第15話 晨星、自分の不甲斐なさを考える
さて。
後宮は主に、妃妾、六局につとめる女官、そして宦官に分けられる。
私は『妃候補』なので、妃ではないけど、妾でもない。
というのも妾というのは、この国では妃や正妻の代わりに産む女性を指す。その子どもは、自分の仕えている妃の子として認識されるのだ。
杜夫人は前王朝で、皇后の代わりに第一皇子を産んだ侍女だった。妾は妃としての称号は与えられないけれど、四妃と同等の地位を持つという意味で、四妃の位階である『夫人』と呼ばれたらしい。
じゃあどのあたりに位置するんだよと言われそうなんだけど。
簡単に言えば私は、称号も位階も持たない人間なのだ。
なんだけど、桃花さん含める女官の皆さん、妃として敬ってくれる。
「尚宮局では、文章の出納をしていて……」
「尚服局では、衣類や宝石の管理を……」
「尚寝局では、寝具の管理や庭園の灯りを……」
恋愛小説のネタ探しのつもりが、ちょっとしたお仕事の取材になっていた。
後宮について知りたいと言うと、皆丁寧に優しく教えてくれるからビックリ。
それにしても、女官の人たちってすごい。
なんというか、「自分の力で生きている」って感じがする。
私は、家事がべらぼうに苦手だ。
前世もそんなに得意じゃなかったけど、家電や水道がない状態ではさらにダメだった。適応力もなかった。
料理は養父と舜雨くんが積極的に行っていて、洗濯は荘園に住む農民の女性が通いこみでしてくれた。
やっていたのは、かろうじて掃除ぐらい。それも高い場所とかトイレとかゴミ出しとか、大体養父と舜雨くんがやってたけど。
主にやっていたことと言えば、経理と、荘園の計画書の作成と、行政に出す嘆願書、それから子どもの遊び相手と簡単な読み書きを教えるぐらい。
……それも字が下手で、養父と舜雨くんが清書してくれたな。子どもの遊び相手だって、舜雨くんもやってたし。
皆、よく私を責めなかったな。うん。
そうこうしていると、尚食局の人と話す番になった。
私が一番楽しみにしていたのが、ご飯をつくる人の話。
やっぱり物語には、美味しいご飯がないとダメだ。私には作る才能がないので、食べる専門になっちゃうから、詳しい人に話が聞けたらなと思っていた。
「尚食局につとめる、玲さんですわ」
桃花さんがそう言うと、玲さんと呼ばれた女官は、拝礼した。
歳は十四歳ぐらいだろうか。美豆良っぽく纏めた髪には、可愛らしいお花が飾られている。顔立ちも可憐な印象を受けた。
――そして、表情が『無』だった。
思わずじっと見てしまったようで、桃花さんが「晨星さま、どうされましたか?」と心配していた。
「ごめんなさい。……ちょっと、玲さんが家族の印象とよく似ていて」
養父も舜雨くんも、どっちも表情がなくて、よく「厳しい、怒ってる」人だと思われる。
特に養父は前職で「武神」と呼ばれたこともあって、ものすごく誤解されやすかった。護衛の仕事で、しょっちゅうフォローに回ったっけ。
だから何となく、ほっとけない印象を抱いちゃった。
「今回来てもらったのは……」
私は、もはやテンプレとなった説明を玲さんにする。
後宮の様子が知りたいと言うと、玲さんは静かに口を開いた。
「……私は、あまり、うまく話せない。それでも、いいですか?」
途切れ途切れの言葉と、抑揚がなく聞きづらい言葉。
桃花さんから、事前に聞かされていたことを思い出す。
『彼女は一般的な女官試験ではなく、料理の腕を買われた女官なんですの』
なんでそんなこと言うんだろうと思ったら、なるほど。一般的な女官試験だと、喋り方も重視されるもんね。
特に灌語は、音楽みたいな話し方をするので、音程の差でまったく別の言葉に聞こえてしまう。その心配をしているのだろう。
「はい。よろしくお願いしますね」
私がそう言うと、途切れ途切れに彼女は話し始めた。
「ずいぶん、活躍したみたいだね」
相変わらず、直くんは私のベッドに寝転がる。
ただ今日は珍しいことに、私の手に軟膏を塗っていた。
「林尚儀が、えらく興奮気味に伝えていたよ。『あんな音楽、初めて聞きました!』って」
「あ、あはは……」
私は、遠い目をして答えた。
尚儀局からは、長官である林尚儀が出迎えてくれた。尚儀局は主に礼楽に携わる部署。楽器の管理なども行っている。
で、話の流れで、『晨星さまは何の楽器を演奏されますか?』と聞かれた。
ところでこの国では、貴族の姫君の嗜みとして楽器を演奏する。
一応、私も琴ならそこそこ弾けるのだ。
……弾けるん、だけど。
前世で好きだった曲しかほとんど弾けないんだよね!
当時興行収入が世界一位になったアニメ映画の主題歌を弾きました。ええ。和楽器バンドのノリで。
そのせいか、弦が切れました。怪我しました。申し訳ない。
なので今、直くんが塗り薬を塗っているわけだ。林尚儀が塗ってくれたから、問題ないんだけど。
楽器を壊すとか、林尚儀には申し訳ないことをしたな。
「それで、いいネタは見つかった?」
「うん。皆ものすごく面白かった。知らないことも知れたし、……」
ただ、恋愛ネタは全く集まらず、お仕事モノのネタが集まっていた。
よく考えたら、一応私は上司のような立場だ。
ここで真面目にお仕事をしているのに、恋愛の話をふるの、セクハラ的な申し訳なさがある。
私がそう言うと、「まあそっちでもいいよ」と直くんが言う。
「彼女たちが好みそうなものを書いてくれたならって思ったのさ。
女性の君なら、彼女たちの好みに合わせて書くことも出来るだろう」
「……そう、かな」
――でも正直、どちらも私より舜雨くんの方が面白く書けるんだよな。
私は、自分を起点にしないと何も書けない。自分の中にない感情や経験は、文章にすることが出来ないのだ。
だから登場人物は、皆「私」を元にしたキャラクターになってしまう。
だけど舜雨くんは違う。彼は、自分とは全く別の人間の気持ちを書くことが出来る。
自分がないわけじゃなくて、自分は自分、他人は他人とハッキリわけるからこそ、自分を消して他者を見事に書き切るのだ。
めっちゃ簡単に言うと、舜雨くんの方が私より女心がわかるんだよね。
舜雨くんが書いてくれないかな。無理か。
それに最近は忙しくて、彼が筆をとっていたのを見たことがない。
舜雨くんは働き者だ。文句一つも言わず、人から頼まれた仕事を引き受ける。
私が無能な分、彼に仕事のしわ寄せがいっているんじゃないか。
私が、彼の自由を奪ってるんじゃないか。
私が後宮に来たのは、そんな背景もある。
だけど今日、思い知ったことは、私は後宮向けの人間でもないということだ。
妃は、子どもを産むことが仕事。
ここでの『恋愛』は、生殖のためのものという認識なんだ。
そんなの、ここへ来る前からわかっていたはずなのに、その考え方が、どうしても受け付けられない。
直くんが、どうして妃を迎えたくないのかはわからない。
でも私は、彼の意思を踏みにじってまで、妃としての仕事を果たそうと思えない。
全体のために、個を殺す考え方が、どうしても認められない。
それは私個人によるものなのか、それとも前世の記憶に引っ張られているのか。
どちらにしても私は、私である以上、長く後宮にはいられないだろう。
「……もっと、役に立てる人間になりたいな」
一人でも、どこにでも生きていけるように。
誰かを支えられるように。
ずっとそう思って生きているのに、ちっとも身体は身につかない。
自分の生き方を貫くのなら、自分のことは自分でやらないとダメなのに。
なんも出来ないのに、ワガママばかり言って、ずっと人に甘えて生きていたんだなって思う。
「君は君のままでいいんじゃないの」
私のつぶやきにそう返して、直くんははい、と言う。塗り薬を塗り終えたようだ。
なのに、直くんは手を握ったままだった。
「君が君のままでいることで、役に立つこともあるさ」
「そうかな」
私はじっと、その手を見た。
見れば見るほど、苦労知らずな手だなって思う。
八年ぐらい前は、疲れきった養父と舜雨くんから、「お前の手はふにふにして気持ちいいな」とふにふにされていた。私の手は猫の肉球か。
「役に立ってるさ。……十分」
そう言って、直くんは微笑んだ。
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