第21話 晨星、覚悟を決める

「どうされたんですの、そのお顔!」


 朝起きて早々、桃花さんが目を丸くした。


「あ、桃花さん。おはよーございます……」

「目元が真っ赤でしてよ!?」


 そんなに腫れているのか。

 確かに泣きすぎて、頭がぼうっとした感じがする。


 気づいたら、ベッドにいた。

 私は自分でベッドに入った記憶が無いから、直くんが運んでくれたんだろうか。

 多分昨晩は寝たふりをして、黙って泣かせてくれたんだろうな。

 隣を見ると、直くんはいなかった。いつも私が起きる頃には既にいない。あいつちゃんと寝てんのか。


 あー、だめだ。思考がとっ散らかるし頭痛いしだるい。今日は自分で着替えできそうにない。


「ごめん。着替え、手伝ってくれる?」


 私がそう言うと、桃花さんは「勿論ですわ!」と用意する。

 テキパキと動きながら、そういえば、と桃花さんが話しかけてきた。


「小説、全部読みましたわ。とっても面白かったですわ!」

「あ、女医の話?」


 もう読んだんだ。桃花さん読むの早いな。


「ええ! 女性のお医者様も素敵な方でしたが、何より! 傷口を縫って治療するなんて方法が、この世に存在するなんて!」


 本当に出来るんですの? と尋ねる桃花さんに、私は頷く。


「私のお腹の傷も、縫ってもらったし」


 小説というより、ほとんどエッセイである。患者の設定は変えたけど。

 私の傷を治した華先生、今どうしてるんだろうなあ。なんて思いながら、私は桃花さんを見た。



 ■

 

 桃花さんには、私のお腹の傷を打ち明けておいた。

 というより、気を抜きすぎて、うっかり目の前で脱いでしまったのだ。アホすぎる。

 直くんはこの傷を知っていること、他の女官には黙っていて欲しいと伝えると、桃花さんは神妙な顔をして頷いた。


『晨星様。わたくしにも、秘密がありますの』


 桃花さんはそう言って、私に打ち明けてくれた。


『……わたくし、かん族の出身なんですの』


 その秘密を聞いた時、私は言葉を失った。


 前王朝である陪が滅んだ理由はいくつかあるけど、その中の一つに無理な外征と土木工事がある。

 特にその外征や土木工事に駆り出されていたのが、かつて東北に巨大な国を作り、陪に負けて統合されたかん族だった。

 疲弊していたかん族は反乱を起こすも、初代皇帝である理高郎と養父に抑え込まれ、民族としての力を無くした。


 かん族の子どもたちは捕虜として、宦官、あるいは妓女か女官として売られたという。

 今でも、その名前を出しただけで、彼らは差別される。


 桃花さんは最初、軍妓だったそうだ。

 軍妓とは武官たちを相手にする妓女のことだ。後宮に務める宮妓と同じように、踊りや詩を作ることもあるが、自分の心のままに官吏と関係を作る宮妓と違い、彼女たちは性的な関係を一方的に強いられる。


 ただ、桃花さんは直くんが皇帝についた頃、軍妓から宮妓に移り、その後後宮の女官になったらしい。


『実は、宮妓の方が女官より自由があって、禄も多かったんですの。……でもわたくし、針と糸を持ちたかったので』


 そう言って、桃花さんは艶々の唇の前に、人差し指を立てた。


『秘密にしてくださいませ』


 そう言われた時、私は彼女が私を慮って、命懸けの秘密を打ち明けてくれたことに気づいた。

 こんなお腹の傷なんて、バレたところで私が追い出されるだけで済む。


 私が最も秘密にしていることは。

 桃花さんたちを苦しめ、選択を奪って尊厳を踏みにじり、今も桃花さんに自分の民族を名乗らせることを許さない、だ。

 

 ごめんなさい。

 誰にも聞かれてはいけない謝罪を、心の中でつぶやいた。


 ■


 ――なんて、感傷的になったところで、桃花さんに謝罪が出来るわけもなく。

 そもそも、私は何も出来ない子どもだった。どうしようもないことだったんだから。

 だけど、桃花さんがそのことを知ったら。

 ……恨まれるどころの話じゃないよな。そんなことを考える。


 なんて考えているうちに、化粧も着付けも完璧に終わった。桃花さん本当にすごい。


「続き読みたいですわ……高い治療費を叩きつけて、全国を放浪する女医……」


 ほう、と頬を抑えて微笑む桃花さん。

 改めて聞くと、どこの闇医者主人公だよ。って設定だな。華先生。


「ですがあのお話、わたくし以外には見せない方がよいかもしれませんわね。人を助けるためとはいえ、身体を傷つけるお話ですし」

「そーなんだよねー」


 華先生がなぜ放浪してるかと言うと、医術と、例え死体であっても「身体を傷つけてはいけない」孝の相性が、とんでもなく悪いからだ。

 ここで邪魔してくる孝の考え。くそう、孝ってこんなにも人文科学と相性が悪いんかい。

 そもそも医者の立場も低すぎて、華先生は基本、「女道士」を名乗ってるし。

 医療小説が流行れば、少しでも立場を改善できるかと思ったけど、そのためには孝がめちゃくちゃ邪魔すぎる。ちくしょう。


「ですが、傷口を縫合させる技術、是非ともご教授願いたいですわ」

「お、興味ある?」


 私がそう言うと、ええ、と桃花さんは頷く。

 針と糸が好きなら、縫合にも興味持ったりしないかな? と思って書いたんだけど、その狙いは外れてなかったみたい。

 だけど、桃花さんの想いは、それだけじゃなかった。


「蓮……夫となる殿方が、武官なんですの。怪我された時、わたくしがそんなふうに治せたら、と思いましたの」


 その微笑みが、あまりにも幸せそうだった。


「……そっか」



 これは、後から聞いた話。


 婚約者さんとの付き合いは、軍妓の頃から始まっていたらしい。まだ月経も始まっていない彼女が手出しされないよう、ひたすら庇っていたそうだ。

 その後、女官として後宮に入った時、彼女は婚約者さんと結婚できないことを覚悟したという。


 だから、女官が妃候補から外され、夫を持つことを許された時、桃花さんは自分から婚約者さんにプロポーズしに行った。


 それを聞いた時、私は、後宮に入る前の自分を思い出した。

  

 私は、後宮のシステムが嫌いだ。だけど、後宮はそれを受け入れている人たちで出来ている。


 後宮へ来た以上、否定せず受け入れよう……とまでは思ってないけど、せめて疑問とか怒りとかは黙っておこうと思った。


 この国で人権を言っても、それしか生きる方法がない人たちばかりだろう。後宮というシステムを受け入れている人の前で言っても、余計なお世話だったり、混乱させて苦しめるだけじゃないかと。

 

 だけどやっぱり、それは言い訳だと、あの夜、直くんに言われた気がした。


 後宮に来て、桃花さんや玲さんを見て思った。

 自分たちの力を仕事にする人たち。自分の仕事に誇りを持っている人たち。自分たちで研究し、腕を極めて、やり遂げていく。

 すごいと思った。

 

 この人たちが、性的に求められること、あるいは体の一部を差し出すことを前提に働いて生きていく世の中で、本当に良いの?


 そう思った時、蓋をしようとしていた自分を恥じた。

  

 私は、元からあんまり頑張れる人間じゃない。

 決定的になったのは、ヘリコプターが落っこちて来たあの日。

 何をどうしても死ぬのだと分かった時、私は努力を信じられなくなった。 


 だからこそ、頑張る人が何かを諦めなければいけないなんて、絶対に嫌だ。

 私は嫌だ、と言うことぐらいは、出来るはずだ。


 ……うん。

 いっぱい泣いて、スッキリしたみたい。

 世の中がどうであっても、私の中の答えは、既に出ていた。

 何より、この世界の常識も当てはまらず、役に立つこともないのに、私のことをずっと受け入れてくれた人たちがいる。

 ならきっと、いっぺんには無理でも、理解者を増やすことは出来るはずだ。



「あのさ、桃花さん。結婚の準備で、本当はすごく忙しいと思うんだけど」


 華ロリ、まだ諦めずに作ってもらっていい?

 そう言うと、桃花さんは目を輝かせた。


 やっぱり、分野が違えど、桃花さんもオタクだ。

 好きなことを頑張る人を、同じオタクとして応援したいのだ。

 なので最大限、この『妃候補』という地位を利用しようと思う。

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