第19話 晨星、泣く

 ■


 弘文館にも慣れたところ――と言っても、出来ないことは結構ある。

 それは、現在進行形で起きていることだった。


「と、届かない……」


 高いところにある本が、届かない。

 震える腕を必死に伸ばしていると、横からスっと腕が伸びた。


「ほら。取れないなら、声をかけるか、台を持ってこい」


 勇義さんが呆れるように言った。

 あれ、これ少女漫画でよく起きる『恋に落ちるパターン』か? なんて馬鹿なことを一瞬考える。


 ちなみに昔は私の背丈に合わせて本棚が作られていたので、舜雨くんとこんなシチュエーションは起きなかった。

 バリアフリーでときめきシチュエーションが消えていたとは盲点だったぜ。


「……何か、悩みごとか?」


 顔に出ていたんだろうか。私は苦笑いして、「悩み事ってわけじゃないんだけど」と付け足した。


「ちょっとね。昨日、直く……陛下に、問題を出されたというか」

「問題?」

「……どうして、沢山の妃と、宦官がいるのかって」


 私がそう言うと、勇義さんの息を飲む音がした。


「……陛下は、そのことを調べよと?」

「うん、まあ……」


 正直、建前ではある。

 これは私自身が、ずっと疑問に思っていたことだ。


「私、妃が沢山いるのは後継者を作るためで、宦官はそのお世話をするためだと思ってたんだけど……よく考えたら、それってすごく変だなって」


 そう、変なのだ。


 まず、妃の数。

 多すぎん? 子を産むとしても、多すぎん?

 そりゃ、子どもが生まれない可能性を考えて、というのは、最もらしい理由だ。けど、だったら皇后が子を産んでる場合、他の妃は不要なはず。


 だって、子がいないものも困るけど、子が多すぎるのも問題だ。現に灌王朝も、後継者争いで大変な目にあったし。

 

 そして、宦官。

 元々は宮刑という、死刑の次に重い刑罰だった。ところが、前王朝の陪で宮刑は廃止されている。


 今の宦官は、自営と言って、自ら――正しくは戦争孤児や貧しい村から口減らしで売られた男の子が――去勢しているのだ。

 

 その手術も宮廷で行われるのではなく、民間で行われている。

 ちなみに、手術では三割が死ぬらしい。

 宮刑の場合は死亡率はかなり低かったのに、自営の死亡率が高い。その中でも宦官として使える五体満足の子は極わずか。


 なので宦官は、下手したら女官より高く売れるらしい。


 もうここまでで私は「人の心ぉー!」「人権んんんー!」と百回ぐらい唱えたんだけど、ここまでして「後宮に宦官がいる理由」がわからなかった。

 他の男と子どもを作られたら血統が混乱するから、って理由で後宮が男性禁止なのは、ギリわかる。


 ただ、宦官とかいらなくない? 大奥みたいに、女だけでやれそうじゃない?

 女の人にはできない力仕事がある――というのは、嘘だと思う。


 だって宦官って、アンドロゲンが落ちているので、筋力も落ちている。

 精巣だけでなく副腎からも作られるから、人によっては女性より力が強い人も、まあいるかもしれない。けど、日常生活を送るという点において、かなりハードモードな身体だ。


 で、答えが出なかったから、寝不足になってしまったわけだ。 

 


「……そうだな。晨星どのは、知っておくべきだろ」 


 座ってくれ、と椅子を引かれる。

 勇義さんは語り始めた。



「そもそも、この大陸では多くの国が乱立していたことは、晨星どのも知っているだろう」


 勇義さんの言葉に、私は頷く。


「陪王朝は、その多くの国をまとめて、巨大な国を作った。

 だが、その前にも巨大な国を作った王朝はある。統一王朝は何度も滅び、また生まれた。これを『革命』と言う」


 革命っていうと、前世の記憶がある私だとフランス革命とかを真っ先に思い出すんだけど、ここで言う『革命』とは、王朝が変わることの意味なんだよね。


「では何故革命が起きたのか、と言えば、徳がなく、天にそぐわない皇帝が出てくるからなんだが、まあ……俺はあんまり信じていない」

「ぶっちゃけるな~」

「その時代、より合理的で有能な政治家が現れることは、天の采配かもしれんがな。滅ぶ結果には必ず、原因が伴う。

 だが、滅ぶ原因は複合的で複雑だ。俺が挙げるのは、あくまで『後宮』という側面で見た原因だと思ってくれ」


 そう言って、勇義さんは続けた。


「それぞれバラバラだった国をまとめる為には、皇帝に絶対的な力が必要だ。皇帝に力を集めるには、それを支援する貴族が必須となる。その貴族との繋がりを強めるのに最も有効的なのは、婚姻関係だ」


 ――婚姻と聞いて、思い出すのは舜雨くんとのこと。

 私は思わず、傷のある腹を撫でた。けど、今は蓋をしておく。それどころじゃなくなるからだ。


 というか、すっかり忘れてたな。子どもを作らなくても、婚姻というものが外交手段であること。


「だが、ここで問題となるのが外戚問題だった」

「外戚……」


 皇帝の母親の一族のことだ。日本だと、藤原道長とかがパッと頭に浮かぶ。


「娘が皇帝の子を産めば、その娘の父親は皇帝より強い力を持てるようになる。短命とは言え、それで皇帝になった者もいる。外戚はしばしば、皇帝の敵になった。

 そこで選ばれたのが、宦官だった」


 勇義さんは目を伏せて言った。


「宦官は子を産むことが出来ないから、繁栄を築いても一代限りで終わる。――皇帝が外戚に対抗できる唯一の部下が、宦官だ」



 その言葉を聞いて、私は言葉に詰まった。

 あまりに予想外の答えが出てきたからだ。



 




 直くんが、ぐーすか私のベッドで寝ている。

 私は机に置いた灯りを頼りに、今日わかったことをまとめる。

 あまりに濃密すぎて、私はどこから手をつければいいのかわからなかった。


 宦官は、外戚に対抗しうる皇帝の切り札。

 そのためには、宦官の数を増やさなければならない。数とは、権力だから。

 そんなこと、想像もしなかった。


 宦官は子を作れない。代わりに妃の面倒を見ることで権力を握る。

 よって、宦官が増えれば増えるほど、妃の数も必要となっていく。それも地位が低くて、皇帝の覚えが目出たければやりやすい。

 妃のために宦官がいるんじゃなくて、宦官のために妃がいたんだ。


 その去勢を受ける多くは、幼い少年で。

 女官や妃として連れ去られるのも、幼い少女で。


「……子どもを、なんだと思ってるの」


 人を、なんだと思ってるの。

 そんな言葉とともに、涙が紙の上に落ちた。


 宦官が権力を持って国を滅ぼした事例もあるじゃん、と言った私に、『だから科挙が導入されたんだ』と勇義さんが返した。


『外戚でも宦官でもない、地位は低くても有能な第三勢力を作ろうとした。だが、それが完成されるのは、もっと時間が必要だろう。

 だから初代皇帝は、婚姻を重ね、宦官を増やした。外戚と宦官の均衡を保ち続けた』


 そこで区切って、勇義さんは言った。


『……陛下がどうするつもりなのか、俺にはわからん』



 それは、直くんの身が危ういことを示す言葉だった。

 結婚を拒む直くんは、多くの貴族を敵に回している。だけど彼が、積極的に宦官を増やすとは思わない。


『君が嫌がることをしたくないと思っただけさ』 


 直くんはきっと、私が宦官も嫌だと思っていたことを見抜いていた。

 それが彼の首を絞めるものなんて、思わなかった。


 いや。

 わかんない。

 わかんないよ。

 婚姻とか出産とかで権力を確立させる。仕事を得るために人の身体の一部を傷つける。性が発達しない子ども時代から囲う。

 こんなシステムを考える人の気持ちがわかんない。全然、理解できない。

 わかってる。ここでは、私がおかしいんだ。理解できないと混乱する私がおかしい。

 でも、でも。

 

「会いたいよ……」

 

 ――権力の道具にされかけたことに怒ってくれた、養父以外で初めての人を思い出す。

 私は、お腹の傷を撫でた。


 会いたいよ、舜雨くん。

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