第20話 舜雨、結婚について考える

「いや、本当に僕の婚約者かわいくてぇ!」


 盃をダン! と叩きつけながら、顔を真っ赤にした蓮英は言った。

「新人まだ聞いてるよ……」「同じ話ずっとしてんだから、そろそろ断れよ……」と周りがざわついているが、俺以外の新人がいるのだろうか。


「後宮に勤めててぇ、春に結婚するつもりなんですけどぉ、仕事は続けたいって言っててぇ、僕は全然いいんですけど、周りがうるさくてうるさくてぇ」

「それは大変だな」

「『自由にさせたらそのうち浮気されるぞ』とか脅してくるんですよ! ぐちぐちぐちぐちずーっと!」


 僕にも彼女にも失礼じゃないっすかぁ!? と、半分泣きながら訴える蓮英に、酷いな、と心から同意する。

「そんなにテキトーな返事をするならもう断れよ……」「目が死んでるぞ、あの新人……」と言う声が聞こえる。そんな新人がいるのか。可哀想な新人もいるものだ。



 皇帝付きの護衛としてほとんど単独で動いていた俺だが、『舜雨だって羽林軍に入ったんだし、同僚との交流も必要だよね』と言われ、俺は羽林の一人である池蓮英との交流を持つことになった。

 池蓮英は武官としては華奢な体付きだが、残された証拠から推理する、鋭い観察眼を持っていた。

 まるで昔晨星が話してくれた、探偵のような存在だ。

 また性格も穏やかだ。酒で少々タガが外れても、豹変した様子がない。武官としても、伴侶を迎える男としても、彼はとても良い人間なのだろう。弱みを見せれば格下と叩かれがちな男社会で、恐れず素直に泣き言を言えるのも好印象だった。


「っていうかぁ~、舜雨さんには良い人いないんですかぁ~。僕だけ話して申し訳ないですぅ~」

「俺は……どうだろうな」


 結婚をするのだろうか。

 正直、俺のような人間が誰かと婚姻を結ぶ姿が想像できない。

 師父も独身であるし、俺もそのような生活を送るのではないかと思っていた。


 晨星は、このまま妃になるのだろうか。


 直が晨星の秘密を知っていると聞いた時、一番気がかりなのがそこだった。

 直は、妃にするつもりは無いと言っていた。

 では、当初はどうするつもりだったのか。


『私は、彼女に押し付けるためにここへ呼んだんだ』


 直が晨星の秘密を知っている以上、彼女を政に巻き込むつもりなのだろう。あまり頭がいいわけではない俺にも、そのことは容易に想像できた。 

 だが、どのような形で巻き込むつもりなのかはわからない。手を挙げて降参したいのに、気づけばそのことばかり考えてしまう。

 


「ああもう! お開きだ馬鹿野郎! テメーも酔っぱらいの戯言真面目に聞いてんじゃねーよ! ちったぁ嫌がれ!」


 

 左羽林の潘将軍が、蓮英から盃を取り上げる。

「ようやくツッコミの人が……!」「潘将軍、お人が良すぎです……!」「惚れてしまうやろー!」と、周囲の声が聞こえた。


「おら、さっさと帰れ! おまえあのわがまま皇帝に振り回されてロクに休んでねーだろ! 休みの日まで人様の面倒見てるんじゃねえ!」

 

 しっしっ、と言いながら、蓮英に桶を用意する。さっきから酒に呑まれた部下の面倒を見ていた。

 ここに勤めてさほど時間は経っていないが、潘将軍は細かな気遣いが出来る武官であることはひしひしと理解した。


「……では、先に失礼します」


 俺がそう言うと、「おう」と潘将軍が言う。


「好きな人には……幸せに……なって欲しいんですよぉ……」


 潘将軍の腕の中で、半分眠りながら蓮英が言った。








 飲み会会場である門から出ると、外朝に繋がる門の上に、月がポッカリと現れていた。

 今日も空はよく晴れているが、代わりに月光が眩しく星は見えない。

 蓮英の言葉を思い出す。

 

「……俺も、大切な人には幸せになって欲しいよ」


 誰にこぼす訳でも無く、一人言を呟いた。


 直が何を考えているのかわからない。

 だが、直が本当の意味で、晨星に何かを「押し付ける」のだろうか、と思った。――希望的観測かもしれないが。

 

 もし、晨星の秘密を有効活用するのであれば、一番考えられるのは、皇后にすることだろう。

 晨星の秘密を考えれば、それが妥当だ。

 

 だが、あの直がそのようなことを考えるとは思えない。

『なんで君たち結婚してないの⁉』と、俺たちの結婚を望んでいたようだった。最初から皇后にするつもりなら、『妃候補』などせず、そのまま妃に迎えた後皇后にすればいい。


『彼女に後宮はもったいない。もっとしかるべき場所で暴れるべきだ』 


 あの夜、直はそう言った。

 あの意味は一体なんだ。

 そう思った時だった。



 誰かの気配を感じた。

 振り向くと、内朝へ続く門のそばで気配がする。

 衛兵だろうか? そう思った俺は、内朝の方へ向かった。


 物陰に隠れて、誰かが声を潜めて会話している。

 見るとそこには、この間会った宦官と、女官らしき少女が立っていた。


 白髪の宦官は、今日は紫寝門の番なのだろうか。二つにわけた髪を丸く結った幼い女官は、手に蒸籠らしきものを持っている。

 どうやら、女官が宦官に夜食を届けに来ていたらしい。

 

 咀嚼する音が聞こえた。


「……むぐ、うま、うまいよ玲ちゃん。それにかわいいね、これ」

「気に入った?」


 女官が尋ねると、一旦飲み込んだ後、宦官の少年は「とっても!」と答えた。

 女官は「よかった」と答える。見ているものを癒すような、微笑ましい光景だった。


 ……玲と呼ばれた女官は、確か晨星が小説の取材をするために聞いた相手の一人だ。

 あの後も交流を続け、時折茶会などをしているらしい。


 宦官と女官の逢瀬だろうか。

 だとしたら、あまり見るものでは無いだろう。

 本来なら重罰を受ける行為だろうが、あのような幼い二人が罰を受けるのは忍びない。


 それに、本来は禁止されているが、女官と夫婦同然の生活を送る宦官もいる。

 禁止される理由は、力のある宦官が女官と結婚すれば、その女官の父親を取り立てるなど権力の横行になりうるからだ。


 しかしほとんどの宦官は出世をしない。 

 人間として扱われず、日の目を見ない仕事をこなすなか、ただ自分を受け入れてくれた女官と静かに暮らしているようだった。


 その祈りのような願いを、俺は否定したくない。

 一人の人として扱われることが、人間を人間にたらしめる条件だと、俺はよく知っている。





 

 ――今でも、晨星を刺した感触を思い出す。

 金のために殺していた俺は初めて、怒りで人を殺そうとした。

 あの時、激情に飲み込まれなければ。

 晨星の気配に気づいて、庇った晨星を刺さないよう、凶刃を床に落としただろう。

 

 どうして、と慟哭した。声変わりの喉が痛かった。

 流血した腹を抱えて、晨星は真っ直ぐ俺の目を見た。


『……るす、から』


 痛みで途切れ途切れになりながらも、星のような目で俺を射貫いた。

 

『この世界に――がないなら、私が作る』


 だから、と晨星は言った。

 その続きの言葉を、俺は生涯忘れないだろう。――

 


 


 つい、昔のことを思い出した。

 俺は随分感傷的な人間になった。殺手だった子どもの俺は、誰かと重ねて思い出すなんてこともしなかった。


 だがそれは、何も持たないからだった。

 あのような子どもが、大人の庇護なく自分を差し出し、周囲に侮られながらも、肩を寄せあって生きている。

 それがどれほど残虐なことだったのか。殺手をやめた今の俺は分かっている。


 気配を消して、離れようとしたその時だ。



 

「……じゃあ早く、皇帝を暗殺しないとだね」





 俺の頭を叩きつけるように、宦官の少年の言葉が聞こえた。

 俺は慌てて彼らの元に向かう。



 だがそこには、誰もいなかった。

 夢幻のように、幼い二人の姿は消えていた。

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