第9話 晨星、布衣の交わりをする

『雌鳥歌えば家滅ぶ』。

 メスのニワトリがオスのニワトリに先だって時を告げるのは、不吉の前兆であるという俗信から、女が出しゃばると家や国が滅ぶということわざだ。


 ちなみに「コケコッコー!」と鳴くのはオスだけらしいね。それは今はどうでもいい。


 要約すると、『政治の世界に女がでしゃばったらろくなことがないから黙れ』。

 ……っふ。


「『人をもてあそべば徳をうしない、物をもてあそべば志をうしなう』」


 私が言うと、勇義さんは片眉を上げる。

 この意味は、『珍しい物に心を奪われて志を失うこと』。

 あるいは、『枝葉末節しようまっせつなことにこだわり、仕事や学問の本質を見失うこと』を意味する。

 特に科挙においては、『暗記こそが学問』と言う明経科の人や、『作詩こそが学問』とこだわる進士科の人にそう言って窘める、オールラウンダーな秀才科の人の話が有名だ。


 私はニッコリと笑って言った。


「秀才さまは今、盛り時のようで、鶏冠のない鳥がよほど珍しいようですわね」


 要約すると、


『ガリ勉だから女が珍しくて、発情期の雄鶏みたいに気になって学問や仕事に手につかないんですね』


 だ。

 その付け加えに、勇義さんはカッ!! と目を開いた。


「貴様、俺を侮辱する気か!?」



「先に人をニワトリ扱いしたのはあなたでしょうが!!」



 怒鳴られたので、さらに私は怒鳴り返す。

 その勢いに、一瞬勇義さんは怯む様子を見せた。


 怒鳴ったら怯むと思ったか。

 こちとら、前世は声優を一瞬目指して発声練習をして、今世では武人の娘としてひたすら発声練習させられてたんだぞ。高い声も低い声も通る声も図太い声も出せるっての。

 

 だけど、それは相手も同じ様子。

 さらに大きな声で怒鳴り返してきた。



「……こ、ことわざだ! ニワトリ扱いをしたわけじゃない!

 実際、女が権威を持つことで国が滅んだ例は数知れず! それは歴史が証明しているだろうが!」

「君主の数からして贅を貪って国滅ぼしてる男の方が圧倒的に多いでしょうが! 確証バイアスもはなはだしい!」

「かく……何言ってるのだ貴様!」


 とにかく! と、勇義さんは付け加えた。




「女官が、弘文館の税の資料なぞ見てどうすると言うのだ!」

「……はあ?」



 私は素で返事をした。


「私、女官じゃないですけど」

「は?」


 今度は、勇義くんが素で返す。


 え、直くん言ってないの? これ。

『話通してるから、色々聞くといいよ~』とか言ってたのに。

 というか、女官だと思っていたからこの態度だったの? ミソジニーだけど、妃候補という権力者に屈しない人だなってちょっとだけ感心してたのに。



「私、妃候補の昕晨星です」


 私がそう言うと、勇義さんは目を丸くした。



「……昕、文昇さまの?」


 あ、養父のことは知ってるんだ。 

「娘です」私がそう言うと、今度は顔を青ざめさせる。

 すると、慌てて膝をついて顔を伏せた。

 それはもう、頭をぶつける勢いで。




「大変失礼いたしました!! 昕家のご令嬢であられたとは!」



 その態度に。

 勇義さんに対する好感度が氷点下にまで下がった。


「……顔を上げてください」


 思った以上に、自分の声が凍えているのがわかる。

 ゆっくりと、勇義さんの顔が上がった。青ざめているのがわかる。



「さきほどの謝罪を、撤回してください」


「……は?」



 何を言っているのかわからない、と言う顔をしている。――謝罪しろ、という人はいても、「謝罪を撤回しろ」と言う人はそういないだろう。

 でも私は、絶対にその謝罪を受けたくなかった。


「私は一人の人間です。養父のオマケじゃない。

 ――父親が誰かで、態度を変えないで」

 

 女だからこう、とか、女は~するべし、とか直接言われるのは普通に嫌だけど、ここまで怒ることじゃない。

 私の問題だから、私がどうにでも出来る。

 だけど、そこで養父を出されたら、これは養父の問題になってしまう。

 ふさげるな。養父は関係ない。当事者は、責任者は私だ。謝罪も誹りも受けるのは私。それなのに、養父の名前を出して、勝手に納得して謝るな。


 ……けど、こんなことを言ったところで、この人には理解できないだろうな。

 頭の中にいる冷静な自分が、そう諦めたように呟く。


 この国は、前世の記憶がある私が思ったほど、男尊女卑じゃない。

 女が馬に乗って外出するのは普通。

 表向き離婚は女からは出来ないようになっているけど、多くの女性は自分から離婚を切り出して、また好きに再婚している。財産権も法律で保証されている。

 私の体感だけど、女性の識字率もかなり高く、学は男女共通の『価値』だと認識されている。

 

 だけど、女は男のモノとして扱われているのだ。

 娘は父親に、妻は夫に、母は息子に従え。

 後宮に入る際に読まされた『三従』。――読んでた時、燃やしてやろうかと本気で思った。


 この家父長制の社会において、娘の価値は父親の価値だ。父親が強ければ娘は無条件に尊敬されるけど、その代わり娘が頑張っても父親が褒められる。

 それが普通、というか、娘に対しても父親に対しても、最上級の礼儀だと思っている人たちが多いだろう。


 自分の出世のために後宮に入れる訳でも無く、『価値』を上げされるために書を読ませたのではなく、ただ娘のしたいようにさせた養父が例外なだけ。


 それでも。

 自分を犠牲にしてまで、ただ無償の愛を注いでくれた養父が、娘をモノ扱いするような目で見られるのは嫌だ。

 それが例え、この世界の誰にも理解されない、無意味な抵抗だとしても。




「……すまなかった」



 そう思ってたのに。

 勇義さんは、憑き物が落ちたように、冷静に、真摯に頭を下げた。


「へ」

「いえ。申し訳ございませんでした」


 今度は地に伏せ、頭を地面につけて謝ろうとしたので、私は慌てて止める。

 土下座は、自分の尊厳を投げ打ってやる謝罪だ。そんなものは求めてない。


 目が合うと、勇義さんは少し目を伏せ、話し始めた。


「……文昇さまは、前王朝の皇帝に対し諌め、『逆心』として貶められても最後まで国に尽くし、『怯懦』と罵られても部下を守るために降伏し、身寄りのない未亡人や孤児の支援をしたと聞いております」


「その後は、出世や金のためではなく、ただ太平天下のために尽くされた方だと」勇義くんは言った。


「そのような高潔な方であれば、人の権威や対応で態度を変えることもないでしょう。そのような方のそばで育ったあなたが、不快に思うのは当然のことです」


 申し訳ございません。そう言って、勇義さんはまた頭を下げた。


 ……なんか、謝罪のポイント、合ってるような、ズレているような。結局養父から離れられない気もする。


 ただ、怒りはどこかへ消えていた。

 養父は、権力者に逆らって正義を貫く度、悪口言われて隅に追いやられて来た。「上手くやらないバカ」だと、影で笑われていたことも知ってる。


 その養父の性格を認め、なおかつ褒めてくれたのが嬉しかったので。







 その後、なんとなく書についての話が始まった。

 勇義さんには、さきほどのように丁寧な敬語は使わず、フランクに話すように伝えると、そこから打ち解けるのは早かった。


 身分や地位が、秩序を作るために必要だと言うのは、まあ頭ではわかるんだけど、正直私は気に食わない。

 公の儀式ならまだしも、個人同士で話が済むなら、体裁を取り繕わないで話を聞いてみたかった。



「晨星どのは、『書経』を読んだことがあるのか?」

「一応、四書五経は読んでるよ。断片的に読んでるし、覚えたの昔だから、うろ覚えな部分も多いけど」



『書経』とは、さっき出てきた『雌鳥歌えば家滅ぶ』『人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪う』の出典元だ。そして四書五経とは、『書経』を含む科挙の必須科目である。

 明経科と進士科は、これを全部覚えることが合格条件なのだ。状元を突破した勇義さんならちゃんと覚えてるんだろうなあ。



「……なぜ、四書五経を?」



 勇義さんが不思議な顔をする。

 ――女の子は科挙を受けることができない。覚える必要などないだろう、と言いたいのか。

 まあ男であっても、私は科挙を受ける気はないんだけど。テスト嫌いだし。

 じゃあなんで覚えたかというと。



「……………………趣味」

「……………………趣味?」



 理解ができん、という顔をされる。

 でしょうね。多分、この趣味は前世でも理解しづらい。


 

 でもさ。

 オタクって生き物は、引用が大好きな生き物なんだ! 詩とか偉人の名言とか!!

 推しの小説を書く度、有名な小説の一文を冒頭に添えたりとか! 『春はあけぼの』って言葉を、『春は揚げ物』ってパロってSNSで投稿したりとか! 友だちと電話で『その声は我が友李徴子ではないか』ごっこをしたりとか!

 創作とかに使うために、国語便覧とか日本史資料を重宝してたよ! めっちゃボロボロになるまで!


 ただ、これを説明するには、『小説』というものを話さないといけないし。


「えっと……うちに、兄のような存在がいまして。彼がそばで勉強していたので、つられて覚えまして……」


 舜雨くんの話と、かつて日本史の漫画で読んだ紫式部の『賢さ』エピソードを混ぜながら答えると、「なるほど」と納得してくれた。




 ――思い出すのは、舜雨くんとの出会い。

 舜雨くんは元々暗殺者で、仕事をしていた養父に制圧された。

 その後、養父と一緒に様子を見に行った時、牢に閉じ込められていた彼が読んでいたのが、五経の一つ『詩経』だった。


『それ、面白いの?』


 私が聞くと、舜雨くんは凪いだ目で『暇つぶしにはなる』と答えた。

 それが、あんまりにも悔しかった。

 まるで、人生になんの楽しみもなく、終わるまでやり過ごしてるみたいで。


『……もっと、面白い話があるのに』


 そうして私は、彼に『物語』の話をした――。


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