた。王命で結婚は変わらないが、因縁ある家の人間を受け入れるには時間がかかる。若い世代より、年を重ねた年代の方が切り替えは難しい。

 だからどうも邪魔ばかりしてしまったが、その所為で彼らは誰にも何も言わず、身一つで家を飛び出した。

 まさか邪魔しすぎて駆け落ちか!? 駆け落ちなのか!?

 慄いた彼らは急ぎ彼らを追った。ウィットヒェイト家も、ズワルトヒェイト家も、両家が両家に向かって急いだ。


 そしてぶつかる中間地点。

 何故か頻繁に鳴り響く鐘。

 誘われるように教会へ向かった彼らは…。

 教会の前。教会の鐘が鳴り響き、平和の象徴である鳩が飛び立っていく。綺麗に咲き誇る花の前で。

 向かい合い頬を染め目を潤ませながら手を取り合い見つめ合う、若い男女の姿を目撃した。


((か、駆け落ち婚だぁ――――!!))


 両家の盛大な勘違いは、暫く解けることがなかった。


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婚約したのに手紙が届かない、二人 こう @kaerunokou

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