第26話 舜雨、晨星と顔を合わせる
柱の色のように染まった葉が、頭の上に落ちてきた。
日にかざすと、葉の裏で影が透けて見える。
直の命令で、俺は紫寝殿の回廊に待機するよう言われていた。
暫く立っていると、房から出てきた女官が、俺に向けて微笑む。
確か桃花と呼ばれていた、晨星と親しい女官だ。彼女も他の女官も、艶やかで真っ直ぐな黒髪と、光を弾くような白肌は、直とよく似ている。直よりは血色がよく見えるが。
床につくかつかないかの裙子を翻して、彼女たちは真っ直ぐ歩いて行った。女官の一人が差した歩瑶の音が、廊下のきしむ音と一緒に混ざる。
彼女たちの後ろ姿を見ながら、俺はぼんやりと直との会話を思い出した。
■
『舜雨。これは皇帝命令だ。心して簡潔に、私の問いに答えたまえ』
窓から、梯子でもかかったような光が差し込む。宙に散る埃が、薄暗い部屋の中で光を反射していた。
両肘を机の上に置き、組んだ手で顔を隠しながら、直は言った。
『――――君。
胸派? 脚派?』
『脚派』
書類の整理をしながら俺がそう言うと、『わかった』と直はうなずき、筆記道具を取り出した。
『いやあよかったよかった。そうでなきゃ困る、うん』
そう言って、真剣な顔で文書を綴っている。
武官の試験内容だろうか。
鍛えられているところを見るなら、胸か脚かということだろうか。だったら間違いなく、脚を選ぶ。腕がなくても走ればいいからだ。
そう思っていたのだが。
『ついでに聞くけど、晨星のどこが好き?』
突然出てきた名前に、思わず俺は固まった。
勝手に武官の試験かと思ったが、どうやら晨星に関することだったらしい。
『性格じゃなくて、外見で』と付け足された。
『……それは皇帝命令か? 個人的な質問か?』
『お好きな方をどうぞ』
直はこちらを見ない。
俺は黙った。
肉体に関する好みがないわけじゃない。たた、その形を具体的に認めてしまえば、彼女が怯えるのでは無いかと思った。
性欲と暴力は、簡単に混ざる。あの内乱の中で、それを何度も遭遇している。特に晨星は、初代皇帝によって金兜の王に売られそうになっていた。
王の飾りとして相応しい容姿をしているか。あるいは、王の慰みに使えるか。気に入らなければ、部下への『下賜』も有り得るだろう。――性的な視線というのは、それだけ簡単に物品への視線に変わる。
暫く、無言の時間が流れた。
『……恋愛と性愛は違うんだろ?』
筆をおいて、直は言った。
『胸が大きいとか、脚が綺麗とか、そういうのはわかるよ。けど、君たちのような感情は一向に湧かない。男でも女でもね』
好みはどちらかと言えば婦人だけど、と直は言った。
『だからね、ちょっと気になったのさ。
けど、晨星の小説を読んでも分かりやしない』
机の端には、晨星の字ではない表紙があった。恐らく、晨星の原本を見て、他の誰かが清書したのだろう。
『多分、私は持たないものなんだね。なんか、納得したよ』
『お前が妃を迎えない理由の一つは、それか?』
俺の問いに、黒目がちの目がさらに大きくなった。
直も晨星も、驚いた時の顔が良く似ている。とたんに幼く見えるのも。
『……そうだね。一つというのは、そうかもしれない』
憧れていたのかもしれないね、と直は笑った。
『君たちみたいな関係を、誰かと築きたかったのかもしれない。そうしたら何か、満たされるかもしれないと思ったんだ。
けど駄目だね。私そもそも、人付き合いが向いていないのだよ。君たちとの関係が一番長く続いている』
人を大切にできない人間なんだよ、と、直は言った。
この男が、ここまで自分のことを――自分の弱みとなることを話すのは珍しい。
直と晨星はよく似ている。だが一つだけ、大きく違うところがある。
他者に弱みを見せるか、見せないか。
晨星は迷うことなく、自分の弱点を他者にさらけ出す。あまりの無防備さに危うさを感じていたが、直を見て逆だろうと思い始めた。
弱みを見せない人間の方が、ずっと危うい。
『そんな私が今死んで心残りだと思うのは、君たちの関係だけだ。……奇跡的にね』
それはまるで、遺言のようだと思った。
■
そんなことを今思い出したのは、何故なのか。
女官たちの条件が、「美人である」ことだということが過ぎったからか。
かつては妃候補としても雇われていた女官は、今は官吏と変わらない仕事をしている。
……妃候補。
月夜で出会った、宦官と女官のことを思い出す。
『じゃあ早く、皇帝を暗殺しないとだね』
あれから調査したが、二人にこれと言った怪しい動きはなかった。
宦官の少年は皓と言った。数ヶ月前に宮廷に入っており、ほとんど雑用をやっている。
女官の玲に至っては、皇帝の食事ではなく、女官たちの食事を作っている。
どちらも直を暗殺できるような距離にはいない。
二人の動向も気になるが、問題は二人の背後にいる存在だ。
俺は、あることが頭に浮かんでいた。
もし今、直が暗殺された時、――次の皇帝には誰がつくのか?
妃は一人もおらず、直以外の後継者は全員死んだ。
ただ一人、妃候補となる晨星がいる。
それも、二つの王朝の血を引く、ただ一人の実子だ。
直が暗殺された後、皇帝として担ぎ上げられるのは、晨星ではないか?
突拍子もない推測だ。いや、裏付ける根拠もないから、思いつきと言っていい。ほとんど直感のようなものだ。
だが、思いついてしまっては、無視することは出来なかった。
晨星に会おう。
場合によっては、晨星を後宮から連れ出すことも視野に入れなければならない。
そう決意して、機を待っていた。――はずだった。
「ちょっと桃花さんー!? 服持ってどこに……」
房から、青い袍と裙子をまとった少女が飛び出してきた。
秋の日差しを受けた金の髪が、降ってくる紅葉の間をくぐり抜けて舞う。
細い手が、何かを掴むように前に出ていた。ふっくらとした小麦色の肌は血色が良く、大きな目がこちらを覗く。
長い襪を身につけた足は、馬が駆けるように軽やかに大きく踏み出していた。
短い裙子が、踊るように広がる。
天女かと思った。
その天女のような人間は、俺がよく知っている顔であり。
俺を凝視し、数拍ほど置いてから、紅葉より顔を赤く染めた。
「みゃぁぁぁぁ――!?」
そして全力で逃げた。
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