第16話 悪夢

 夢を見る。

 色んなものが、燃えていく夢。

 煙と黄砂が混じって、目が痛い。

 あれは、内乱によって引き起こされた火事。


 熱い。

 子どもが泣いている。

 女の人が叫んでいる。

 男の人が死んでいる。

 タンパク質の焦げた、嫌な匂いがする。


 それはまるで、ヘリコプターが落っこちて死んだ時のよう。

 あの時も熱かった。

 痛かった。

 怖かった。

 あんなの、一度しか耐えられない。

 なのに目の前の誰かが、そんな目に遭っている。


 ごめんなさい、ごめんなさい。

 必死に私を抱きしめて、その光景を隠そうとする養父に、私はひたすら謝った。


 わかってる。

 こんな自責、なんの意味もない。

 私にはどうにも出来なかったし、多分ここまでこじれてしまったら、誰にも止められなかった。

 だけど、そう思わずにはいられなかった。





 



「……それは、夢だよ」


 誰かが、眠っている私の頬を撫でて言った。

 かさついた手。働き者の手だ。

 この手に、私はずっと憧れていた。


「お前のせいじゃない。……誰のせいでもないんだ」


 そうなのかな。

 そっちの方が辛いよ。

 だって、理由がないなんて、そんなの理不尽だ。

 皆頑張って生きていたのに、あんな目に遭って死ぬなんて、そんなの酷すぎる。

 前世の日本はあれだけ平和だったのに、なんでこの国ではそれが出来ないの。

 息をするのが難しい口でそう言うと、そうだな、とその人は言った。


「だけど、もう誰も死んではいないよ。

 今の月安は平和だ。これからも、きっと平和だ。……大丈夫だよ」


 そう言って、その人は私の瞼を撫でる。

 多分私は、泣いていた。

 その人が涙をぬぐってくれたんだと思うと、何だか酷く安心して。

 それから私は、何も覚えていない。

 これは夢なので。

 起きた時には、その時あったことを全部を忘れているのです。


 ■


「……昔も、こんな風にうなされていたね」


 悪夢にうなされていた晨星が、今度こそ眠りについた時、直が言った。


「直がいなくなったあとは、晨星は一人で寝ていたからな。俺が知らないだけで、うなされていたかもしれないが」

「いや、後宮に来てからは、そんな素振りはなかったかなあ。……やっぱり、毒のせいなんだろうね」


 額に汗がにじむ。毒による発熱なのだろう。

 

「林尚儀の塗り薬に含まれていたんだろう。疑われないよう遅効性の毒を仕組んでくれたおかげで、解毒には間に合ったけど」


 その言葉に、俺は思わず握っていた晨星の手を握りしめてしまった。


 直に命じられ、影から晨星を見ていた。

 恐らく琴は、弦が切れやすいよう細工されていた。弦が切れる瞬間も、塗り薬が塗られる瞬間も見ておきながら、俺はその場では止められなかった。

 直がすぐに動かなければ、林尚儀から解毒剤を奪うことも出来なかっただろう。


「尚寝局の方は、私が目を光らせていたし、手下の方は桃花が止めていたからね」


 それでも痺れを切らして、林尚儀自身が出るとは思わなかったけど、と直は言う。

 直が毎晩晨星の寝室にいたのは、寝台や小物に毒物が仕込まれていないかを確かめるためだった。

 また、晨星が皇帝の寵愛を受けているという状況で、誰が晨星を排除するのかを確かめる必要もあった。


 誰が皇帝の敵なのか判断するための、毒味役のような存在。


 沈黙が流れる。夜の闇の中で、季節外れのホトトギスが鳴いていた。

 ねえ、と直が後ろから声を掛けた。

 


「前、晨星のこと殺しかけたって言ってたけどさ。――晨星のお腹の傷って、君がつけたのかい?」



 その言葉を聞いて、俺は思わず振り向いた。

 

「……見たのか?」

「見てない見てない。本人の自己申告!」


 ぶんぶんぶんと手を振る直に、心の中で安堵した。


「腹部に傷があるから、着替えとか入浴は一人でやりたいって言ってきたんだよ。女官たちに気を遣わせるからって。

 こっちとしても、腹部なんて微妙なところに傷があれば、妃候補として問題ありって言われる可能性もあるからさ」


 その言葉に、そうか、と俺は返す。


「……彼女が他の家に嫁がなかったのは、その傷が原因だ」


 子を産む腹に傷があるとわかれば、『産めない女』と言われ、すぐに離婚を突きつけられる。彼女の心が傷つくことを恐れた師父は、縁談を断り続けた。

 一度だけ、師父が俺に、晨星と結婚しないかと言ったこともあった。だが、俺は断った。

 まるで彼女を、そのために傷つけたような気がしたからだ。



「君たちはなんというか、本当に自分を罰するのが好きだねえ」


 はあ、と直がため息を着く。


「私なんか綺麗な君たちに比べたら、ずっと汚れてるのに。ぜーんぶ他の人に押し付けてきたよ?」

「……お前は綺麗だろう」


 夜を思わせる黒髪に、月光を弾く白い肌。中性的で柔和な顔立ち。何より、常に清潔な服を身にまとっている。この国の美人に相当するだろう。

 

「そういうことじゃなくてね」何故か直は頭を抱えていた。


「……君のそういうところが、晨星は好きなんだろうなあ。私も好きだけど」

「そうか」


 よくわからないが、どうやら私の美徳らしい。

 でもね! と、強い口調で直は言った。

 

「愚直は美徳だけどね、愚鈍は罪だよ。舜雨も、晨星もね」


 本当は気づいているんだろう、と。


「私が君たちを呼んだ、本当の理由に」



 直の言葉に、俺は俯く。




 大陸にある多くの国を、陪王朝は一つの国としてまとめた。

 他国の独立を犯し、対等の関係が踏みにじられ、残ったのは憎悪だ。一つにまとめた国は、早くも瓦解し始めていた。

 憎悪は民族や血族の間に引き継がれ、結束を固め、さらなる戦争の火種となった。

 それを踏み潰し続けたのが、陪に仕えていた灌の初代皇帝と、師父・昕文昇だ。

 戦火を別の戦火で消火し、そうして敵対勢力を押さえ込んだ。


 だがやがて、二人は袂を分かつことになる。

 彼らが袂を分かつことで、その後の内乱は長引くことになる。


 その理由は、晨星にあった。


「……お前は、知っていたんだな。晨星の秘密を」


 だからここに呼んだのか。

 俺がそう言うと、そうだよ、と直は言った。


「私は、彼女に押し付けるためにここへ呼んだんだ」


 ゾッとするほど深い声がした。

 闇というのも生ぬるいような声だった。


「知っていても知らなくても無償で助ける君たちと違って、私はなんでも利用する人間だからね」

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