秋と春
そいつは、俺に声をかけるとき、制服の袖を引っ張ってくる。なぜかわからないけれど、いつもそうだ。
普通の同級生たちは、そんな声のかけ方はしてこない。
しかしなぜだか、その行動は、身に覚えがあるような気がした。
「いや、気のせい……」
「何がー?」
「は?」
急に、誰かが俺の思考に割り込んできた。
「何か考え事ー? 口に出てたよー」
この無駄に声がでかくて頭の悪そうな話し方をする男は、去年から二年連続同じクラスの同級生だ。
いつでも、気付いたら傍にいて、話しかけてくる。反対方面なのに、時々家まで押しかけてくる。
今回も、いつの間にか、ちゃっかり俺の隣を歩いていた。
帰りの支度も済ませており、どうやらまた家まで付いてくるつもりらしい。
「はあ……。何でもない。お前には関係ない」
「へー、最近よく話しかけてきてる、ちょっとかわいい感じの子のこと?」
「まあ……って、は? 何言ってんの?」
適当に相槌を打とうとして、ぎりぎりで思い留まった。
この男は変なところで勘が良いから、油断ならないのだ。
「そっかそっか。名前とかわからなくて悩んでるの? かーわいー」
俺の返事を無視して、話し続ける。
ただ、この場合は都合が良かった。
「……そういうお前は、あいつのこと知ってるわけ?」
「うん、名前だけ。えっと、確か……そう、春!」
「……春?」
「うん、そう。この間、名前呼ばれてるとこ見かけたんだー。……って、どうかした? おーい、秋さーん?」
「……ちょっと、どっか行け」
「うん? いいけど? え、本当に行っちゃうよ? じゃあねー?」
うざさを体現したような男の背中を見送り、俺は一人で学校を出た。
春。
俺は、その名前を知っていた。
中学を卒業するまでずっと仲良くしていた、幼馴染の名前だ。
なぜ今まで忘れていたのかは全くわからないが、確かに、あいつは春だった。
困ったことがあっても、ずっと曖昧に笑っている。そうしていれば、大体のことはうまくいくから。
人に話しかけるときに、袖を引っ張る。声が小さくて、気付いてもらえないから。
そして、小さい頃、親に叱られたのが未だに怖いからと言って、点滅し始めた信号は絶対に渡らない。
……今、そこに立っている人のように。
「……春」
俺は、思わず声をかけていた。
すぐに、春がこちらを振り返る。
「……秋くん?」
急に名前を呼ばれたことに驚いたらしく、春は、ただ俺のことを見つめている。
「……あー、えっと、久し振り? でいいのか?」
「たぶん……?」
主に俺のせいなのだが、二年ぶりのまともな会話は、幼馴染同士とは思えないくらいぎこちない始まり方だった。
しかし、話し始めるとすぐに、ごく普通の雰囲気が戻ってくる。
「……今まで、いろいろと、ごめん」
「ううん、大丈夫。こっちこそ、つきまとったりして、ごめん」
「いや、春だって気付かなかった俺が悪いし」
「……やっぱり、忘れてたの?」
春の言葉で、自分の失言に気づく。
「……春が、だいぶ変わってたから」
言い訳をするように、俺は、春の頭を指差した。
「高校に入ってから、髪、染めたよな? 校則違反で怒られないわけ?」
「これ、地毛だよ」
「は? 中学の時、こんな明るくなかっただろ。黒とはいかなくても、焦げ茶くらいの」
「本当に、地毛なんだって。なんか、寝起きでアイロンしてたら、こうなったっぽい……?」
春は、なぜか照れたようにへらへらと笑う。
確かに春は昔からこういうことが多かったが、今回ばかりは呆れて言葉が出なかった。
「……でも、秋くんも他人の事言ってられないと思うけど」
そう言って、今度は、春が俺の手元を指差した。
「……リストバンドはいいんだよ。運動部だし」
「ううん、その下。隠してるけど、手首に巻いてるの、ネックレスでしょ?」
背筋がひやっとした。
「……いつ見た?」
「学校で、手洗ってるとき」
「……バレる?」
「ううん、ちらっとだったし、見ようと思って見なければ気付かないと思うけど……」
ほっとして、思わず溜息をつく。
そんな俺の様子に気づいてか、春は不思議そうに聞いてきた。
「……それ、大切なものなの?」
「俺の命と、同じくらい」
俺は、深く考える前に、そう答えていた。
「……あの、万年筆も?」
「同じくらい、大事」
「……だから、あんなに怒ってたの?」
「……それは、ごめん」
それから、春はしばらく黙る。
何かを迷っているようだった。
「言いたいことあるなら、言えば?」
「じゃあ……」
春は、もう一度迷ったような素振りを見せたあと、口を開いた。
「秋くんの話が聞きたい。会ってなかった二年の間に、何があったのか、教えてほしい」
「……わかった。門限、大丈夫?」
「うん。高校入ってからは自己責任みたいな感じ。……そうだ、時間かかるなら、公園行かない?」
「城跡の?」
「そう、久しぶりに」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます