第10話 晨星、盾の両面を見る


「……俺が四書五経を学んだのは」


 勇義さんの言葉に、私ははっと我に返る。

 

「それしか道がなかったからだ」勇義さんは言った。

「……道がなかった?」


 そういえば杜家って、初代皇帝に仕えて権威を振るったけど、後継者争いに参加してやぶれたって聞いたことがある。

 その時主導権を握っていたのが、前王朝の皇帝の愛妾の一人であり、杜家の影の女当主と呼ばれた杜夫人だった。

 

「俺は妾の子だったんだが、杜家でたった一人の男だったんでな。跡取りのための教育を受けさせられた」


 そう言って、勇義さんは手をさすった。

 よく見ると、そこには古傷があった。……鞭の跡のように見える。

 この国では鞭打ちが刑罰として存在する。けど、「しつけ」と評して振るう大人が多いと聞く。

 もしかして、勉学を受けていた時、鞭を振るわれたのだろうか。『教育虐待』という言葉が、頭に浮かんだ。


「だが、後継者争いでやぶれた杜家は落ちぶれた。その後、姉の一人が男子を産んで、跡継ぎは後見人がいなくなった俺から、その子へ引き継がれた」


 私は思わず、勇義さんの目を見る。


「役に立たないこと、無意味なことを、学ぶ気は俺には起きない」勇義さんは目を伏せた。


「死ぬ気で詩を覚えても、状元で突破しても、後見人がいなければ、政治に関係の無いこの部署に配属されるだけだ」


 その言葉に、私は何も答えられなかった。

 沈黙が流れる。


「すまん、愚痴を言ってしまった」


 勇義さんが苦笑して手を上げる。


「俺が女官に警戒していたのは、陛下が後宮だけでなく、外廷にも女官を入れると言ったからだ」

「え?」


 初めて聞く話だった。


「実験的に、まずは秘書省に書記官として導入されてな。だが、多くの女は書に興味を持たず、状元合格者に媚びを売る始末……」


 だんだんと、勇義さんの顔が暗くなり、沈んでいく。


「書を興味を持ったと思ったら、それは俺の気を引くための話題作りで……」

「お、おう……」


 それは、なんというか。目に浮かぶ。状元なんて将来有望だもんね。


「校書郎のやつらは女官が気になって仕事が疎かに……どうして科挙も受けずコネでここに入れるんだ奴らは……」

「なんか……ごめんね……」


 皇帝のコネで入ってるもんな、私なんて。

 そしてそんな目に遭ってるなら、そりゃフラストレーションも溜まるし、女官に警戒もする。


「……いや、こんなのは言い訳だ。俺は晨星どのに、礼に欠ける態度をとった」


 勇義さんは顔を上げ、また頭を下げる。


「いや、もういいよ。理由分かってスッキリしたし」


『雌鳥』発言にも、なんとなく理由が見えた。

 当主になるために、勇義さんは心を殺して勉強した。だけど、それは全部台無しになった。

 その要因となったのが、後継者争いで。


 争いというのは、必ず勝者と敗者が決まる。

 優劣が決まると言っても、それは結果論でしかない。何かのアクシデント一つで、勝ったり負けたりする。勝った理由も、負けた理由なんて、あってないようなものだ。

 だけど人間は、そう簡単に受け入れられない。


 何か原因があるんじゃないか。理由があるんじゃないか。そう思って、理由を探すのだ。

 それが例え、どれだけ関係性の低いものだったとしても、すがりたくなる。


 後継者争いに関わったのが杜夫人だから、杜家は滅んだ。滅多に歌わない雌鳥が歌ったから、家が滅んだのだと。

 そう思わなきゃ、この報われない現実を受け入れられなかったのかもしれない。



「……私、養父から杜夫人のことを聞いたことがあるんだ」


 お節介だと思いつつも、私は口にした。

「文昇さまから?」勇義さんの眉が上がる。


「とても有能な政治家で、志の高い方だったと。……自分にはない強さを持つ方だと」


 全てを捨てた養父が、かつて城にいた時の話をしたのは珍しかった。だからよく覚えている。

 国を想い、杜家を想い、民を思った人だったと。科挙の現在の形に整えたのも、彼女だと聞いた。


 ――勇義さんは、杜夫人と比べ、養父を「無用な争いを避け、謗りを受けてもなお国に尽くした」人格者だと思っている。


 でも、杜夫人が後継者争いに参加したのは、それしか方法がなかったからじゃないだろうか。

 養父は天涯孤独の身で、結婚せず、後継者争いが始まった当時は養子の私だけ。失うものはそう多くない。


 一方、杜家は様々な家をまとめる、大きな家だ。争いに参加しないと決めた場合、多くの人間が昕家のような制裁を食らい、路頭に迷う可能性がある。あるいは、内部分裂を引き起こす可能性もあったかもしれない。


 まあ、だからと言って、勇義さんにとって「良い人」だったのかはわからないんだけど。

 鞭を打ったのは杜夫人かもしれないし、杜夫人じゃなくても、虐待を見過ごしたのは事実だ。

 それに個人的に、あの争いを止められなかったことに腹を立ててもいる。――そんなにもすごい権力者なら、全員争いを止める方法で動いたら、あんなことにはならなかったのにって。


 それでも、一面だけで誰かを評価するのは、とてもつまらない。

 角度を変えれば、その人の意外な顔が見えてくる。超人な偉人も普通の面があって、冷酷な為政者にも情がある。



「……そうか。文昇さまが……」


 そう呟く勇義さんは、少し嬉しそうだった。

 よかった。少しは、慰めになったみたいだ。












「……ってなわけで、今後勇義さんに勉強を教わることになったんですが」


 私は、またもや私の寝床で寝転がっている直くんをじろっと見た。「なんでちゃんと妃候補だって言わなかったの?」


「あっはっは。そっちの方が面白いかなって」


 直くんは全く悪びれなかった。こういうやつだ。


「でも、やっぱり上手くいったみたいだね。どう? 彼は」


 そう言われ、私は考える。

 最初は女に対する偏見が強い、威圧的な人だと思った。けど、話せばわかる人だったし、背景もわかっていくうちに共感も覚えた。

 そうだ。この親しみのある感覚。


「乙女ゲームで一番最初に攻略する、ツンデレ幼なじみキャラ……!」

「……ごめん、よくわかんないや」


 直くんが戸惑う顔をする。

 ふっ。人を振り回すのが得意な彼を振り回せるなんて、前世の知識やボキャブラリーを持つ私か、天然発言を繰り返す舜雨くんぐらいなものだろう。


 ……ふっと、前世で学んだことを思い出した。

 前世にも、四書五経というものがあった。そして、『小説』という言葉は、四書五経をさす『大説』に対する言葉なのだと。

 架空の出来事を綴る小説は、大説より劣ったものだと捉えられていたのだと。


『役に立たないこと、無意味なことを、学ぶ気は俺には起きない』


 勇義さんの言葉を思い出す。

 ――前世の私は、就職率が低いと言われても、文学部を選んだ。その後、滅茶苦茶厳しい就活に病んでも、文学部を選んだことを後悔することはなかった。

 就職には無意味な勉強。でも、物語を知ることは楽しい。

 理由は、それだけで十分だった。


 でもこうやって、今、私の知識は、好きなことは、意味を持っている。

 いつか勇義さんの学んだことも、意味を持つんじゃないか。

 いや、意味なんてなくても。いつか、楽しいと思えるようにはならないだろうか。


 そう思った時、私の頭の中に、ふっとあるアイデアが浮かんだ。


「……どうしたの、晨星」


 寝る準備もせず、机に向かい始めた私に、直くんが聞いてきた。


「直くんは先に休んでて。忘れないうちに書いとこうと思って」

「何を?」


 私はにんまり笑って答えた。


「物語を、書くの」

 

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