春と秋

「あ、秋くん」

 廊下を歩いていると、後ろから袖を引っ張られた。

「あ?」

 振り返るとそこには、茶色い頭にぶかぶかブレザーの、例の奴。

 最近ずっと、こんな調子だ。あの日声をかけてから、ほぼ毎日、学校で絡まれている。

 今までは気づかなかっただけなのかもしれないが、そいつとは最近異常によく出会う。そして、異常に距離が近い。

「ねえ、聞きたいことがあるんだけど……」

「知らねえ。関わってくんな。うざい」

「……ごめん。じゃあ、また」

 いつも袖を引っ張っては何かを聞こうとする。でも、腕を振り払うと、すぐに引き下がる。

 それが、不思議だった。

 引き下がるなら、どうして毎度毎度くっついてくるのだろうか。

「……なあ」

「なに?」

 つい、声をかけてしまった。

「……知らねえ。……うざい」

「……知ってる」

 他人に対しては言いたくない言葉が、口をついて出る。何をどう言えばいいのか、自分でもわからなかった。

 だけど、そいつはへらっと曖昧に笑って、階段を降りていく。

 その態度も、気に入らなかった。




 春には、幼馴染がいた。

 中学を卒業して以来会っていなかったので、てっきり春とは違う高校に行ったのだと思っていたが、最近になって同じ高校に通っていたことに気がついた。

 中学生の頃までの彼は、口こそ悪いけれど、本当は優しくて、そして春よりももっと優柔不断な人だった。

 二人で何かをしようとすると、ぐだぐだになって、結局何も決まらないまま時間切れになることも多かった。

 しかし最近は、話しかけてもすぐに会話が終わってしまう。彼が、断定形しか使わなくなったからだ。

 何かあったのかもしれないし、高校生になったから、ただ変わったのかもしれない。

 しつこいと思いながらも、気になって、学校で見かけるたびに声をかけてしまう。

 春は、中学生だった頃のように、また彼と仲良くしたかったのだ。

 だが、彼のほうはそもそも、春のこと自体忘れているようだった。

「あ、秋くん」

 つい、また彼に近づいて、後ろから袖を引っ張ってしまった。

 不機嫌そうな顔で腕を振り払われて、我に返り、謝って、距離を取る。

「……どうしたら、いいんだろう」

 親しくしていた頃ならともかく、避けられている今の状態で、最後まで彼と話をするだけの勇気はなかった。


 それから一週間ほど経って、二月に入った頃。やっと、春はひとつの決断をした。

 友人たちに、秋のことを聞いてみることにしたのだ。

 休み時間になると、近くの席の同級生に声をかけ、秋について知っていることを教えてもらう。

「ねえ、今ちょっと、いい?」

「ん、何?」

「えっと……。秋って人、知ってる?」

「うん、知ってるよ。背が高くて顔面強い感じの……あと、いつもリストバンドつけてる人でしょ?」

「そう、その人」

 春が知らなかっただけで、秋のことを知っている人は意外に多いようだった。ただ、その後はなかなか上手くいかない。

 今話しかけた人で、もう五人目だった。

「その人がどうしたの?」

「最近時々話すんだけど……なんか、前と雰囲気違う気がして」

「へえ、どんな感じに?」

「冷たくなったっていうか、避けられてるっていうか……。声をかけても、すぐに話を打ち切られちゃうし」

「そうなんだ……。クラスが別になってからは全然話してないからわからないけど、少なくとも去年同じクラスだったときはそんな感じじゃなかったよ。普通に『話しかけにくいけど、話してみると優しい人』っていう印象だった」

 誰に聞いても皆、似たような答えをくれる。

「じゃあ、今年になってからなのかな……?」

 ……それとも、秋の様子が変わったのは、春に対してだけなのだろうか?

「うーん、同じクラスの人に話を聞ければいいんだけど、あいにく私の友達は別のクラスだし」

「そっか……。わざわざありがとう」

「こっちこそ、あんまり役に立てなくてごめんね」

 それからも、休み時間になるたびに、手が空いていそうな友人に声をかけては、話を聞く。

 その日は一日中、周りの人から変な目で見られるくらい、秋のことを訪ねて回った。

「『自分だけ避けられてる』って……。そんなわけ、ない……よね?」

 一人で家に帰る途中も、考えごとは頭を離れない。いつものように笑ってごまかそうとしたが、上手くいかなかった。

 いつの間にか、あの交差点まで、やってきていた。

 何も考えずに渡ろうとして、信号が点滅し始めているのに気づき、慌てて足を止める。

「……春」

 そのとき、後ろから、春のよく知る声がした。

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